第二話 晒された危機

 例え黒であろうと呑み込む白が、黒の天使を完全に撃ち抜いた。


 上空約6500m。

 二機の天使型模造人型遠隔兵器アンドロイドの死闘は、清きなる白の勝利に終わった。


 だがそこに祝福賛美は無く、機密保持のため敢えて自爆しようとする敗者の姿があった。


「な!」


 天使は神が為の消耗品。

 それは彼女が重々承知していることではあるが、これは予想外だった。


 通常〈西方連盟ウェスタル〉の天使は敵方に比べ、多少技術力で優位であるアドバンテージを逃さないため、本体と無人砲台兼哨戒観測機ウェポンウィングはそれぞれ独立した自爆機構を持つ。


 最新鋭技術を渡さないため、あわよくば敵を巻き込み相打ちとするため。


「あり得ない…!」


 まさか。

 まさか〈東方機構イェストム〉の天使が自爆を?

 そんな事、一度も観測されてこなかった筈だ。


 しかし穿たれた黒の天使の内に高ぶるエネルギー反応を捉えると、彼女は高速化された思考と補助知性の全リソースを使って計算を始める。

 人知を超えた生存の為の数式を書き並べ立証し分析し、そして悟る。


 あ。


「むり」


 核融合の熱が放射されれば大破は免れない。

 最新天使の推力を持ってしても、人工の太陽こと動力炉の誘爆には抗いようがない。

 死への直面であっても、天使は直情一つ、愚痴一つ漏らさなかった。


 あーあ。


 黒が爆ぜる。

 閃光。






 ◇ ◇ ◇





「―――状況終了、お疲れ様でした」


 嫌になるほど無機質で、全くの感情を伴わない陶器のような声が告げた。

 軽い空気の抜ける音と、緩慢として重い空気が纏わり付く。


 脳が不快な感覚に襲われる。

 頭の中に手を突っ込まれて弄られる、そんな感覚。


 耳鳴りがして、口の中の乾きが喉を突き刺した。

 どうにも使後の副作用は慣れる気配がない。

 重く、ずれた感覚が体を支配し、違和感が何もかもを統べる。


 そしてなにより響くのは心の痛みであった。

 じん、と劈き思考の中央に抱きついて離れない。


 染み込んだ真っ黒のなにかは後悔と罪悪感、そいて自らの不備を責める自責の念だったのだろう。


「当該操演士アクターの天使被撃墜を確認しました。イウレア准将がお待ちです。速やかに報告を行なってください」


「…うるさい」


 がんがんと鳴りたてる頭痛と気持ちの悪さに苛立った彼女は、つい押し殺した声で機械相手に唸った。

 決まりの悪さと不運の連続で、やはり直後の軋んだ心は噛み合わない歯車の印象を受ける。


 声と痛みの主、奇しくも使の彼女は頭を抑えながら、病室にも似たベッドから起き上がった。

 肩に髪が落ちる感触がし、後頭部と背中に張り付いていた接続器ドレッサーが離れる感覚。ほぼ一日中つけていた鬱陶しいそれから解放されるのは、最悪の中の例外である。良い気味だ。


 変なガスでも詰まっているのではないかという呼吸の重さと、鉛を食わされたかのような体の鈍さはどうにも払拭し難いが、それでも誇りと矜持を貫くために彼女は立ち上がる。


「う」


 目眩がした。

 よろよろと真っ白の壁に寄りかかる姿は傍から見ればさぞ滑稽だろう。

 中に溜まった悪いものを絞り出すように、薄く嘆息した。


 どうにか扉まで辿り着き、殺風景極まりない空間からの退室を目論む。

 無機質で薄灰色のドアノブに手をかけようとすると、勝手に扉が開いた。


 自動だった?いやそんな機能知らない。


「よ、お疲れさん」


 急に世界が色付いた。目の前にあるこれは連盟軍の正式な軍服である。

 低めの声に少し見上げると、見知った笑顔が咲いていた。


「…ライネ」


「気分はどう?」


「最悪。あとノックはして」


「ついこの間、頭に響くからやめてーってヴィテナが言ったんでしょ」


 検診服を着た彼女、いやヴィテナと呼ばれた小柄な女性はバツの悪そうに顔をしかめた。

 そういえばそう言った記憶もなくはない。


 寝ぼけたような眼をこすり、癖のついた髪を振って彼女はむすっとした。

 反対にライネという好青年は涼しげな表情で微笑んだ。


「イウレア准将から伝言、報告は回復したらで良いって」


「…部屋のあいつに伝えれば良いのに」


 あいつ、というのは先程唸った機械音声の事で、ヴィテナはゆっくりと振り返ってスピーカーとセンサを思い切り睨んだ。デリカシーとか、配慮とか、もっとそういうものに敏感なら良かったのに。


「そっちもうるさいし、激闘の後には響くでしょ。それに、そんな格好で基地の廊下を歩かれちゃたまったもんじゃない」


 ヴィテナはゆっくりと己の格好を見下ろした。

 特に変なところは―――


 煙でも出そうな速さでヴィテナは真っ赤に染まった。

 検診服は脱ぎやすさと清潔さを意識してか、ゆったりとしている。体つきが小柄な彼女には少し大きい。


 油断していた。

 肩からずり落ちたブリーツは、肌色との大仰なコントラストを練り、良くも悪くもその肢体を顕にしていた。アウトまで後一歩というところだ。


「半裸ってのはあんまり人に見せるものじゃないし」


 起こったら良いのか悶えれば良いのか、どうも旧友の前では反応に困る。いや感情の波浪が押し寄せ渋滞し、石像のように固まった。

 しかしなんだろう、このふつふつと無限に湧いてくる気持ちは。


「疲れてるよやっぱ」


「……さい」


「食事とか飲み物とかは後で持っていくから今は――」


「うるさい!」


 ばちん。

 ライネの頬に良いのが入った。

 そーゆーのは先に言えっての!

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