第一章

第一話 天使に栄光あれ

「はぁっ……!はぁっ……!」


 重苦しい戦争に偉大なる天使がいたら、どんな姿だろうか。

 血生臭い戦争に高潔なる天使がいたら、どんな姿だろうか。


「敵天使部隊の、はぁっ……、残存を確認」


 答えは単純明快。

 五つの赤子も知っている。


「レーダーに複数感応、はぁっ……、こちらの被害は、甚大。応援を、求む」


 小型核融合炉で駆動する強化プラスチックの体の作りは精巧で。

 電磁操作で独立する無数の無人砲台兼哨戒観測機ウェポンウィングの翼は神々しく。


「待ってくれ、恐らくクラス4.5の天使が……」


 手にした錫杖のような高威力の超高熱超高圧熱線砲ビームキャノンは、熱拡散コーティングの金色に煌めいて美しい。


「!、違う、この熱源は恐らくクラス5.0の――――


 男は最後まで言い切ることができなかった。

 山ほど積まれた鉄の残骸に埋もれ、味方と通信していた彼は、天使の放ったビームの光と熱で蒸発し、その焦げ付いた赤色の何かを撒き散らした。


 整然と立つ、その姿。

 戦場に聳える、不釣合な程の輝きと、圧倒的な権威。

 どこか妖艶な体つきは兵器としての自覚などとうの昔にかなぐり捨てているようで。


 その兜のような仮面だけがただ、言葉にできない不自然な何かを物語っていた。


「生命反応消失、付近の処理は終わり」


 女の声で小さく呟いた。本当の人間のように。


 決して人のように温かくはないその体。

 しかしそこに熱を見てしまうのは何故だろう。


 彼か彼女か、代名詞さえ言うのを憚られる救いの天使はこの〈西方連盟ウェスタル〉の主力兵器だった。


 おふざけではない。開戦から100年にもなる国を励まし、「神の救い」のプロパガンダで民衆を盲信させるには必要なビジュアルとストーリーだ。


 かつて、魔女と呼ばれる天才発明家が死に、遺された幻のデータファイル〈イグニヴァ〉を巡った戦争がこれだ。

 存在さえ不確かな文字列の塊を手に入れるための惨劇には、「天使」という国の心の支柱が必要なのである。


 根拠も中身も一切不明なファイルが繰り広げたこの戦いは、あまりにも虚しいものだから。

 救いの天使が、羽ばたく。


「こちら第280試験部隊所属第5.0世代7番型天使〈レミエル〉。敵残存勢力の完全無力化を確認。当該司令を受領した。ポイント882番へ急行する」


 天使は曇天の戦場を俯瞰する。

 爆発と煙渦巻き、龍の遠吠えのような砲声が届き、敵味方の分からぬ死体と共に蒸気となった血と天使の動力伝達液パワーパッケージが目に着く。


 自然ならざる風景だ。

 一欠片ほどの希望も救いもない。誰に向けたも知れぬ救済の天使が飛び回り、天誅か何かに模したビームが飛び交うだけ。


「狂ってる」


 中空へ飛び出した天使はそう呟いた。

 風を切る音で除去範囲が拡大された、司令部の雑音判別装置ノイズフィルタに聞き取られないように。


 このありふれた風景は今や国境線に全てに見られる。

 原形を失い壊れた戦車やプラスチック製の、糸が切れた人形のような天使。少しばかりの血と焼け焦げた肉。


 開戦時の骨董品から最新式の装備まで。

 だがそこに革新はない。魔女が崩れてから人類は一世紀の間、新技術と呼べる物に出会っていないのだ。


 漏れ出た声音から仮にでも彼女と呼ぼう。

 その天使は正しく、模造人型遠隔兵器アンドロイドであった。


 兵器として、民衆の心の柱として、非効率極まりない代理の体に押し詰められた、天才発明家魔女の傑作。


 しかし妙である。

 人間だった。動きの予備動作から胸の微かな圧迫、肺でもあるかのような咽喉の震えまでもが。


 と、彼女は唐突に通信を受け取った。


「…ポイント882番の部隊、どうした」


 通信の電波を受け取ったものの、返事は返ってこない。

 無言のお遊びか、秘匿のメッセージか、それとも。


「ち」


 軽い舌打ちと共に彼女は背中に生えている加速推進器の出力を上げた。

 どちらにせよ何かが起こったことは間違いない。


 マッハ5。

 音速をも超えるその天使は曇りを形作る黒雲の遥か上を切り開き、ひたすらその魔女の叡智の翼で飛んだ。


 後に残る、焼け焦げた大気の筋だけがその超常的な移動を物語る。

 人間の脆弱な体なら、寸毫の後に加速による圧力で骨は木っ端微塵に砕け、血や臓物、ひいては肉までもが空気抵抗によって綺麗にスライスカットされた後、圧倒的なまでのスピードにて焼け焦げる。


 少し違えば空からR-18gのランチデリバリーをしかねないひ弱な肉体は、天使にはない。


「!」


 極超音速飛行の中、彼女の兜に当たるレーダーが何かを探知した。

 すぐさま補助知性がその何かを感知。


 警戒の為徐々に速度を落とし、雲上の楽園もかくや幻想的な風景の中戦慄する。

 解析された何かの正体を見て彼女は思わず叫んだ。


「第5.0世代並みの敵対天使反応?」


 あり得ない、と一笑に跳ね飛ばしたい事実だったが、その思考を拾った補助知性が10回の再計算と再解析。


 観測結果は変わらなかった。


 彼女の祖国である〈西方連盟ウェスタル〉は天使開発において〈東方機構イェストム〉の先を行っている。

 最も、生産性やらちょっとした戦力の差ではあるが、今日まで敵国連中は〈西方連盟ウェスタル〉にそちらの技術で優れた事はない。


 そして彼女は試験中の第5.0世代最新鋭機である。

 その彼女と同格の、敵国の天使がいるなんてにわかには信じられなかった。


「数は」


 1、と補助知性は無機質な答えを提出した。


 ここは超上空。

 味方無人砲の射程であり、航空機の支援も望み薄。更には前線付近である為に友軍の、同世代機では無い天使の援護も考えられない。


 念の為、と。己の保身と刻みつけられた生存本能プロコトルが司令部に連絡を入れた。


 数秒の後に「否」が脳内に送られる。


 彼女は悪態を築いた。

 熱源が一つであるならば、今鉢合わせれば完全な一対一である。


 彼女は敵機を恐れた。

 何しろ反応が一直線でこちらに向かってきているのだ。向こうもこちらを捉えている。逃がしてくれる気概は問わずもがな。


「もおおお」


 完全に停止しホバリングに移った彼女は嘆いて、それから思考を戦闘モードに切り替えた。

 未確認機は確実な敵である。祖国のためにもここで討つべきだ。


 彼女は移動中追従していた、丸っこいフォルムの無人砲台兼哨戒観測機ウェポンウィングを散会させ、周囲150mと雲の中に散らす。


 鋭角的な卵型のそれは命令を受け取ると、一斉に散らばった。


 天使の主兵装である超高熱超高圧熱線砲ビームキャノンは、空気の温度による冷却を受ける為超遠距離では使用できない。

 射程はおよそ5km。そこが間合いで、勝者を決める距離でもある。

 今は上空で、空気が冷え切っているから、約4kmと言った所か。


 敵機反応との相対距離、概算8km、7、6、5…。


「これでもくらえ」


 金色の蛇、旧時代の錫杖やら槍に似た砲門を持ち上げ…発砲した。


 太陽光る空と雲の楽園に、どれとも違う人工の白い光が迸る。

 反応は…健在。


 ビー!


 補助知性のアラートが耳を刺す。

 彼女は回避行動を取った。


 数コンマ前までいた空間に、白亜の暴力列車が通り過ぎた。敵の返品である。


 互いにノーヒット。

 顔も姿も見えぬ敵を殺そうと、彼女は加速と同時に無人砲台兼哨戒観測機ウェポンウィングに追従命令を下す。


 雲に隠したのは雲海の下そのまま、散らしていた14の砲台群は彼女の背をピッタリとなぞる。


 左右7基づつ、まるで翼のようにくっついた銀色の砲台群は美しく、さらに彼女の推力を底上げする。


 見えた!

 雲の白によく映える、胡麻粒のような黒い機影を目視した。


「冷却時間減らして」


 補助知性にそう命ずると、再装填の合図がなされた。


 照準よし、発砲。エネルギー再装填。

 照準よし、発砲。エネルギー再装填。


 連続で繰り返す。

 瞬間3000万℃にも及ぶ、とんでもない熱量の線が幾重にも重なり交錯する。


 同時に子機を展開。補助知性の制御下に置かれた無人砲台兼哨戒観測機ウェポンウィングは、器用に友軍誤射フレンドリーファイアを避けて、彼女のものより少し薄いビームを放ち始めた。


 加速を極めた、銀と黒、二つの天使と意志が空中ですれ違う。

 確認した。間違いなく敵である。


 再びの接触の為に彼女は減速しつつ旋回、航空機で言うドッグファイトのような形を築くのだ。

 視界の端に黒を捉え、ビームを乱射した。


 雲の上の戦場は、白の熱線が無造作に飛び交い、出鱈目な檻のように見えた。


 無人機は敵の本山である天使を叩くのがセオリー。

 彼女は敵の散らした無人砲の驟雨を回転や減速を交えて回避し、再び黒い天使と合間見える。


 今度は互いに遅い。

 十分な加速も取れなかったが、それ以上にここで終わらせるとい気持ちがそうさせた。


 彼女は金の超高熱超高圧熱線砲ビームキャノンを振りかぶった。

 撃って良し、殴って良しというとんでもなく頭の悪い発想が齎したこの鈍器は案外役に立つものである。


 時代が違えば騎士や武士となったであろう見事な姿勢で加速する。


 ぎいいいいいいん!


 途轍もない金属音が世界を支配した。

 どうやら相手も同じ考えだったらしい。鍔迫り合いとなる。


 互いに接近しすぎて、無人砲らは誤射を危惧し天使そのものを打てないからか、お互いの無人砲台兼哨戒観測機ウェポンウィングは撃ち合いを始めた。


 力緩めず相手を観察した。

 真っ黒のプラスチック筐体だ。赤、血に似せたであろう動力伝達液パワーパッケージが透けて見え、ダークな雰囲気を醸し出している。


 装備も上物で、やはり彼女と同じく、体つきは妖艶で魅力ありながらも兜が不気味だった。


 とは言え、ここでパワー負けしていれば〈西方連盟ウェスタル〉の天使技術の名が泣く。

 幸い推力はこちらの方が上だ。


 核融合反応炉の燐光を閃かせ、黒い天使を無理矢理押し出した。

 相手に焦ったような容態が見られたのも束の間、何かを命令した。


 彼女は見た。

 背後に一基隠していやがった!


 敵機のすぐ肩口に乗っかった砲門がこちらを向く。


 まずい、やばい。

 加速による慣性で直ぐには避けられない。


 これは…死んだかな。

 勝ち誇った様子で近接用の超高熱超高圧熱線砲ビームキャノンを握る黒い天使に向けて、彼女は呟く。


「と思った?」


 瞬間、黒い天使は鉛直方向から飛んできた、何本もの死の熱線に貫かれた。


 雲に隠しておいた無人砲は尚も連射を続ける。

 逃れようと悶えたが、彼女の加速と彼女の錫杖と正確な無人砲のビームがそれを逃さない。


「いっけえええええええええ!」


 気合いと共に押し上げた彼女と隷下の無人砲は、黒い天使にとどめを刺した。

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