第十話 力
三夏は今日も、その異形を前にする。
四つの足で地を歩き、二本のハサミのような腕を振り回すその姿はまるで蟹を連想させた。しかし頭部はワニのようであり、複数の動物の
コトナリ。世界に現れる謎の存在。
そして彼女、三夏はそれを狩る事を運命づけられた魔法少女。
三夏は背中に背負った鞘から鋭い日本刀を引き抜く。同時に、コトナリの右腕のハサミが大きく開いて三夏を掴もうと向かってきた。
が、三夏は軽やかにジャンプしてそれを回避すると、コトナリの胴体部に着地し日本刀をその胴体へと突き付けた。
三夏の能力によって増加された質量の暴力が、刃がコトナリの胴体を突き通すことを可能とする。だが、コトナリの動きはまだ止まらない。
「まだ死なないかっ……クソッ!」
胴体の上にいる三夏を振り払おうと、コトナリは激しく動く。
三夏の方ははさらに深く刀を突き刺していく。呼応するかのようにワニのような口から悲鳴とも思える叫び声が上がった。
一度刀をコトナリから引き抜き、三夏は胴体から地面へと再度ジャンプして移動する。刀から解放されたコトナリは瞬時に三夏の方を向き、今度は両腕を使って彼女を潰そうとした。
その前に三夏は踏み込みコトナリに近づくと、その頭部へと刀を突き通す。
まさにそこが弱点であったのか、突然にコトナリの腕は力を失ってだらりと地面に倒れた。その衝撃によって、三夏の周囲に砂埃が舞う。
「処理完了。これから戻ります」
右耳につけたインカムに向けて、彼女はただ一言告げた。
青地に二本の白いラインが特徴的な車体の大型人員輸送車の車内に、有紀はいた。
法務省から出向となり、警視庁警備部異常存在対策2課・通称『異対2課』に配属されてからはや一ヶ月。今回が配属されてから三回目の臨場である。
上司である真司が付き添ったのは最初の一回目だけで、二回目以降からは有紀と三夏の二人で臨場している。今回は三回目ということもあり、流石の有紀もある程度感覚が分かってきていた。
かといって、有紀が臨場中に特に何かやることがあるわけではない。
ESSを通して三夏の視界を盗み見て、その戦闘の様を傍観する。警視庁に戻ったらその様子を報告書に書いて真司に提出する。それだけだ。
「戻りました」
輸送車の前方ドアが開けられて、一戦終えた三夏が車内に入ってくる。
いつもと変わらず、その顔は無表情だ。異形の怪物を前にした後だというのに、恐怖ひとつ見せていない。
「お疲れさま、三夏。早かったな」
社交辞令程度に、有紀は彼女に労いの言葉をかける。
「いえ、少し手間取りました。次は改善します」
三夏の方は今回の自分の『出来』に不満なのか、そんな言葉を漏らす。
そのまま彼女は輸送車後方にある座席のうち、有紀から斜め後ろの二列後方の座席へと腰を下ろした。
有紀が運転手に出発を依頼すると、バスのような輸送車がゆっくりとその車体を動かし始める。
今回の臨場場所は千葉県の八千代であった。輸送車は桜田門の警視庁本部庁舎へと戻るために、首都高速湾岸線を走っていく。
金網の張られた窓越しに、有紀は流れていくお台場の街並みを見た。
「お台場か……最近全然行ってないな」
有紀は、そんな事を独り言のように言う。
就職してからは、官僚特有の忙しさに忙殺されて有紀は休日のほとんどを休息を取るために家で過ごしていた。大学時代の友人たちとも、連絡は疎遠になっている。
「三夏はお台場とか、行ったことあるか?」
特に考えもせず、そして三夏の方を見ずに有紀は聞く。
敢えて話そうとしなければ、恐らく警視庁に着くまで会話は一切ない。だが、やはり監督官と魔法少女、バディとしてやっていくためには少しでもコミュニケーションを取る努力をしていくことが重要だと、有紀は感じていた。
「さあ。もしかしたら行ったかもしれません。まだ家族のところにいた時には。覚えてはいないですが」
三夏は頭を窓にもたれて、輸送車の振動を感じているようだった。
「ご家族は……元気なのか?」
「どうでしょう。私が魔法少女だと判明して政府に引き渡されてから、会っていないので」
「じゃあ、もう五年会ってないってことか……?」
「そうですね。別に問題ではありませんので」
魔法少女は、規定により半年に一回は警察の指定する場所で家族との面会が許されている。それでも会っていないということは、彼女が家族に対し何か思うところがあるのだろうか。
「悪い。変なこと聞いた」
「いえ。構いません」
この一ヶ月、有紀と三夏の会話はいつもこのような感じであった。有紀が質問し、三夏が淡々と答える。三夏の方から話しかけてくることはまずないし、恐らく一回の会話で三分以上続いたことはない。
だとしても、しないよりはマシであろうと、有紀はそう考えていた。
お台場の景色はすっかり見えなくなり、今は築地の街並みが窓の向こうに広がっている。ここまで来れば、警視庁本部庁舎まではすぐであった。
警視庁・異対2課の部屋に戻った有紀は、早速自席に座ってPCに向かい今日の臨場の報告書を記載していた。
報告書の中では、コトナリの発生場所・発生した時間・発生したコトナリの大まかな特徴・魔法少女の戦闘時の様子・戦闘が適切に行われたかなどを記載することが求められる。書類仕事は法務省にいた頃も主たる業務であったため、有紀にとってこれは特に苦を感じる仕事ではなかった。
有紀はESSを通して見ていた三夏の戦闘を脳内で思い出しながら、キーボードを叩く。
「那矢、だいぶ慣れてきたみたいだな」
後ろから声をかけられて有紀は振り向く。
そこにいたのは体格のいい男、蓮二だった。
「石ノ巻さん、お疲れ様です」
「今回の臨場で三回目だろ? どうだ、監督官は」
そう言って蓮二が有紀の肩を叩く。
「少しずつですけど、慣れてきました。と言っても、ほとんど見てるだけですけど」
「監督官はそういう業務だ。コトナリ相手に俺たち常人ができることなんて何もないからな」
見た目こそ厳つく威圧感のある蓮二ではあるが、このように何かと有紀のことを気にかけることが多かった。
この異対2課において一番世話好きなのが蓮二なのである。
「魔法少女の行動を見て、その行動に問題がなかったか確認する。俺たちにはそれが求められてる。お前は警察出身じゃないのによくやってるよ」
「ですかね……? ありがとうございます」
蓮二の言葉を、有紀が会釈しながら受け取る。
この警視庁へ出向となってからの一ヶ月間、有紀が体験したことは法務省にいた頃とは全くと言っていいほど異なっていた。それでも何とか短期間でこなせるようになってきたのは、有紀自身の才能であるとも言える。
「そうですよ。那矢さんの臨場報告書、いつも丁寧に書いてるなって感動しますもん」
有紀の机と接した隣の机の沙月も、蓮二と有紀の会話に入ってきた。
「何ていうか、読んでるとちゃんと臨場の時の状況が頭に浮かぶって感じかな……すいません、何か偉そうなこと言っちゃって」
「いえ、そう言ってもらえてありがたいです。書き方完全に我流なんで、どうなのかなって思ってましたし」
「全然大丈夫ですよ! 少なくとも私よりはよっぽど上手いです! 私、どうしても書き物って苦手だから……」
沙月はトレードマークのポニーテールを少し揺らしながら笑う。
少女の多い特殊な部署である異対2課において、彼女の役割は魔法少女たちにとっての『年上のお姉さん』である。彼女の監督している文乃だけではなく、口の悪い早音や三夏までも沙月に対しては一目置いているようであるのは、この一ヶ月間見てきて有紀も感じていた。
彼女が文乃といるときは、まるで『高校生アイドルとそのプロデューサー』のようにも見える。
「まっ、俺も小岳も今まで腕っぷしで何とかやってきた方だからな。那矢みたいに、もっと頭も使わないとってことだ」
蓮二が言いながら笑い、再度有紀の肩を叩くと彼は自席へと戻っていく。
少しずつではあるが、有紀の存在は異対2課に馴染んできていた。このように課員たちは有紀を他省庁からの出向者だからと特別扱いせず、同じ仲間として接してくれる。
『お客様扱い』を苦手とする有紀にとって、これはとてもありがたいことだった。
あとは、担当である魔法少女の三夏ともう少し円滑な関係になれば。そう思いながら有紀は今、誰も座っていない三夏の座席を見る。
「皆お疲れー。那矢くんも臨場、お疲れさん」
真司が異対2課の部屋へと入ってくる。その手にはいくつかの書類があった。
真っ直ぐに彼の机へと向かって行き、座席に腰をおろす。
「ああ、石ノ巻くん。あと那矢くんもちょっといい?」
着席するなり真司は二人の名前を呼んだ。有紀はキーボードを叩く手を止めて立ち上がり、真司の机へと向かっていく。
二人が自身の前まで来たのを確認して、話し始めた。
「石ノ巻くん明日、筑波の
「俺は構いませんけど、明日は早音の試験しか申請してないですよ」
そう言う蓮二の言葉を、真司は持ってきた書類に目を通しながら聞く。
「人類研には私から連絡しておいたよ。ついでに三夏の試験もやってくれるってさ。那矢くん、ちょうど良い機会だから、見ておいで」
「はあ……分かりました」
真司の話がいつも急であることには、有紀もすっかり慣れていた。
「じゃあ、那矢には運転をお願いするかな。お前、運転は?」
「一応、出来ますけど」
「なら運転、頼むな。往復三時間の運転は若い奴にお願いしたいんでね」
こうして有紀の明日の予定は、運転手と見学ということとなった。
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