第六話 臨場 3

 三夏は自分の感覚が告げる方へと駆ける。

 狼が獲物の匂いを嗅ぎつけた際に一気に駆け出すように。街の中を駆け抜けて、『獲物』の元へと急いだ。

 大通りを抜けて、小さな路地へと入る。住宅や個人経営の定食屋などが並ぶ一本の道が三夏の前に広がっていた。

「近い……」

 自分の中の『感覚』が大きくなるのを感じ、三夏は一度立ち止まって目を瞑った。こういう場合は視覚情報が入ってこない方が感覚の向く先を鋭く辿れる。

 静寂と暗黒の中で自分の脳内に疼くものを、三夏は感じ取ろうとする。

「いた」

 天啓を授かった瞬間に予言者がするように、彼女の目が開かれた。

 再び彼女は駆け出す。

 道の途中にある十字路を右折し、そのまま真っ直ぐ進む。いくつかの一軒家と酒屋を通り過ぎたのち、三夏の視界内にやや大きめのコインパーキングが見えた。

 停車しているのは数台の乗用車。そしてそこにいるのは、明らかに車の持ち主ではない一体の異形の存在。

 二本の足で立っており形は人間のようであるが、右腕がなく代わりに巨大な左腕が付いている。腕の先の爪は鋭く伸びており、あれで体を裂かれれば肉が抉り取られることは間違いない。

 そして異形の頭部にあたる部分は陥没しており、そこからいくつかの触手が生えているのが見てとれた。

 探していたコトナリを見つけた三夏は、背中に背負った日本刀をゆっくりと引き抜く。鞘から抜かれた刀が、太陽の光を反射してわずかに光った。三夏とコトナリの距離は約5m。だが向こうはまだ三夏の存在に気付いてないのか、触手の生えた頭部が明後日の方向を向いている。

 三夏はこの好機を逃さない。

 コトナリが彼女に気づくより前に、彼女は踏み込んだ。


 周囲で起きた突然の『動き』に、流石のコトナリも反応した。

 触手の生えた顔と思われる部分が三夏の方を向き、同時に巨大な左腕を彼女に向かって振り下ろす。

 鋭く伸びた爪が三夏の肉体を抉ろうとするがそれは叶わず、三夏の手にした刀がその爪を受け止めた。そのまま刀でコトナリの爪を跳ね返し、後方によろめいたコトナリの体に三夏が右足で蹴りを入れる。

 蹴られたコトナリの体が飛び、パーキングに駐車されている一台の車の側面に叩きつけられた。車体は歪み、フロントドアのガラスが粉々になって舞い散る。

 コトナリの体が小刻みに揺れた。釣られて陸に上げられた魚のようだ。その不気味な様子を特に気にすることなく、三夏は刀を正面に構えて第二撃へと移る。コトナリに向かって飛び上がり異形の体に刀を振り下ろそうとした。

 その瞬間に、コトナリの頭部の触手が伸びて三夏を捕らえようとする。

「……なっ!?」

 予想だにしない動きに、三夏が驚愕の声を上げた。

 瞬時に三夏は体を逸らせて真っ直ぐに伸びる触手を避ける。宙で方向を変えた三夏はそのまま駐車している他の車のルーフに刀を突き立てて着地した。

 コトナリは三夏の方を向き、左腕を振り上げて三夏に向かって来る。彼女がルーフから飛び降りるとほぼ同時にコトナリの腕が先ほど三夏の着地していた車のボンネットを破壊する。

 なるほどこのコトナリ、打撃力はある。だが、

「攻撃後の隙がありすぎっ」

 ボンネットに腕を叩きつけたコトナリが三夏の位置を特定するまで二秒。

 その間に三夏は既にコトナリに近づき、最初の攻撃時よりも手に力を込めて彼女は刀を振り上げる。

 刃がコトナリの左腕の付け根に食い込んだ。

 さらに三夏は腕から力を込めていく。刃はさらに進んでいき、ついにコトナリの巨大な左腕をその体から切り離した。

 そのまま三夏は間髪入れずに手にしている刀をコトナリの体に突き刺す。そしてその体に再び蹴りを入れて、刀を引き抜いた。

 力なくコトナリの体が地面に叩きつけられる。


「これが……三夏の力」

 モニターに映る戦闘の光景を見て、有紀は言葉が出なくなる。

 何せ情報量が多すぎた。映像とはいえ至近距離で見るコトナリの姿。三夏の圧倒的な力と戦闘能力。

 ただの女子高生のようにしか見えなかった少女は、今モニターの映像上で一体のコトナリを倒している。

 何も言葉が出てこない有紀を見て、予想通りの反応を見た真司が満足そうな顔する。

「すごいだろ。三夏の能力は質量の増幅。彼女の体を使った攻撃および彼女の触れているものを使った攻撃では、人間が通常出せる質量を数十倍に増幅させることが出来る。彼女にとっては戦車を吹き飛ばすことすら朝飯前だ」

 モニターに映る三夏の視界の前では、先ほどまで彼女が戦っていたコトナリが倒れている。有紀も確かにその目で三夏が蹴りだけでコトナリを吹き飛ばしたのを見た。そんなことは普通の人間ではたとえ軍人であっても無理な芸当だ。

 これが三夏が彼女自身を『同じ人間として見るな』と言った理由か。

「おっかないでしょ。でもこんなおっかない魔法少女びっくりにんげんを使わないと人類はコトナリには勝てない。彼女らこそ人類の希望だ。どうだ、怖くなったかい?」

 心底楽しそうに、真司は有紀の方を向いた。

「いや、怖いというか……すいません、ちゃんと言葉が出なくて」

「全然いいよ。誰だって最初はそんなもんさ。聞いたことはあっても、実際に見ないと中々イメージが湧かないだろうし」

 モニターに映るコトナリはもう微塵も動いていない。

 目まぐるしい戦闘であったが、終わるのはあっという間だ。

「そう言えば、さっきの田淵って人がマル異は二体って言ってたな」

 唐突に真司が口にする。

 そうだ、確かにあの田淵という警官は確認されたマル異つまりコトナリは二体だと言っていた。ということは、もう一体どこかにいるはず。

「三夏、もう一体いるはずだ!」

 もはやヘッドセットを自分がつけていないことも、三夏がインカムを捨てていることも忘れて、有紀はモニターに向かって叫んでいた。


 三夏自身も一体を倒したことで、一瞬の油断があった。

 気を緩ませたその瞬間に後ろから感じた「感覚」に反応するのが三夏は遅れる。

 瞬間的に背後を向いて刀でそれを受け止め、咄嗟に力を込めるのが遅れ押し負ける。

 恐らく付近の家の屋根にでも潜んでいたんだろう。一体のコトナリが倒れたことで、隙を見て攻撃してきたのだろうか。先ほど倒したコトナリとは姿の異なる、四本足で歩くコトナリが三夏の前に現れた。

 頭のような部位が二つ付いていて、その頭は先ほどのコトナリと同じく陥没していてそこから触手が生えている。

 姿勢を整えて、三夏はコトナリに向かって刀を向けた。

 コトナリは四本の足のうち、後ろ足に相当する二本の足を使ってまるで蛙のように跳躍し三夏へと向かってくる。二本の前足は確実に三夏を捕えようとしていた。

 だが飛び込んだ先は、まさに三夏の刀の間合い。

 真っ直ぐ正面を見据えて、彼女は飛び掛かってくるコトナリの二つの頭のちょうど真ん中に刀を振り下ろした。

 三夏の腕から刀へと伝わっていく増加された質量の暴力。それはあまりにもあっさりと、コトナリの体を中心で真っ二つにするのに十分であった。まるでコトナリの方から切られにいったかのように、三夏の頭上でその体が切断される。

 ドサリ、と音を立てて二体目のコトナリの体が三夏の背後に落ちた。

「手間取らせて……」

 三夏は足元を見る。

 体を二つに切断されたコトナリは、それでもなお足を僅かに動かしていた。頭部の触手も弱々しくではあるが動いている。

 三夏はそれを見下ろし、右足に力を込めて思い切り踏み潰した。


 輸送車を降りて待つ有紀の目に、現場から戻ってきた三夏の姿が映った。周囲の警察官の注目を再び浴びながら、二体のコトナリを難なく屠った魔法少女が黙々と輸送車の方へ歩いてくる。

 やがて彼女は、輸送車のドア付近に立つ有紀の前までやってきた。

「その……お疲れさま」

 それ以外にかける言葉が思い付かず、有紀が言った。対して三夏は特に何も感じていないという様子で有紀の顔を見る

「ありがとうございます。那矢監督官」

「初めて見たけど、すごいな。コトナリをあんなに簡単に倒すなんて」

「いつものことなので。むしろ二体目に油断したのは不覚でした。今後注意します」

「ああ……そうだな。それより三夏、途中通信中にインカムを捨てただろ。あれはどういう……」

 有紀が彼女の行動について咎めようとする。

 だが、三夏の方はこれにも興味ないというように返答した。

「私は言ったはずです。余計なことをせずにただ見ていてほしいと。どう指示すればいいか分からないのであれば、無駄に通信されても迷惑です」

 そう言い放ち、三夏は有紀の横を通りすぎて輸送車へと戻っていった。

 最悪。

 初日である今日一日、有紀は自ら頭の中がその二文字だけが占領されているような気がした。無茶振りの上司と、こちらの言うことを聞く気がない魔法少女。これから一体、この警視庁異対2課でどうしていけばいいのだろうか。

 帰りの輸送車の中、有紀と三夏そして真司の間で一切の会話はなかった。


「それじゃ、那矢くんの異対2課への異動を祝して乾杯!」

 真司がビールの入ったグラスを掲げる。

 臨場の終わったその日の夜、桜田門近辺のとある居酒屋で魔法少女を除いた異対2課の所謂「大人組」の面々による有紀の歓迎会が行われていた。

 真司の乾杯の挨拶と同時に、全員がビールの入ったグラスで乾杯する。

「にしても初日から臨場とは。中々ハードだったな、那矢」

 筋肉質のスキンヘッド男、蓮二がグラスのビールを半分ほど飲んで有紀に話しかけたてきた。

「え、ええ。まあほとんど自分は見てただけでしたが」

「監督官なんて見てるのが仕事みたいなもんだ。おまけに初日じゃ、やれることなんてほとんどないだろ」

 そう言うと、蓮二が左手で有紀の背中を叩く。

「そうですよ。私も初臨場の時は何にもできなくて。文乃ちゃんが戦っているのをESS越しに見ているだけでしたもん」

 沙月が有紀をフォローするように言った。彼女の方は既にグラスのビールを飲み干している。見た目に似合わずアルコールはいける口のようだ。

「そんなもんですかね……なんか、自分は三夏にもあんまり好かれていないみたいだし、今後どうやっていこうかなって」

 純粋な初日の感想を、有紀は口にする。

 人を寄せ付けないようなあの感じは三夏特有のものなのかもしれないが、それでも他の監督官は魔法少女たちと上手くやっていけているのか、単純に疑問であった。

「まあ、三夏はウチの魔法少女の中でもちょっと難しいところがある子だから、那矢くんもゆっくりやってくのがいいよ」

 そう言って有紀のグラスにビールを注いだのは、データ分析担当の歩人だった。

 蓮二もグラスのビールを飲み干して歩人からの酌を受ける。

「そうだな。俺なんて未だに早音から『オッサン』呼びだしな。あんまり気にすんな、お堅い官公庁から来たばかりじゃ慣れないかもしれないが、そのうち慣れていくさ」

「そうそう、ここじゃ官僚としてのやり方は忘れて。のんびり気楽にやってくれたらいいから」

 蓮二の言葉に合わせて、真司も有紀に言った。対して『臥永課長だって警察官僚じゃないっすかー』という蓮二の笑いが飛ぶ。

 有紀は所在なげに、手にしたグラスのビールを飲み込む。

 その金色の飲み物の苦さが今日の三夏との苦々しい会話の数々を思い出させた。

 人知を超えた力を持つ、魔法少女という存在。その一片を垣間見た有紀にとって、昨日までいた世界と今日からの世界はまるで別物のように感じられた。




































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