第五話 臨場 2

 真司と有紀の二人が輸送車から降りると、既に現場には複数のパトカーと警察官たちが待機していた。

 ここは川崎市のため、パトカーのドアには黒字で大きく『神奈川県警』の文字が記載されている。目の前の道路には規制線が張られ、警察官たちは交通整理に追われているようだ。

 真司が手近なパトカーに歩いていき、車両の窓を軽くノックする。それに気づいた社内の警官が窓を開けた。

「どうも。警視庁の異対2課です。責任者の方ってどこです?」

「お疲れ様です。責任者は田淵警部補ですよ、そこに立ってる人です」

 警官が窓から指を差す。指の先には、規制線の前に立つ男がいた。

 真司と有紀はその男の方へと歩いていく。真司が男の肩を叩き、男が振り返ると挨拶代わりに軽く敬礼した。

「警視庁異対2課です。要請に基づき出動いたしました」

「ああ、東京の……遠くからどうもわざわざ。川崎警察署の田淵たぶちです」

 田淵と名乗った男性は奇妙なものを見る目つきで真司を眺める。確かに真司の風体はあまり警察官らしくはない。

「状況は見ての通りです。通報を聞いて近隣交番の駐在が見に行ったらビンゴ。マル異であることを確認して連絡してきました。数は二体。発見地点から半径200mは避難区域にしましたが、まだ避難は終わってません。どうします?」

「マル異はずっと止まってる訳じゃないんで、早急に対処しないと別の区域に移動します。うちの魔法少女を投入するんで、すぐ終わらせましょう」

「魔法少女ね、流石警視庁はいいもん持っているようで……好きにしてください。神奈川県警うちのほうじゃどうにもできないんで。ま、お手並み拝見ということで」

 田淵はさして羨ましそうでもなく、真司と有紀を鬱陶しそうに見て言う。周囲の他の警官たちも、二人に対し疎むような視線を投げかける。有紀にも、この場を支配するやや異様な雰囲気が感じられた。

「では、そういうことで。後はうちで異対課うちで引継ぎますから」

 そんな空気を微塵も気にせず、真司は笑顔で田淵に答えると輸送車の方へと戻っていく。有紀も田淵に一礼して、真司の後を追った。

 周囲に聞こえないよう小声で有紀は聞く。

「なんか、あんまり歓迎されていないような気がするんですけど」

川崎ここは神奈川県だからね。警視庁と神奈川県警ってすごい仲悪いんだよ。神奈川での警備事案を警視庁に対処されるなんて、屈辱なんだろうね。ただ関東圏で発生したコトナリ事案は警視庁の管轄だから、彼らも苦虫を潰す思いで私たちを受け入れるしかないってわけ」

「セクショナリズム、ですか……」

「言うねえ。警察組織なんかセクショナリズムの最もたるものだよ。とにかく、さっさと終わらせて本庁に帰ろう」

 話しながら、二人が輸送車へと戻る。

 真司が先にドアから車内を覗く。三夏が車内にいることを確認して声をかけた。

「三夏、準備できたか? 出番だぞ」

「了解です」

 彼女は立ち上がり、輸送車の真ん中のドアから外に出てきた。

「マル異は二体。那矢くんに対コトナリ戦闘がどういうものか、見せてあげて」

 真司の言葉を無視して、三夏は二人の前を通り過ぎていく。

 背中に日本刀を背負った少女が周囲の警官の注目を浴びながら規制線の中へ入っていくのを、有紀は見つめた。

「どういうものか見せるって……私たちは行かなくていいんですか」

「大丈夫大丈夫。ちゃんと見られるから。では、我々は車に戻ろうか」


 車内に戻ると、真司が複数のモニターの内一台の電源を付ける。薄暗い車内で起動したモニターの光が周囲を明るく照らした。

「それは、何ですか」

 キーボードで何かパスワードのようなものを打ち込む真司の姿越しに、有紀は後ろからモニターを覗き込む。

「ちょっと待ってね。今から面白いものを見せよう」

 複数のパスワードを打ち込んだあと、真司がモニターの上についたカメラに右目を近づける。数秒の時間が流れ、モニター画面には『Certified person approved』の文字が浮かび上がった。

 再度画面にはパスワードを入力するよう表示がされ、真司がさらに12桁の英数字を入力する。

「随分厳重なシステムなんですね。これは一体……」

「今出てくるよ、ほら」

 モニターの画面が数秒暗くなり、その後画面に映像が出てくる。

 写ったのは、ごく一般的な街中の映像だった。風景は少しずつ後ろに流れていき、時折右へ左へとその映像が動く。

 誰かがカメラで撮った映像。最初はそう思った有紀だったが、妙に違和感があった。カメラで撮ったものというより、誰かの視界を見ているような感じがする。

「これって、一人称視点カメラみたいなものですか。目の横につけたカメラで映してるような」

 有紀のその言葉に、真司が右手で指を鳴らす。

「鋭いね。近いけどもっとすごいものだ。こいつは」

 再び有紀は映像の方を見る。ふと映ったある有名な牛丼チェーンの看板に『川崎店』と記載されているのが見えた。

「Eyesight Surveillance System、通称ESS。コンタクト状の極薄カメラが、装着者の眼球で見た映像を直接送ってくるシステムだ。眼球の動きに合わせて、映像も動く。アメリカの国防高等研究所で開発されたもので、今は米軍が特殊作戦部隊なんかに付けさせているらしい」

「それじゃあ、この映像は……」

 有紀は現場に来るまでに三夏がコンタクトを装着していたのを思い出した。付けていた時に彼女は何か説明しようとしていたが、言い淀んでいたはず。

「そう。これは今の三夏の視界からの映像。ESSは魔法少女の戦闘パターンの解析を目的に異対課に導入されてる。あとは公安部の一部でも使用されているらしいけど、極秘技術なんでくれぐれも部外秘で」

 二人が話している間も、映像、つまり三夏の視点は川崎の街を進み続けている。

 人の視点を見るというのは不思議な感覚だ。焦点を一箇所に集中していないと、その不規則な動きにこちらが画面酔いを起こしそうになる。

 まだコトナリとは遭遇しておらず、三夏は周囲を見渡していた。

「ちなみに、これで三夏と会話できるけど、使う?」

 真司が機材がいくつか置いてある山の中から、ヘッドセットを取り出して有紀に渡す。

「え、いや……今日は自分は見てるだけでは……」

「大丈夫だって。試しに話してみなよ。何事も経験経験」


 三夏は人気のない街の中で歩みを進める。

 警視庁本部庁舎のある桜田門周辺以外では、三夏がこのように外を歩く時は大抵周りに人がいない。

 それはつまり、出動以外での外出がほとんどないことを意味する。

 他の魔法少女たち、早音や文乃は時折一時外出許可申請を得て監督官とともに外出しているが三夏は普段この権利をほぼ行使することはなかった。

 申請してまで行きたい所があるわけでもなく、会いたい人がいるわけでもない。

「……?」

 その時、耳元のインカムから微かに音がした。

 周囲への警戒を維持しつつ三夏はインカムのついた右耳に集中する。

「……あー、聞こえるか。三夏、聞こえるか」

 聞こえてきたのはあの新人監督官、那矢有紀の声だった。

「聞こえてます、那矢監督官。なんでしょう」

 ため息も隠さず、三夏は言った。

 あの監督官、何もするなと言っておいたはずなのに何の用なのか。十中八九、真司が通信用ヘッドセットを使って三夏と通信してみろとでもそそのかしたのだろう。

「いや、こっちから君の視界が見えてて。指示を出そうと思って」

「ESSの説明を臥永課長から受けたんですね。そちらから見えている通りですが、マル異はまだ確認できていません」

「そっか、そうだよな。うん、それはこっちからも見えていて……どうする?」

 三夏はインカムを握り潰してやろうかという思いをギリギリのところで堪える。

 何も出来ないなら黙って見ていればいいものを。三夏は何も分からない有紀に指示を任せようとした真司にも苛立ちを感じていた。あの人は一体何を考えているのか。

「那矢監督官、ただ見ていてください。指示は不要です」

「そういう訳にはいかない。自分は君の監督官であって……」

 彼の言葉を聞きながら、三夏は自分の右手が自然にインカムを触れていることに気づいた。そのまま右耳からインカムを外し道路へと放り投げる。

 邪魔な声が消えたところで、三夏が改めて捜索に入ろうとした瞬間。三夏の頭の中に感覚があった。

 近くにいる。

 三夏は走り出して、自分の中の感覚を信じ進んでいった。


「あいつ、インカムを捨てたのか……?」

 三夏の視界を通して見えた映像に、有紀はヘッドセットを外して茫然とする。

 彼女はインカムを目の前に放り投げていた。

 有紀から三夏の視界が見えていることを分かっているからこそ、視界に映るようにインカムを捨てたのだ。

 それは『お前の指示など聞きたくない』という明確なメッセージだった。

 それを見て、真司は声を上げて笑っている。

「いやー派手にやられたね。初日からこれは中々すごいな」

「彼女は、いつもこうなんですか?」

「うーん、だいぶイラついてる方だねこれは。前の監督官の時はこんなことはなかったけどなあ。那矢くん、三夏に何かした?」

「何かって別にそんな……昼を一緒に行った時からあんな感じでしたけど」

 すると、モニターに映る三夏の視界が突如急速に動くようになった。彼女が走り出したことが見て取れる。

 まるで獲物を見つけた猛禽類の視界を見ているようだ。

 通信する手立てを失った有紀は、今から起こることをただ三夏の視界を通して見ていることしかできなかった。


























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