玖話「役割」

 「美味しい?私の団子は。」

リスのように団子を頬張りながら空は声の方へ振り向く。

「お母さん。」

声の元には一人の女性が立っていた。

そして白は彼女を【お母さん】と言った。

「白から軽く聞いたよ。助けてくれたんだってね?娘を助けてくれてありがとね。」

 彼女の名前は『ユキ』。白の母親で、この団子屋の店主だ。

 雪は大人びた笑顔でニッコリと笑った。

空も雪にニッコリと笑い返す。

空に他意はないが白は少しだけムッと雪を見た。

雪は娘の無意識の態度にクスリと笑う。

「それで?あなたの名前は?」

空は頬張っていた団子を飲み込んで答えた。

「空。あんたは?」

端的に答えた空に雪も返す。

「私は雪。姫野 雪ヒメノ ユキ。あなたは苗字はないの?」

雪は挨拶のように聞いたが空は不思議そうに首を傾げた。

 最早察しの通りだろうが、空は【苗字】という概念を知らなかった。

 今から二年前、明治八年。政府から【苗字必称義務令】という太政官布告が出された。

簡単に言うと庶民の苗字が義務付けられたのだ。

しかし名前すら持っていなかった空が【苗字】を知っている筈もない。

だが一応、十三や空にも、当然青治郎や碧にも【苗字】はあった。

しかしそれを空が知る術は今はない。

それに空も故郷に戻る気は全く無い為、知る術は全くと言っていい程無いのだ。

 空は首を横に振った。

基本的にあってはならない事だが雪は多くは聞かずに優しく笑う。

「へー。まぁいいわね。それより白。あなた折角だから街まで降りて空君案内してあげなさいよ。」

雪が深入りしない事は白も聞かない。

白は雪の言葉に頷いて席を立ち上がった。

「そうね。空。街に行きましょ?」

この時二人が何を思い行動したかは空はまだ察する事も出来ない。

しかしトントン拍子に話が進み空は白に手を引かれるようにして山を降りていった。


 山を降りたそこには活気のある街が広がっていた。

空の知る町とは違う。人も物も沢山のモノが溢れかえっていた。

しかしここも都会と比べると寧ろ田舎の方に分類される。

しかし碧とともに育った小さな世界しか知らない空からすればこの街も充分過ぎる程に大きいのだ。

 「…………!」

空は呆気にとられた。

そして初めて理解したのだ。

世界はまだ知らない事ばかりだと。

 大口を開けて足を止める空を見て白はクスクスと笑う。

「ほら!行こ!」

白は空の手を引いて歩き出した。


 覚えるモノは多かった。

【仕立て屋】【服屋】【銭湯】【食事処】【宿屋】【甘味処】【酒屋】【八百屋】【肉屋】【魚屋】。

一気に新しい言葉やモノを教わった。

しかし空は実に楽しそうに覚えた。

初めて見る物ばかりで空は自分の鼓動が早くなるのを感じる。

そんな空を見て白も楽しく笑う。

「【楽しい】?」

首を傾げる空を見て白はニカッと笑った。

「心臓がバクバクしてもっと知りたい!って思うでしょ?それがね、【楽しい】って事なんだよ。」

笑顔の白を見て空も優しく笑う。

 空は最初何も知らなかった。自分の名前すらも。

しかし碧に言葉を教わった。名前を貰った。

毎日碧に会いたいと思いもっと知りたいと思った。

これが【楽しい】という事なのか。【楽しい】という事だったのか・・・・・

空は初めて自分が物事を覚える事を楽しんでいたと知った。

そしてそれは白が教えてくれた。

空は白の手を優しく握る。

「白。もっと知りたい。教えて。」

無邪気に笑い手を握る空に白は口元が綻び頬が熱くなるのを感じた。

「い、いいよ。勿論じゃん。」

空はニッコリと笑った。


 「んー!美味しい!」

白は頬を押さえて美味しそうに笑う。

空も倣って一口二口と口に運ぶ。

「これが【かき氷】。うん。美味しい。」

お互いにニコッと笑い合った。

 空にモノを教える中、歩いていて何か食べたいねと二人は街の甘味処に来ていたのだ。

「きゃあ!」

女性の悲鳴が街に響き渡る。

空と白も反射的に視線が声の方へ向かった。

「お止めください!それは売り物なのです!」

「ははは!知るかよ!美味そうな酒だな!」

視線の先では三人程の野盗が酒屋の酒を大胆に盗もうとしていた。

そんな光景を傍から眺める人々の話し声が空の耳に入る。

「またあいつらだ。」

「最近山から降りてくる事が多いな。」

「勘弁してくれ。」

いまいち分からず不思議そうな顔をしていると少し怒った表情の白が空と目を合わせる。

「あれはね。この近くの山にいる【山賊】。最近【武士】の時代は終わらないとかどうとか言っては山を降りてきて悪さばかりしてくの。」

白は怪訝な表情で山賊を睨んだ。

 空には【山賊】や【武士】はよくは分からなかった。だがあの男達が街の人に良く思われていないのはなんとなく分かった。

 スッと立ち上がり空はスタスタと山賊の男達の元へ向かう。

「え?何してるの?空?」

空の突然の行動に白は空を呼び止める。

しかし空はニッコリとだけ笑って山賊の前に立った。

「ああ?んだこの子供ガキ。」

睨みを効かせる男を空はじっと見つめる。

 空はずっと歩きながら考えていた。

【八百屋】の店主も【銭湯】の番台も【甘味処】の店主も皆それぞれ【役割】がある。

白の母、雪にも団子を売るという役割がある。

しかし空には無い。

今までも無かった。ただ何も考えずに刀を握っていただけだった。

しかしそれで大切な人を失った。

なら空には何ができるのか。

空はずっと考えていた。

 「んだってんだよ!?子供ガキ!」

何も言わない空に腹を立てた男が刀に手をかける。

しかしそれよりも少し早く空は刀を振り抜いた。

「ぐがぁ!」

だが男の手は切断はされておらず骨だけが折れて曲がっていた。

空は刀を抜かずに鞘で手首を折ったのだ。

「な!何だテメェ!」

突然の事に訳の分からない表情の残りの山賊を本能的に刀に手をかける。

しかし一人二人と空は鞘で関節を叩きつける。

「ぎゃあ!」

「ぐう!」

技術のある空なら鞘でも油断した山賊くらいは充分倒せる。

手首を折られて刀を持てない山賊達は空から距離を取って睨みつけた。

「何なんだテメェは!」

男は睨むように叫んだ。

 空はずっと考えていたのだ。

刀の扱いしか知らない自分に何が出来るのか。

 空は鞘でクウを切る。

「この街の人達に何かするなら……俺が戦う。斬る。」

空は考えついた。戦うことしか出来ないなら戦う事を【役割】としようと。

恐れた表情の山賊達を空は表情を変えずに真っ直ぐと見た。

「俺はこの街の刀になる。」

空はニッコリと笑った。


 空は無意識以外で初めて誰かの為に自ら行動した。

初めて【役割】を欲しいと思い【役割】を自分で見つけた。

それがいわゆる街の刀、【用心棒】だったのだ。

空にとってこの行動が空の【情緒】と【感情】を育てる為の大事な行動となる事はまだ誰も知らない。

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