捌話「美味しい。」

 空はボーッと上を向いて座っていた。

何を考えている訳では無いがただこうして天を眺めている時間は割と好きな時間だった。

 「何してんの?」

空の時間に踏み込む少女が一人。

彼女の名前はハク

先刻野盗に襲われている所を空が刀を振るい救出した。

しかし白は感謝しつつも空に「人を斬るな。」と怒った。

この【人を斬るな】という言葉は空にとっては初めて言われた言葉であり空の歩みに初めて疑問を呈した発言でもある。

 空はじっと白を見つめて答えた。

「別に。空を眺めてただけだ。」

まじまじと見つめられ白は少し視線を逸らして空の前に団子を置いた。

「と…取り敢えずこれはさっきのお礼。人を斬るのは嫌いだけどそれでも助けて貰ったから……。」

気恥ずかしそうに団子を差し出す白。

しかし空の視線は団子の方に釘付けになった。

「…………なにこれ。」

初めて見た【団子】に空はじっと舐め回すように視線を集中させる。

しかし団子屋の娘としては団子を初めて見た風の空に眉をハの字にした。

「見た事ないの?お団子。」

空は団子を眺めたまま頷く。

少し不思議そうに白は空の横に座った。

「じゃあ食べてみなよ。お母さんの団子は格別だよ。」

食べる物なのか。空はまずこれを食べ物と認識し、ゆっくりと口に運んだ。

モグモグ。

ゆっくりと咀嚼する空に何故か白が緊張しながら待ってしまった。

ゴクン。

「………どう?」

不思議な緊張感の中白は空の顔を覗き込む。

空はパァっと顔を明るくして答えた。

「もう一個食べたい。」

「……美味しいって事?」

空の不思議な言い回しに白は首を傾げる。

しかし空も首を傾げた。

「おいしい?」

 実は空は食べ物の【感想】という概念を知らない。

というより碧から空は様々な【言葉】は学んだが【表現】や【感情】といったものは教わっていないのだ。

それというのも幼い碧にとって【感情】は無意識に備わっているものであり、【表現】は気付けば出来るようになってるものだった。

その為碧にも空に対して【教える】という発想が無かったのだ。


 目前の少年は不思議そうに、かつ何かを待つようにじっとこちらを見ている。

最初から少し違和感はあった。

素人目から見ても剣の実力は相当なモノなのに何処か空っぽ・・・に見えた。

廃刀令が出たこの時代に刀を持つような奴は殆どが力を誇示する人間ばかりだ。

それなのにこの空という少年は力の【誇示】も強い【自尊心】も持っているようには見えなかった。

だが一切迷う事なく刀を振り抜いた。

殆ど手入れもしていないなまくらで不気味な程綺麗な切断面を演出してみせた。

何か・・、人としての何か・・が欠落しているような。

そんな印象を持つ少年なのだ。

 そこで白はある仮説を立てた。

この空という少年は言葉は喋れど【物事】を深く知り得ないのでは?と。

そしてその仮説は正しかった。

空の知らない事はまだ山程あるのだ。

 白は少し座り直して真っ直ぐ空の目を見た。

「貴方は知らないのね?【美味しい】って言葉を。」

空は素直に頷く。

あまりに素直に頷くので白は驚いた。

 しかし決して惨めにも思わないし同情もしない。

人と人が必ずしも同じとは限らない。そう母から教わったからだ。

空が人の斬り方を知っていて白が知らないように。

白が【美味しい】を知っていて空が知らないように。

空には空の歩みがあったのだ。

 白はゆっくりと口を開いた。

「貴方さっき、もう一個食べたいって言ったよね?それが【美味しい】っていう事よ。」

「これが……【美味しい】?」

白は頷く。

「【美味しい】っていうのはそうやって「まだ食べたいな。」とか「誰かにも食べてほしいな。」って、そうやって思った時の【感情】の事を言うのよ。」

「【感情】………。」

白はニッコリと笑った。

「食べたい?空。」

白の笑顔に空は頷く。

「食べたい…………【美味しい】から。」

二人は笑い合い、空は白の出したもう一つの団子に手を伸ばした。


 空は初めて【美味しい】という感情を覚えた。

この【感情】というものは人から聞いて覚える事は出来ない。

自らで感じて・・・初めて覚えるのだ。

空は初めて食べた【団子】を【美味しい】と感じた。

だから空は【美味しい】を覚える事が出来た。

そして空は今日感じたこの【美味しい】という【感情】からまた一つずつ、【感情】を知っていく事となる。

それが空の新しい【成長】の話なのだ。

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