渦:彼らの語ることには(川野・大学一年・男性:地/外)
そもそもは白石ハイツって言うんですよ。ほら、そこの上の方。読めるでしょう、照明とかないですけど。
ホワイトマンションって通称なんですよね。どっかの誰かがマンションって言い出したせいで、そのまま定着しちゃったんですよ。馬鹿だったんですかね……いや、俺もちゃんとマンションとアパートの見分けが付けられるかって聞かれたら微妙なところです。何でしたっけ、階数とか鉄筋とかそういうのですかね。知らないんで全部適当ですけど。
大丈夫ですよ。表立って騒いだりしなきゃ。今時監視カメラどころかオートロックもないような所ですし。住んでる人間だってほら、お察しですよそういうところは。
開かなきゃ帰りましょう。駅前のファミレス、二十四時間ですし。夜のファミレス好きなんですよね、俺。あの照明だけ明るくって、人間だけが影だまりみたいになってる雰囲気。
──大丈夫です。隣、今は空き部屋ですから。
やっぱね、居つかないんでしょうね。こういうこと言うのあれですけど、こないだ櫛田先輩が直近でやらかしてますしね。別の棟ならまだいいんでしょうけど、真隣だと嫌っていうのは人情でしょうし。それにこうやって肝試しに来る馬鹿もちょっとはいるでしょうから──ほら。
開くんですよ。よかったじゃないですか、歓迎されてますよ、きっと。
手品とか仕込みとか、そういうんじゃないですよ。合鍵なんて持ってませんしね。見てたでしょ、先輩。俺はただドアノブ回しただけです。
つまりあれです、鍵が掛かってたら入っちゃいけない、開いてたら入っても構わないってだけのことでしょう。開いてるんだから、ね?
何で開いたのかって、先輩。馬鹿なこと言わないでくださいよ。俺が開けてないんだから、一つだけでしょうに。
鍵って内側にあるんですから、中から開けられるに決まってるじゃないですか。
***
相変わらず狭いんですよね。住んでた頃より俺が育ったせいもあるでしょうけど、やっぱり窮屈ですよ、この家。
当たり前ですけど、俺が住んでたとこも部屋の作り一緒なんですよね。俺んちも兄さんちも同じなんですよ、そう考えると。住んでる人間が違うだけで、箱が一緒。
えっと、左が洗面所と風呂場です。真っ直ぐ行くと居間っつうかデカい部屋で、そっちはきっと行かない方がいいです。部屋自体はいいんですけど、ベランダがね、ちょっと。あと俺が嫌なんで、止めてください。
心霊スポット探検って名目なんで、じゃあ家探しみたいなことしないといけない気がするんですけどね。探すまでもなく見通せてますからね、この狭さなんで。
それにほら、もう済みましたから。
分かります? つうか、見えてます? 台所のシンクに──そうですね。手はそっちに垂れてますけど、首とか諸々上ですね。ほら溢れてる。
目、合ってますよね。
やっぱちょっと高いとこが性に合うんですかね。あんな具合だと、棚に入ってないと大変なのかもしれませんけど。
そうです。あれが、俺の兄さんです。
どう見えてますか。今のところ、同じものが見えてるっぽいんでそのていで喋ってますけど、大丈夫ですかね。ちょっと前はもう少し地に足が着いた感じだったんですけど、もう随分なことになってるんですよ。杉宮先輩が見たら腰抜かしそうだ。あの人、結構な怖がりですよね。
大丈夫ですよ。泣いたり喚いたりみたいな騒ぎ方をしなければ、何もしてきません。そもそもですね、その気だったら多分もう駄目になってますよ。俺も先輩も。
櫛田先輩もこれを見たのかってのは、分かんないです。
また違うものが見えてるんじゃないですかね。俺は知りません。そもそも櫛田さんが何を見たのかを知りませんから──あの二人が、一緒に探検しに来た連中がどういう噂を吹き込んだかによると思いますよ。
兄さんって呼びましたけど、血は繋がってないんです。他人です。隣人ではあったけども。
名前もね、俺は覚えています。八田吉生さん。いつも兄さんって呼んでたから、殆ど呼んだことはなかったんですけどね。初めて名前を聞いたときに、小学生でも書けるだろって教えてくれたんです。
ややこしい血縁関係とかそういうんじゃないですよ。あれです、近所のお兄さん。ここに住んでたとき、俺は小学生であっちは大学生でした。
暇つぶしでしょうけど、よく遊んでくれたんです。最初は何だったかな、俺がベランダでプチトマトに水やってたら、あっちが煙草吸ってるところに出くわしたんだったか……輪っかやってくれたの、覚えてますよ。そこからちょいちょい話すようになって、遊んでくれるようになったんです。
俺がベランダでぼーっとしてたら覗き込んでアイスくれたりとか、部屋でレンタルの映画見せてくれたりとか。両親共働きで出がちだったんで、よく構ってくれました。
遊べるときは、鍵開けておいてくれたんです。ノブを回して、ドアが開いたら遊べる日。どきどきしながら運試ししてました。
兄さん、首括ったんです。
そこのトイレのドア、手すりに紐かけて──大丈夫ですよ。もう何の痕も残ってません。
突然だったんですよ。聞いたとき、信じられませんでした。昨日も挨拶したのにとか、借りた漫画返せてないとか、あんなとこで首吊れるんだとか、そんなことを思ってました。不定形? 非定型? でしたっけ。しつこく聞いてだだ捏ねてたら、父さんがそういうのだって教えてくれたんですよね。そんなもん子供に教えるなよ、って気もしますけど。父さんも動転してたんですかね。
俺んちもそんとき金なかったんですよね。だから、こんなせっまいアパートで三人暮らししてたわけですけど。
でも、引っ越したんです。あんなに嫌がってた田舎に引っ込むことになるのに、それでも身銭切って実家に帰った。隣で兄さんが死んだからですよ。
余程忘れたかったんですかね。どうしてそんなに嫌がるのかも聞けなかったんですけどね。俺が兄さんの話題を出すのが嫌そう──恐ろしそう、でした。だから俺も空気読んで、そういうことは口に出さなくなりました。
あんまりだと思いましたよ。言えませんでしたけどね。
ただまあ、田舎に引っ込んでも、俺は兄さんを忘れませんでした。
ずっと遊んでくれたのに、ちょっと普通じゃない死に方をしたくらいで怖がる理由もありませんでしたし。それに、そうやってなかったことにするの、卑怯だと思いましたし。意地みたいなもんもありましたよね。
そういう理由で、
んで、地元トークで俺の家が──白石ハイツが、心霊スポットみたいになってるのも聞きました。ちょっと不愉快でしたけど、まあしょうがないなとも納得しました。だって人が死んでますからね。交通事故でもそういう噂が立つんですから、自殺なら尚更だとも思いました。
あとは、安心しました。少なくとも死んだ人が──兄さんがいたってことを、皆忘れてないんだなみたいな感じで。怪談扱いでも、何もかも忘れられるよりはマシだって思ってました。
何ですか、先輩。もうちょっと話させてくださいよ。まだ──は。
どうして俺に協力した、って。
今更それ聞きますか。分かってるくせに。
そうだなあ。
どうせ話すんですけどね、そこも。
先輩、大学三年ですよね。受験のときに詰め込んだことって、まだ覚えてます? 俺は微妙です。指数対数数列順列、全部そこそこ怪しい。
──使わないと、思い出さないと、忘れるんですよね、人間。
引越して土地を離れはしましたけど、そうやって縁は切ってなかったんで。こっちの友達に頼んで、怖い話を教えてもらえるように頼んだんです。趣味だから、みたいな話をして。
ちゃんと記録つけて、書き起こして、分類みたいな真似なんかもしてました。今の先輩みたいなことをしてたんです。
そうして気づいたんですけど、話がね、変化していたんです。
兄さん、首括ったんですよ。それだけだったんです。
手首切ったんでも餓死したんでも服毒でも飛び降りでもない。ただこのアパートのトイレのドアで、ロープで首括って死んだんです。
なのに、いつの間にかどいつもこいつも違う話をするんです。違う話が尤もらしく、兄さんの──ホワイトマンションの怪異として語られるようになっていたんです。
色んな話が出てきました。
ベランダに心中相手の彼女と二人で座ってるのが見えるとか、血まみれのカミソリが入った丼茶碗が玄関の前に幾つも置かれてるとか、夜な夜なすすり泣き交じりの童謡が聞こえるとか。
本当かどうかは分からないですよ。見たやつは本当だと信じてたのかもしれないし、ひょっとしたら兄さんと何かが一緒にベランダにいたことがあったのかもしれない。歌声も聞こえたかもしれないし、丼茶碗だってあったのかもしれない。全部何の関係もないって、少なくとも俺はそう思います。一人で首吊った人間に、彼女とカミソリに童謡がどう関係するっていうんですか。三題噺じゃないんですよ。
全部仮定の噂です。人が死んだってだけで、勝手に期待されて湧いて出た怪談です。
でも、それを否定する手段はなかったんです。。
皆適当に話すんです。明らかに最近テレビでやった心霊特番の演出そのままの話だったり、流行りのゲームに乗ったような内容だったり……似たような集合住宅があるからって、そっちと取り違えて話してるやつもいました。迂闊な話ですよね。
非現実に面白い話を、自分の身近にある不吉な場所に被せて喜ぶんです。ただ人が死んだだけの場所を、心霊スポットなんてものにして、祟られて呪われる特別な場所にしたがるんです。
そうやって個人が勝手に見たものを、さも本当のように話していって、僅かな差異がそうやってどんどん重なっていって──ホワイトマンションができたんです。
困りました。だって兄さんそんな人じゃなかったですから。兄さんをダシにして、違うものが寄り集まってくっついてるっていうのが、どうにも理解できなくて。
でも噂の打ち消し方なんて分かんないし、そもそも俺一人でどうこうできるようなものでもないってのは当然分かってました。
そうやって色々考えて思い付いたんです。
開き直りっていうか、閃きっていうか。魔が差したって言われると困りますけど。
勝手に噂されるのも、尾ひれ背びれがつくのも避けられない。
だったら、どうせなら、もっとすごい
俺は大したことはしてないんです。先輩に会う前も、会った後も。
ただ怖い話を聞いて回って、色んなとこにそれをばら撒いてたくらいです。それでも個人でできることなんて、知れてますから。
俺から話を聞いた連中が何かやったのかもしれないし、もしかしたら俺と同じようなことをしたがってた奴がいたのかもしれない。
意図があったとしても、ささやかなもんなんでしょうね。それこそ「そんなつもりじゃなかった」って言うような程度。台風が起きたあとで蝶の羽を毟るようなもんですよね。手遅れなんですよ。
そうして聞いて集めて話して、噂になったんですよ。だから、こうなりました。
噂になっているうちは、語られているうちは、皆兄さんのことを忘れないんですよ。このホワイトマンションで、兄さんは怪異としてずっと覚えていてもらえる。たまに被害を出しつつね。
でも、そういうのって心霊スポットのお約束じゃないですか。定番、王道、大事ですよ。そういうことを押さえておくと、長持ちしますから。
そのために都合が良かったんです。どんな怪談も、あるだけじゃどうにもなりませんから。それを見て、語って、読んで、面白がってくれる人が必要なんです。
そうして初めて、怪異は遍在するんです。
聞いてください。記してください。書いてください。伝えてください。
有象無象の連中に、
きっと聞いたやつがそれぞれ考えます。それぞれ見たいものを、恐ろしいものを勝手に見ます。それが重なっている間、その間は兄さんはずっとここにいます。ホワイトマンションの怪異として、ずっと。ホワイトマンションが忘れられない限り、兄さんのことも皆忘れずに済むんです。
それがあんたの役目です。聞いて集めて残して
だって、楽しかったでしょう。それに、先輩なら分かってくれるはずですよ。きっと。
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