対流:先輩の読みとしては、
「順調で無事そうじゃん。良かったよ」
大皿に山のように盛られたポテトフライを三本同時に摘んで器用にわしわしと齧りながら、杉宮先輩はおざなりな労いの言葉を吐いた。
誘われたファミレスは、いつもの大学最寄りの店だった。安価で量とメニューが多いのだから、当然のように学生には人気だ。夕方なのでそこそこ混雑しているが、これから話す内容を考えれば、多少賑やか過ぎる方がいい気がしなくもない。
先日、蒐集した怪談をまとめている最中に飛んできた通知の内容はただの飯の誘いだった。飲み会かと質問すれば、アルコールはなしだと返答があった。何が悲しくて野郎二人でわざわざ飯を食いに行かないといけないのかということを遠回しに問えば、
『経過報告に酒入ったら駄目だろ。脂もんはともかく』
思ったよりまともな理由が返ってきたので俺は我が身を少々反省したのだが、そんな立派なことを言った先輩の格好がサブカル通り越して錯乱しているのだからいたたまれない。真っ青なアロハの胸元からヌードピンナップが覗いている。いくら大衆向けファミレスとしても限度というものがあるだろう。その手の服装が許されるのは夜の八時を過ぎてからの飲み屋街だけだ。
杉宮先輩は無造作にポテトを齧りながら、探す気もないであろう間違い探しに目を落として続けた。
「そこそこOBさんからは聞いてるけどね、概ね……好評? っていうか問題にはなってない。ちょっとね、心配してる人もいる」
「何か失礼なこととかしましたか、俺」
「いやいや、稲谷自身にっていうのは全然ねえから。どっちかっていうとほら、神経質になってるっていうか、ん……なんだろうな。多分あっちも分かってないかもしんないな」
ともかく別に何ともないんだろという確認じみた先輩の問いに俺は頷いた。
拍子抜けするくらいに何もないのだ。夜はよく眠れるし夢見も爽やかで、食欲も都会の酷暑に負けることなく通年通りに落ちる様子はない。酒も腹立たしいほどに調子よく飲み干せる。味が分からず酔いが回らないのは、いつもと変わらない。あの飲み会でもそうだったのだから、別段問題もないだろう。
「一年生──川野と協力してるってのはね、まあ人との交流って大事だから……何度も言うようだけど、宗教とかマルチやらかさなきゃ好きにしてくれていいんだよ。仲良くしてくれるに越したことないから、サークル員同士がね」
「川野から声かけてくれたんですよ。怪談集めるなら手伝いますよ、って」
「変な趣味してんな。若いのに難儀なやつ」
先輩は少しだけ眉を顰めてから、間違い探しのメニューを机に放り出す。そのまま一口だけ手元のグラスからコーラを啜ってから、頭痛にでも見舞われたのかとんとんとこめかみを叩いてみせた。
「俺のツテだけじゃなくて、そっちからもばんばん話聞いてるみたいだしな。もう結構集まってんだろ?」
「そうですね。十話は越えました」
「見えてきたかよ。法則性」
先輩がにやりと笑う。以前話した内容をきちんと覚えられていたことに、俺は何となく気恥ずかしくなって、ポテトをつまんでから口に押し込む。噛み潰して飲み込んだ上に手元のウーロン茶を流し込んでから、
「法則性とかは微妙です。でも、その──気づいたことは、ちょっと。思い込みかもしれませんけど、まだ」
「何」
「偏りが、あるような気がして」
先輩が右目を眇めてこちらを見た。俺は一度頷いてから、要点だけを口に出す。
幽霊屋敷の話が続く、ベランダと怪異がいやに結びついている、年上の親族男性ばかりが怪の渦中にいる──そんなぼんやりとした感覚から導き出された『話に偏りがある』という思い付きと妄言の中間めいたことを伝えて、俺はPCとデータを共有しているタブレットを取り出す。人に他言しないでほしいと言われた話だけをフォルダから抜いて手渡せば、先輩は眩しげに目を細めた。
「確認しろってこと?」
「活動報告も兼ねてます。あとはほら、怪談お好きでしょう」
「好きだけどね。怖いことするね、お前」
先輩は呆れるでもなく存外に真剣な顔をして、タブレットを受け取った。
「じゃあ読んでるから、お前ポテト齧ってろ。何なら追加頼んでもいいぞ」
そう言って先輩は鞄から眼鏡を取り出し、日に焼けた顔に掛ける。思ったより長い指を画面に這わせ、それきり黙り込む。
きつい冷房に身が強張る。せっかく許可が出たのだ。追加を頼むのならば、何か温かいものを頼んだ方がいいだろう。
俺は先輩と背後の天使の絵を順繰りに眺めてから、放り出されたメニューを手に取った。
***
「何かこう、あれだな。胸やけしそう」
俺にドリンクバーへ取りに行かせたコーヒーを音を立てて啜ってから。先輩は長く息を吐いた。
胸元に手を伸ばそうとして、ここが禁煙なのを思い出したのだろう。行き場のない指先を首筋に当てたまま、先輩は口を開いた。
「とりあえず目についたとこ挙げるけどな、俺としてはさ、人間側よかおばけの方が気になった」
「どういうことですか」
「そのままだよ。聞いた人間がどうこうっていうよりも、おばけも結構わやわやしてんなあって」
要領を得ない表現に戸惑いながら、俺は先輩を見つめる。
先輩はコーヒーカップの腹を数度叩いてから、ぶつぶつと続けた。
「そうだな。この……北沢さんの話なんか分かりやすいだろ。変なもんがいて、噂があって、そいつの行動が変わっていってる」
指摘されて初めて気づく。言われれば確かにその通りだ。事故から湧いた噂を飲むように、変化し凶悪になっていった『廊下のおばけ』の話。
丁寧に北沢先輩自体がまとめてくれていたのに、見逃した自分が信じられなかった。
そういう目で見ることに気づいた途端、記憶からすぐさま新たな偏りが浮上してきた。先輩も指摘してくれたが、人の話で怪異が変貌していく──或いはしたであろうと考えられる話も、そこそこの数がある。
OBさんが語ってくれたアパートの話も該当するはずだ。怪異の因縁が接続されるべき場所が、噂によって本来あるべきではないところに導かれている。七不思議を全制覇している怪異の話も近いところにあるだろう。怪談が生まれるたびに、それは佐々木君という一つの怪異の仕業として接着され取り付けられていく怪談だ。話してくれた後輩自身も『佐々木君の芸が増えてく』と表現していた。浅田のキャラクターのせいもあって何となく笑い話のようにとらえていたが、怪異の拡張性という点で見れば随分恐ろしいことをしていることが分かる。
先輩は眉間の皺を指先で揉んでから、画面から目を離さずに言った。
「偏ってんのは確かだな。お前の感想、合ってるとは思うよ。偏りがどのくらいあるかは分かんねえけど。俺も今雑に読んだだけだし」
「大丈夫ですかね」
「知らねえよそんなの」
じろりと半眼が俺を見る。
照明の光が艶を塗り潰して、不安になるほど黒い瞳がこちらを見ていた。
「俺は先に言ったぞ、止めないけど事故るなよって」
「……気をつけます。でも」
「止めねえんだろ。じゃあ何を言われても意味ねえわ。好きにしろ」
前と同じじゃねえかと毒づく先輩に、俺はやはり意味もなく頭を下げる。杉宮先輩に見抜かれている通りなのだから、我ながら始末が悪い。
櫛田先輩が飲まれた怪異の理不尽さ、それに近づけているかどうかは分からない。だが、怪異を理解するために怪談を蒐集するという無意味な行為に何かが兆し始めている。俺にはそう思えて仕方がない。
怪談は傾向を見せ始めている。その傾向に何らかの意図を見るか、ただの偶然として黙殺するか──そのどちらも選べるからこそ、タチが悪い。決定打は蒐集者かつ傍観者である俺が決める必要がある。
俺の意志で、ここから踏み込むのか逃げ出すのかを選ばされている。そんな気がしてならないのは、俺も怪異に呑まれ始めていることの証なのかもしれない。
怪奇現象と呼ぶにはささやかで微かだ。何一つ物理的な現象は起きていない。気配程度の痕跡、頼るには危うい代物かもしれない。だが、怪異の片鱗かもしれないものが手元に顕れていたことに俺は興奮する。
このまま進めば何が見えるだろうか。このまま続ければ何を知るのだろうか。
このまま行けば──櫛田先輩がどうしてあんなことになったかを、俺は納得できるのだろうか。
近くのテーブルから派手な笑い声が聞こえた。目をやれば、恐らく大学生らしい集団が賑やかに談笑しているのが見える。サークルでの食事会だろうか。ただ笑いながら楽しげにやりとりをしている彼らの姿に余計なものを思い出しそうになって、俺は思考を振り払う。
先輩は眼鏡を外してから盛大に伸びをして、欠伸じみた声を上げた。
「……ま、一人でやるよか安全だろ。俺も一応いるし、川野もいるんだろ?」
「います。こないだ、また友達連れてきてくれるって連絡がありました」
「顔広いなあいつ。人付き合い上手いなら俺のサークル業務手伝ってくんねえかな。後継候補欲しいんだよな、卒業だから」
今度二人で会ってみてえなと呟いて、先輩は俺の顔を真直ぐ見た。
「命綱、手元に置いとけよ。いざってときに縋れんの、人と金だから」
後輩は大事にしろよと当たり前のことを言って先輩はへらへらと軽薄に笑った。
とりあえず先輩の言う通りに川野に怪談の絡まない連絡でも取ろうかと思いながら、冷めたポテトをもそもそと噛む。
命綱を手元に用意しておく、危機管理としては大事なことだろう。備えあれば憂いなしという、万人が聞き慣れたであろう諺もある。サバイバルものの映画でもロープや紐は大活躍だ。
絆の由来は家畜を繋ぐ綱、と擦られ倒して言い出す方が馬鹿に見えるようになってしまった雑学を思い出す。
人との繋がりは糸や綱など紐状のものに例えられる。形を容易く変え、結び付け、巻き付き絡めとる代物だ。繋ぎ止めるのも止めを刺すのにも使えるのだなと思いついて、先輩に言うのは止めた。
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