校内放送の話(三屋先輩・大学三年・女性:地)
どこかに発表、とかはしないんだよね。あるじゃん実話怪談作家とかでさ、そういうの。それやられると困っちゃうっていうか、その──むちゃくちゃ個人的な話なんだよね。あとはまあ、胡散臭い話だから。稲谷くんだけ聞いて欲しい。他のサークル員とかには、言わないでいてほしいんだ。
じゃあなんで話すかっていったらあれだよ、ロバの耳。罪悪感と、あとは……スペアっていうか、お裾分け、かな。私以外の人間に伝えておきたかった。覚えていて欲しかったからさ、それだけ。
高校のときね、剣道部だったんだ。
ちゃんと三段まで取ったよ。一応ね、中学から続けてたから。内申点へのあれこれってのもあったけど、どうせ入るんなら真面目にやりたかったし。
先輩でね、すごく強い人がいたの。
二年生。大会でもずっとレギュラーで、三年生とか差し置いて選ばれるくらいに強かった。
うちの剣道部がそんなに有名じゃなかったのにどうして入ってくれたんだろう、みたいなことはみんな思ってた。昔からやってたって、噂で聞いてはいたから。うちの高校としてはありがたかっただろうけどね。そんなこと、聞けるやつもいなかったけど。噂だと、県外から引っ越してきたんだってことだった。そっちの土地で有名になり過ぎてみたいな補足もついてたな、噂の分際で。そんなのは大袈裟かもしれないけど、高校以前のことを知ってる人がいないのは本当だった。記録も、同名で調べても出てこなくって……名字、変わってたのかもしれないね。親の都合とかでさ。そのあたりも誰も知らない。だから、私たちは先輩のことを何も知らなかった。
でもね、私たち──あの人の目。それだけは知ってた、と思う。
練習試合なんかで向かい合うと、面越しに目が合うんだ。
その目がね、恐ろしいの。
明らかに私や他の連中なんかとは、種類が違う目玉。なんだろうな、生き物の目に見えなかったもの。刃物とか、鏡とか──見たものに傷を、痛みを与えるような。そういう類の光り方をするんだ。
あの目に真っ直ぐ見据えられて、知らないうちに一本取られるんだって噂してたっけ。催眠術、使えるって言われたら信じたよ。そのくらい、そうね、異様な目だった。
それでね、これはちょっと気恥ずかしいんだけど……みんなこっそり『姫様』って呼んでた。剣道が強くて、成績優秀で気品があって美人で──何もかも完璧だったから。
下級生も同級生も、ひょっとしたら先生だって先輩のことを好きだったかもしれない。そのくらい、完璧な人だった。
好きっていったけどね。一応断っておくけど、恋愛感情の好きじゃないよ。憧れ。尊敬、崇拝、憧憬と、嫉妬。そりゃ羨ましいよ、自分にないもの全部持ってる人がいたらさ。ただ私は、諦めが良かったから。ただ無心に、素直に先輩を好きになった。それだけの価値がある人だったから。
先輩、あまり人付き合いに積極的な人じゃなかった。けど、めちゃくちゃ冷たいとか人当たり最悪とかそういうのでもなくって、何だろうな……静かな人だったんだと思う。自分から手を伸ばしてくることはないけども、こちらの手を無下に振り払うようなこともしない。ただ、あの目ですべてを見ているだけ。
部室の掃除当番とかで組むと結構雑談とかしてくれたし、冗談言って笑うようなところもあった。私、遠慮とかあんまりしなかったから、当番で一緒になるたびに話しかけてね。先輩も優しいから、ちゃんと答えてくれた。好きな歌手とか、好きな映画とか、好きな食べ物とか……友達同士で話すようなことも話した。
楽しかったよ。少なくとも、私は。先輩がどう思ってたかは知らないけど。
先輩、やっぱりその夏の大会のレギュラーにも選ばれてね。三年生の記念枠以外のところに、他の二年生を蹴落として選ばれたんだからすごかった。先輩の実力なら当たり前だけど、団体戦だとどうしようもないからさ、その辺。
そういう背景があったからか、先輩の練習も熱が入ってたように見えた。あの人、普段から手を抜くような人じゃなかったけどね。けど、ほら。人の出場機会を奪ったっていうことをちゃんと考えてたんだと思う。誠実な人だったから、先輩。
六月だった。
大雨警報一歩手前みたいな雨が降ってる日で、私たちはこんな日に練習しなくってもいいじゃんって文句言いながら、薄暗い練習場で放課後練してた。
先輩はいつもみたいに真剣で、大会っていう目標があるせいか、その──ふっとね、殺気、があるくらいだった。近寄りがたかったけど、その分綺麗だったのを覚えてる。
基礎錬が済んだから、打ち込みに移ろうって部長が言った。いつも組んでる友達が、その日は早退してたから、私組錬であぶれちゃってね。そしたら先輩が声を掛けてくれた。
私、勿論お願いしたよ。先輩の練習にはならないって分かってたけど、でも、先輩と打てるのが嬉しかったからね。勝手でしょう。
先輩と私、向かい合って──その瞬間、放送のチャイムが鳴った。
私、一瞬気が逸れた。先輩も、みんなも。
チャイムのあと、少しだけ間があった。
雨音が一際強くなった空白のあと、音割れするような大声で、叫び声が──先輩の名前を吠えてた。
声、ぶつんって途切れてね。絶叫を押し込めるみたいに放送終了のチャイムが鳴った。
それでも、私、動けなかった。先輩の目も見られなかった。
外の廊下を走る足音が聞こえて、先生が走り込んできた。先輩、すぐに駆け寄って、そのまま道場を出てった。
雨の湿気と冷気が床に溜まって、素足に張り付く感覚。未だに覚えてる。すごく嫌だったから。私だけじゃなくて、他の連中もね。
先輩がいなくなって、時計を見てから……みんな怯えた。だって、呪われたんだって分かったから。
高校ね、七不思議があったの。そのうちの一つにね、校内放送にまつわるやつがあったんだ。
夕方四時四十四分に、校内放送で名前を呼ばれると不幸になる。
由来はね、ベタいやつ。何十年も前に、その時間に放送室で自殺した生徒がいたんだって。その子、最後に誰かの名前を放送したの。で、その名前を呼ばれた誰かも、不幸が続いて──死んだとか、電車に飛び込んだとか、そんな話。
無理があるでしょう。無闇に派手でさ、子供騙しもいいとこ……でも、みんななんとなく信じてた。生徒も、先生もね。わざわざ迷信打破みたいな真似して不要な波風立てたくなかっただけだろうけど、それでも同じことだよね、だから、うちの高校で放課後の放送をするときは、その時間だけは避けられてた。暗黙の了解みたいな感じでね。
先輩の名前が校舎中に叫び散らされたとき、練習場の大時計はその時間を指してた。だから私たちは気づいたし、怯えたんだ。馬鹿らしいけどね。
犯人はね、すぐ分かった。ベタだけど、先輩にレギュラー取られた二年生。部活で負けたのと、あとは全部への嫉妬。『姫様』なんて呼ばれて調子乗ってる、なんてことを泣きながら喚いてた。そんなこと言うようなやつだから全部負けるんだよって私は思ったけどね。
放送委員の子と組んで、そういうことをしたんだって。組んだ子は、普通に信じてなかったってだけの愉快犯。本当にそんなことあるわけないじゃないですか、って笑って委員会の顧問に怒鳴られたって。
けどね、私も同感だった。そんなことあるわけないって、私は思ってた。
なのに──放課後の放送があってから、先輩は分かり易く呪われていった。
もともと細身の人だったけど、頬がこけてね。顔色も紙みたいにくしゃくしゃになって、あんなに綺麗だった髪も、みるみるうちにもつれた糸束みたいになっていった。
そんな病人みたいになってるのに、部活だけは欠かさず来てた。元々みんな遠巻きにはしてたけど、いよいよ声が掛けられなくなってた。畏れ多い、じゃなくて恐ろしかったんだよ。ひどいけども。
その日、締めの──戸締りの当番、私と先輩だったから。思い切って聞いたの。大丈夫ですか、具合とか悪くないですかって。
先輩、ちょっとだけ驚いた顔をしてから笑ってくれた。笑い方は当然だけども変わってなくて、やっぱり綺麗だった。
──夢を見るの。
先輩はそう言ってから、ぽつぽつと語ってくれた。
眠ると、いつの間にか教室にいる。制服を着て、自分の席に座っている。動けずにいると、突然後ろに誰かがの気配が湧く。
そいつがずっと、自分の名前を呼んでくるのだという。
恨み言も何も言わない。私の名前を呼んでいるだけ。それだけなのに、無性に恐ろしいんだ──。
つまらない話だね、って先輩は笑った。そうして、内緒にしてくれって私に言った。多分私、頷いたと思う。
それからだんだん先輩、休みがちになっていって。部活にはぎりぎりまで顔出してたけど、どんどん顔色も悪くなって、でも私にはどうしようもなくって。
夏休みの前、最後の練習。それで、もう会えなかった。
休み明けの朝練で、顧問の先生が先輩が退部したってことを報告して、それきり。学校でも見かけることはなくなって、噂で不登校だとか自殺したとか死んだとかもあったけど、それもすぐに立ち消えた。
そうして、みんな先輩を、『姫様』を忘れたんだ。
みんな、あんなに先輩にきゃあきゃあ騒いでたのにね。いなくなった途端にぴたっと口にしなくなって。そんな人いませんでした、みたいな顔しててさ。それが、嫌だったな。
何もかもなかったことにして、学校の怪談なんか信じて。二年の馬鹿なんかただのきっかけだよ。何にも知らない周りの連中が、勝手に本当の呪いを掛けたようなものだよ。全部嘘だって、そんなの気のせいだって、みんなそう思ってたらあんなことにはならなかったんだって、私はそう思ってた。
でもそんなこと表立って言えなくて──悲しかった。きっと。表立って言えない時点で、私も同罪だけどね。
こないだ実家帰った時、大掃除がてら本棚の整理をしたんだ。そうしたら、高校のアルバムが出てきてさ。部活特集、みたいなページがあったの。私が一年生のときのね。
集合写真、見たんだけど。私、分かんなくなっちゃってた。どれが『姫様』だったのか、全然。顔も、名前も、全部。
話さなくなったから、忘れちゃったんだって思った。だから稲谷くんに話しておきたかった。
──駄目なのはね、意味がないのも分かってるの。今更ね、こんなことする資格なんてないのも、きっと。だからその、ごめんね。
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