攪拌:後輩問答
「どうですか集めてみて」
「意外と続くもんだなって思ってる」
「ランニング始めたみたいに言うじゃないですか」
「そんな健康的な趣味かよ……」
駅前の商業施設、その地下のフードコート。夕方という時間帯のせいだろう、周囲には学校帰りらしい高校生が賑やかにたむろしている。
午後の授業を終え、何となく立ち寄ったサークル室でぼんやりしていたところに現れた川野に連れてこられたのだ。これまでの怪談収集の経過報告という名目には納得したが、一体何を話せばいいのかが見当がつかない。
妙に塩気の強いポテトを齧りながら、俺はとりあえず思い浮かんだことを口にする。
「テレビでやるようなのはともかく、みんな結構持ってんだなって思った」
「……派手なやつ、やっぱ欲しいですか」
川野は少しだけ考え込むような顔をした。誤解というか齟齬が発生しているであろうことに気づき、俺は慌てて言葉を続ける。
「そういう話じゃない。そうじゃなくて……何だろうな、高嶺の花ですげえレアいと思ってたやつが、意外と手近にへろへろ咲いてたみたいなやつだよ」
起こった怪異の程度は確かに地味──少なくとも派手に血が出たり死人が出たりするようなことはない──だが、それなりに異様な経験がある人間はそれなりにいるのだ。普通の大学生だと思っていた人間から思いもよらない話が出てくると、驚きとも恐れともつかない感覚に襲われる。
それこそテレビか本でしか遭遇しないような非日常かつ非現実的なことを、隣に居る人間が体験しているという感覚──背中の皮膚を痛みもなく剥がされていたことに今更気づいたような、不快とも恐怖とも判断しがたいものがある。
勿論そのすべてが見間違いや虚言だとすれば平穏無事に終わるのだが、そういうわけにもいかないだろう。体験者も『見間違いかもしれない』『勘違いかもしれない』と自覚しつつ、それでも片づけきれなかった代物を話してくれた。自身の人格や諸々を疑われかねないと理解しつつ、その通りに話さざるを得なかったというのは重要なことだろう。
「みんな意外と……お化け? みたいなもんは見てるんだなって。それが意外だったな、俺としては」
「別に全部お化けとは限らないですけどね。分かんなかったら、結局全部お化けにしちゃいますから、皆さん」
「乱暴じゃない? どっちも」
「でもそうすると楽じゃないですか」
口の端を吊り上げてから川野は続けた。
「飛べる人間の仕組みを考えるより、幽霊だ怪異だバケモノだってやった方が面倒がなくていいじゃないですか。向こうは何でもありなんだから」
川野の言葉に俺は考え込む。
その通りではあるのだけども、納得するのが面白くないのだ。
聞き集めた怪談に出てくる怪異も、勿論怪異と認識されるだけの怪事は為している。端的に言えば『物理的に不可能な行為』だ。
そんなに派手な芸当ではないけども、生身で行うには難易度が高い行為が幾つかある。いない筈のところに同じ顔の人間が存在したり、同一人物が家主の誰にも咎められることなく毎日違うベランダに立っていたり、逆さまで湯船の上に現れたり──こういった真似をするのは、生身の人間にとっては非常に難しいはずだ。
人間にできないことができる。人の形を、姿を保っているのに決定的なところを踏み外している。
その差異を理解するからこそ恐ろしい、と
「死んだくらいでそんなこと、できるわけがないんですけどね」
川野の言葉にぎくりとする。思っていたことをそのまま口に出されたからだ。
俺の顔を正面から見て、川野はへらへらと笑った。
「なんですか先輩、その顔。カブりました?」
「心とか読まれたと思った」
「いやいや普通でしょう、この辺。大体みんな考えるんですよ。ちょっと死んだくらいでそんなことができるか、みたいなことは」
予言とかポルターガイストとかがそうですよねとおよそ店の雰囲気に似つかわしくない単語を吐いて、川野は続けた。
「まあ、人間じゃないものにどこまで人間の理屈が通じるかみたいな話になりますし、大霊界みたいな独自ルールなんか出されるとどうしようもないですけど……先輩は何か考えてるんです?」
「……ちょっとだけ」
「教えてくれませんか、聞いてみたいんで」
「体がないから、みたいなことなんじゃないかっていうのは、あるな」
川野の眉間に微かに皺が寄った。こいつは思ったより隠し事が下手なんじゃないかと思いながら、俺は続けた。
「幽霊が何で物理に干渉できるか、とかそういうのはともかく……肉体がないから、肉体の形に影響されない動きができるんじゃないかとは、思った」
「……入れ物が性能を、存在を決定するみたいな話ですか?」
「近いかもしれない。肉体ってさ、物理的に存在するだろ。重力に影響されるし、質量あるだろ。だから、物理法則に縛られるわけで」
腕と手があるから抱えて掴める、足があるから立って歩く、眼球があるから目で物を見る──肉体あってこそ生きているのが生者だが、だからこそ身体に性能が縛られる。物理的に手の届かない距離には触ることができず、生き物である以上は怪我をすれば痛みがあり、呼吸ができなければ死ぬ。
久東が怪談の前置きに話してくれたことと同じだろう。俺たちは人間として存在する以上、人間的な感覚を以てしか世界を理解できない、生き物である以上は生き物としてしか恐怖も歓喜も感じられないという内容のあれだ。胡乱な話だと思ったが、考えた挙句に同じような思考に行きつくのだから、俺に人を詰れるほども芸も意外性もないということだろう。
肉体という鎧であり枷である存在を失なったからこそ、物理法則及びこの世の諸々から外れることができるのではないかと、そんなことを考えていた。
川野は数度目を瞬いて、ぱちんと手を叩いた。
「体があるから体に縛られる、いいですねそれ。うわごとと哲学が良い具合にブレンドされてる」
「少なくとも浮いたりとか透けたりとかは、これでできるだろ。いやまあ、物理的に存在しないもんがなんで見えるんだって話は解決しないけど……」
「その辺言い出すと魂の
そういう具合に考えるんですねと称賛か罵倒なのかの判断がし辛いことを言って、川野は手元の紙コップに口をつけた。
「その、川野くんは何かあんの。俺は話したけど、そういう、仮説っていうか予想みたいなの」
「ありますよ。でも内緒です」
紙ストローをひねり折りながら川野は答えた。
「もうちょっとまとまってから、っていうか先輩がもうちょいまとめてくれたら俺も話しますよ……それに、表立って話すと、正気とか疑われますし」
そのまま目を細めた川野の目元に、一瞬照明の光が散る。
やけに白い肌の上、泣き黒子が印のように目立った。
物言いがどうにも生意気な上に棘があるのも確かだが、川野の協力に助けられているのは事実だ。サークルの内外を問わずに連れてきてくれている上に、見事な怪談の持ち主ばかりなのだから申し分がない。
どうやってそんな人脈とでもいうべきものを保持しているのかは興味があった。
「じゃあさ、こっちは聞いていい? どうやってその、ツテがあるのかってのが俺、気になるんだけど」
「一応ね、俺昔ここに住んでたんですよ。だから知り合いとか友達とか、そういうのがいるんです」
「田舎にいたのは」
以前話してくれたことを思い出して聞き返せば、返答のような瞬きが一度あった。
「いましたよ。そっちは家庭の事情、つうか。大体父親の仕事ですね。小学校くらいのときですね、その辺の都合で引っ越して……で、大学進学で俺だけ戻ってきたってだけですよ。偏差値ちょうどよかったんで」
川野は少しだけ目を伏せる。黒い目に影が落ちて、表情も何も読めなくなる。
「思い出深い場所ですよ。引越し先、何もなかったんで」
唐突に笑顔を作って、川野が視線をこちらに向ける。
「あとはほら、最初に言ったじゃないですか。好きなんですよそもそも、そういう話が。そういうこと伝えておけば、意外と集まるもんですよ、俺友達多いんで」
意外とみんなそういう話好きなんですよと言って、川野はカップを干す。ざらざらと音を立てて氷を流し込んだ口元から、噛み潰す派手な音が聞こえた。
その様を見ながら、俺はふと浮かんだ疑問を口にした。
「……俺が言うのもなんだけどさ、何で好きなんだろうな、そういう話」
「面白いからじゃないですか」
間髪入れずに返ってきた答えに、俺は川野の眼を見る。
ファストフードの強い照明の中でも黒い目、その中には俺が真直ぐに捉えられていた。
「人のこと好き勝手予想して想像して話すの、面白いじゃないですか。人間相手にそれやると訴えられますけど、死人やバケモノ相手なら好き放題ですし」
死人に口なしって言いますもんねと川野が口の端を吊り上げる。
唇の歪みが笑みなのかそれ以外のものなのかを見分けようとして、俺は諦めて目を逸らす。
「……どの道、もうちょっと続けるよ。だから、川野くんにも手伝ってもらえるとありがたいんだけど」
「それは勿論。そう言ってもらえるなら、俺としても嬉しい限りです」
明らかにいつもより快活に答えた川野の様子に、俺は何となく異様なものを感じて、不自然だと気づかれない程度に壁のポスターへと目を向ける。そのまま、努めて自然な口調になるように問いを投げる。
「あー……本当に好きなんだな、怖い話」
「そうですね。面白いですから、それに」
一瞬の間、賑やかなBGMも学生の歓声も途絶えた一瞬に滑り込むようにして、川野の言葉が続いた。
「好き勝手に話して、忘れて、そうして無責任に楽しんで──その結果回り回って、本当になったものが現れたりするんですよ、きっと」
忘れ難いサプライズになると思いませんかと目を輝かせて、川野は心底愉快そうな笑い声を立てた。
俺は愛想笑いをどうにか顔に貼り付ける。少々理解しがたいところはあるが、まだ怪談を集め続ける以上は川野の協力が必要だ。機嫌を損ねるわけにはいかない。
協力者のねじがちょっとぐらい飛んでいたところで、悪趣味の相棒にはちょうどいいだろうと己に言い聞かせて、俺は視線を落とす。
テーブルの上で冷めきったポテトが目に入る。干からびた指のようだと思いついて、自分がそんな想像をすることに驚きながら、俺はすっかり氷が融けて薄くなったコーラにようやく口をつけた。
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