似ない顔の話(石田さん・OB・男性:地)

 あんまりね、表沙汰にしてほしくないんだよ。

 や、法的に倫理的にどうこうってのは全然ないけど、ただ気まずいから。そこだけ守ってくれるんなら、僕としても話すのは大歓迎。広められると困るけど、喋りたくってしょうがなかったのも事実だからさ、いい加減。


 岩城からね、聞いたから。あいつ杉宮くんのこと気に入ってるからね、結構積極的に声掛けて回ってるよ。怖い話集めてる現役がいるって……別にいいんだよ先輩なんてね、好きに使ってやれば。こっちだって大人なんだから、適当にできる範囲で相手するし。年下が気遣うことなんてあまりないからね。

 そうだね、僕岩城と同期なんだよ。学科は違ったけど、僕もそこそこ酒飲む方だったから、それなりに付き合いがあって……ああ、観測とかはあんまり。国文だもの僕の専攻。観測所、山だからしんどくてさ。主に神話でこちゃこちゃやってたかな。北斗七星の伝承比較とかやった覚えがある。探せば残ってるかもしんないな、プラネタリウムの台本。そっちは秋の星座でやったんだ。好きなんだよ秋の夜空。地味でさ、見つけるのに根気と思い込みが要る具合が、面白くて。


 いや、これきりでしょう、君とはさ。僕、卒業してからはそんなにサークルとは関わってないし。だからこそ話す気になったってとこ、あるから。そういう点では感謝してるよ。

 別に君が気に食わないとか、そういうんじゃないんだ。ちょっとこう、話の内容がさ。生きてる人間しか出てこないから……うん。迷惑がね、もしかしたら掛かるから。でも、黙ってるのも辛くなったっていう僕の都合なんだよ。ごめんな。後輩を穴扱いするってのも、なかなかな所業だね。でも、僕の耳がロバになるならまだしも、人の耳がなるんだったらひどいじゃない。だからまあ、お誂え向きに開いてる穴にね、話をしにきたんだよ。


 継父なんだよね、僕の親。血の繋がってるやつはね、なんか早くに死んだかなんかしたみたい。聞くと怒られるから、細かく知らないんだよ。

 四年生の時に母が再婚してさ。そんで連れ子がいたので、僕は弟になりました。別にそこは良かったんだよね。いいひとなんで、どちらも。

 連れ子、義兄──義実さん、ってことにしとくよ。義実さん、僕の四つ上でさ。初めて会ったときに、わざわざ膝ついて視線を合わせてくれた。すごいだろ、中学生でそんなことできるのってさ。余程できた人か、随分ひどい目に遭ったかのどっちかでしかないでしょう、そんなの。偏見かもしれないけど、僕はそう思うよ。


 嫌いじゃないんだよね。うん。それは本当。いい人で、優秀で、急ごしらえの弟にも優しくって……恨めるところ、ないでしょう。客観的に世間的に。ねえ?


 実際自慢の義兄あにだったよ。部活、剣道部だったんだけど大会レギュラーだったし、テストだって九割平均で県一番の進学校志望で、素行も優良。文句のつけようがない。人生二週目ですか、ってくらいに上手くやってた。

 学校でそれだけきちんと生きてるのに、家でもいい人やってたからね。

 中学生で再婚で相手方には連れ子アリとか、一般的にはそこそこの心労案件じゃん。でも、義実さんはそんな素振りは一切見せなかった。無駄に家族ぶりっこするわけでも、拗ねて駄々こねるような真似もしなかった。ただ淡々と、誠実に──そう、誠実なんだ、あの人。

 勉強も聞いたら教えてくれた、買ってきた漫画雑誌を読ませてくれた、夏祭りにも、プールにも嫌な顔せずに付き合ってくれた。実の兄弟だってそこまでできないだろ。けど、義実さんはやり切った。降って湧いた義理の弟に、きちんと兄として接してくれたんだから。


 あの人が兄になって、二年目の夏だった。夏休みに合わせて、日帰りで海に行ったんだよ。近くに母方の菩提寺があって、墓参りついでに、みたいな理由だったんだけど。

 僕としては当たり前だけど海がメインだったよね。墓参り、楽しくないから。草毟って墓磨いて線香あげて、手洗ってからお供えしたもそもその赤飯食わされてさ。あれ本当おいしくないんだよ。そもそも僕、小豆嫌いだしさ。半分食べてしんどくなってたら、義実さんが引き受けてくれた。

 そうやってクソ暑い中の墓参りを済ませて、海に行った。泳いだりはしないよ。もう夕方近かったしね。波打ち際で貝拾ったり蟹探したり、ばしゃばしゃ波蹴っ飛ばしたりしてた。母さんたちは遠くで見てた……と思うけどね。覚えてないんだよ、その辺。近くにいなかったのは確か。

 僕と、義実さんだけだった。午後の日射しにぎらぎら光る波の側で、濡れた砂を踏んで歩いてた。

 肩をね、掴まれたんだ。

 びっくりして振り返った。義実さんが後ろをついてきてくれてるのは知ってたけど、そういう乱暴なことをされたことってなかったから。


「足元。ガラスあるから、気をつけて」


 当たり前だけど、義実さんの声だった。そうか危ないのが見えたから止めてくれたんだな、後ろから見てくれてるんだもんな、って思った。やっぱり義実さん優しいんだな、ともね。保護者じゃんねえ。兄っていうよりさ。


 そのまま顔見てありがとう、って言おうとしたけど──言えなかった。

 立ってたの、違う人だったから。


 顔がね、全然違うんだ。

 服装も、左手の黒子も、背丈も義実さんそのままなのに、顔だけ別の人だった。光の加減とかそういうレベルじゃなくて、別人。一重だったのが彫りの深い二重になってて、口元からやけに大きい犬歯が覗いて、目の際に二つ黒子があって。いつも見慣れた義実さんの顔じゃあ、絶対になかった。


 怖かったから、そのまま足を止めてその顔をじっと見てた。義実さん、僕と足元のガラス片を見てから、


 その表情だけは、同じだった。


 家で、学校で、たまに見せる顔。僕に対して謝るような……媚びるような、あの痛ましい表情。顔のパーツは違っているのに、その動きだけが寸分違わず一緒だった。だから、僕はこの人はやっぱり義実さんなんだと分かった。夏の夕日で真っ赤に染まった他人の顔。だけど、僕の肩を掴む掌の大きさも視線も声も何もかも、義実さんのままだった。


 だから、まあ、いいかなって。言うこと聞いて、そろそろ帰ろうかって親んとこ戻って、その日はおしまいになった。次の日の朝、朝食で顔合わせたときはいつもの義実さんの顔だった。いつもみたいに挨拶して、学校行って、何事もなかったことにできた。


 で、その夏からなんだよね。義実さんの顔が変わるようになったの。


 毎日日替わり、みたいなことはなかったんだけどね。二ヶ月に一回、ぐらいの頻度かな。ふと気づくと全く別人の顔になってる。それもあの夏の日に見た顔だけじゃなくて、色んな顔。垂れ目の気弱そうな野郎だったり、人相の悪いお兄さんだったり、幸薄そうな色白の子供の顔だったり。でも、声と表情は義実さんのまま。

 そんなことが起きているのに、気づくのは僕だけだった。義父とうさんも、母さんも気づかない。義実さん自身がどうだったかは分からないけど、気づいてたら教えてくれたと思う。そうしないと僕が怖がる、ってことぐらいは考えるだろうから、あの人。

 僕だけ気づくってのがね、その……嫌なんだよね。僕だけが義実さん──義兄の異変に気づく。それがこう、意味ありげで。血の繋がりも何もない、たまたま戸籍上で結ばれた縁ってだけなのに。そういうものを読み取れてしまうっていうのが、僕は不愉快だね。うまく言えないけど、。少なくとも、僕はそう思った。


 秘密だよ。言えるわけがないし、どう言うべきかも分からなかった。


 そうして秘密のまま、ちゃんと生活を続けて、義実さんも僕も社会人になった。二人して家を出たけど、わだかまりとかそういうのがあったわけじゃないしね。義実さんは就職先の関係だし、僕に至っては一人暮らしをしたかったからってだけだから。職場に近いところにマンション借りたよ。市役所だから。そうやって僕も義実さんも二人とも、家は出た。けど土地は出てないんだよ。

 だからちゃんと仲良くやってるよ。たまに飯の誘いも来る。それに、今年の夏も実家に帰る予定だからね。律義なんだよね、長い休みになると、顔見せに帰ってくる。だから、そんときに顔、合わせることになると思う。

 今度はどんな顔に見えるか──またあの顔に会ったら、僕は喜んだ方がいいのかね。懐かしむ、べきかな。思い出の顔だ。それに義実さんの顔だからね、結局はさ。

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