増えた話(川平・大学一年・男性:地)

 助かりました。とりあえず、関わりのなさそうな誰かに話しておかないと気持ちが悪かったんで。知らん顔してなかったことにするには、なんか、かわいそうな気がして。


 そうです、川野とは科が一緒なんです。俺も史学科で……名字が川平なんで、川野の隣だったんですよ、オリエンテーションで。そのとき俺がボールペン忘れてて、あいつに借りてから付き合いが続いてる感じです。言語も一緒なんですよ。俺もあいつもドイツ語取ってます。

 分かってます。ちょうどそういう体験したばっかなんで、ちゃんと話せます。

 川野から聞かれたときは、タイミング的に嫌だな、とかもちょっと思いました。なんせ今までそういう体験しないまんま生きてきてて、人生の初体験を終えた直後にそういう話の有無を聞かれたわけですからね。なんかこう、疑うじゃないですか、意図。いや、川野とか稲谷さんのじゃなくって、もうちょっと非科学的ななんかのやつですけど。


 兄の家ってご存じですか。

 市内の……市役所近くの、国道からちょっと入ったところ。見るからにボロいっていうか、なんかそういう家ばっかり並んでる区画があるんですよ。高校真ん前にあるのに、薄暗いっていうか、雰囲気悪いっていうか。昼間歩くとやたらガラと人相の悪い年寄りばっかりいるようなところです。

 そこん中で、ちょっとだけ大きい家です。茂りまくって道に枝突き出してる生垣の成れの果てみたいなやつがあって、庭先に埃まみれでタイヤのない車が三台止まってる。

 そこが兄の家って呼ばれてます。

 結構古いとこだと思います。庭先の車、なんか角ばってるんですよね。古い車ってそんな感じじゃありません? ハーモニカみたいな。そういうごつい車が錆びまみれでごろごろ放っておかれてる。

 玄関なんかもいかにも昭和の一戸建て、みたいな格子の引き戸なんです。そう、割られたりとか全然してない。何だろうな、行儀のいい廃屋なんです。荒れ果て方が地味、なんですかね。落書きとかも全然ないし。


 兄の家、って呼ばれてる理由は大体三種類くらいですね。

 俺の通ってた中学だと、不良の兄がヤクザの女に手出して、その落とし前に本人以外の親族を惨殺されて、戻ってきた兄が庭先で首括ったって話でした。兄が全部悪いやつですね。他のやつはですね、気が狂った兄が家族を全員殺してから取っ捕まって病院にいたけど逃げ出したってのと、頭のおかしい一家の中で唯一まともに頑張ってた兄がぷっつんして全員毒盛って殺して自分も死んだって話があります。

 全部兄のせいなんですよ。だから兄の家、って呼ばれてました。分かりやすいですね。


 で、俺弟いるんですよ、二年違いの。

 そいつそこに行ったんです。兄の家に。


 俺は行ってないです。弟が行ってたってことも全然知らなくって、帰ってきてから話を聞いたんで。

 弟高校生なんですけど、部活でそこそこ帰りが暗くなるんですよね。そんときに一緒に帰ってる友達とそういう話になって、じゃあ近いからちょっと寄って帰ろうぜって決まったそうなんです。暇潰しっていうか、肝試しみたいな。

 で、別に何もなかったんだそうです。

 弟も普通に帰ってきてて、夕飯食べてからゲームしてました。そんときにゲームで協力プレイしてて、雑談として話してくれたんですけどね。本人も不本意そうな顔してました。

 庭先、ぐるっと見て回ったんだそうです。

 さっきも言いましたけど、綺麗な廃屋なんですよね。壁とか扉もしっかりしてて、建物の中には入れない。だから、庭先の入れる範囲で探検することにしたんだそうです。何ていうか、行儀がいいですよね。ぶっ壊して入るとか、そういうこと誰も思いつかないあたり。

 そうやって庭をうろうろして、わさわさ伸びてきてる草に足引っ掛かれたり、急に柔らかい土踏んで転びそうになったりとか……そこそこ面白かったそうです。普通の探検ですね、裏山とかの。

 変なものも何もなくて。物干し竿の台座だけあったらしいですけど、そんなの古い家ならそこそこある代物ですし。定番だったら井戸とか立木とかなんでしょうけど、そういうものもなかったそうです。


 ただ、台座だけ。きっちり間隔を空けて、今でも竿さえ置けば洗濯物が干せるような高さで、残っていたそうです。


 裏庭通るときはちょっと怖かった、らしいですけどね。恐らく台所だろう場所のすりガラス、その傍を通らなくちゃいけなかったんだそうです。洗剤の容器っぽい影とか透けて見えて、ここで人影とか大声とか聞こえたらとても嫌だなって思ったそうです。

 ぐるっと抜けて、正面に戻ってきたそうです。それでおしまい。何ともなかったなって友達と話して、そのまま帰ってきたそうです。


 何も起きませんでした。無事に帰ってきて、風呂に入って、寝て。当たり前ですけど、怖くて眠れないなんてこともなかったそうです。


 次の日でした。俺、その日は朝からずっと授業コマ入れてる日だったんですよ。だから家帰ったの、俺が一番最後でした。

 ただいまって玄関開けたら、弟が膝抱えて座ってるんです。

 どうしたんだ具合悪いのかみたいに声を掛けたと思います。いきなり座り込んでる人間見たら、それぐらいしか思いつかなかったんです。

 弟、顔を上げて俺を見ました。そのままじろじろ俺の顔眺めてから、


「やっぱり兄ちゃんこういう顔だよな」


 その口調が──落胆、というか。大事なものを諦めた、みたいな感じだったので。なんかあったのか、って聞きました。そしたら弟、ちょっとだけ眉間に皺を寄せてから、答えてくれました。


 兄ちゃんに、俺に、会ったんだそうです。


 分かんないですよね。俺も分かりませんでした。説明してもらったんで、もうちょっと聞いてください。

 弟、その日もちゃんと学校行ってたんですね。んで、昼休みに近くのコンビニに飯買いに行ったそうです。

 コンビニの真正面で、突っ立ってる俺がいたんだそうです。

 あれ兄ちゃんなんでこんなところにいるんだ、って思ったんだそうです。とりあえず声掛けようかと思ったら、どうやら電話してる。耳元にスマホ当てて、何か喋ってる。じゃあ話しかけたら邪魔になるかな、ってとりあえず買い物だけ済まそうと横を通ったら、ふと音が途絶えた。首筋がちりってして、こう、見られてるな、って思ったそうです。だから、横を向いた。


 スマホを耳に当てたまま、ちょっとだけ笑って。口元にこう、指を──そう、内緒にしてくれ、みたいなポーズで、弟の方を見ていたそうです。俺。


 弟、何かよく分からないけど取り込んでんだろうな、みたいに思ってくれたそうです。頷いてから、コンビニに入った。菓子パンと肉まん買って、出てきたら俺はもういなかったそうです。それはまあ、気にしなかったそうです。何か用事だったんだろうな、ぐらいにしか思わなかった。

 そんなことを昼飯食いながら友達に話したら、友達が妙な顔で黙ったんだそうです。

 友達はね、朝来るときに買ったんですよ、昼飯。そんときにやっぱり、コンビニで同じ男を見た。そいつ俺の顔知らないんですけど、動作は覚えてました。内緒のポーズです。知らんやつな上にそんなことしてくるやつですからね、何だろキモいなって覚えていたそうです。

 もう一人は電車通学なんですけど、乗ったときに。見た。やっぱり唇に指当てて、こう、申し訳なさそうに笑ってたって。


 おかしいですよね。

 勿論、俺じゃないです。俺、ずっと大学にいましたから。電車もその路線は使ってません。証明も、多分頑張ればできます。定期ICだし、出欠リーダーなんで。


 言うまでもないですけど、そいつらは兄の家に行ったやつらです。

 つまり、行った連中が色んなところで俺を見るようになった、わけです。ええ、さっきも弟から連絡が来ました。今朝は俺、ガソリンスタンドにいたそうです。ガソリン入れてる車の横で、やっぱり内緒だってにこにこして。

 誰か俺の姿を使ってるんですかね。何がそんな気に入ったのか……俺は行かなかったのに、迷惑な話です。行ったのは弟なんですよ? 俺じゃない。意味が分からないじゃないですか。


 ドッペルゲンガー、知ってます。何でしたっけ、太宰とかでしたっけ? 見たの。でもあの人ドッペル見ても見なくても死にそうな感じの人ですよね。芥川の方ったって……そうですね。あの辺の作家、みんなドッペル関係なしに死亡フラグ立ててるタイプばっかりですね。

 俺、どうなんですかね。見て死んでもまあいいですけど、何で俺だけそんな目に遭わないといけないのかっていうの、分かんないのは嫌ですね。

 それ答えてくれるんなら、一回会ってはみたいです。だとしたら、俺も心霊スポット行かないと駄目ですかね、条件的に。せめて俺が本命なのか巻き添えなのか、それだけでも教えてほしいんですけどね、最低限。

 やっぱり内緒なんですかね、そういうの。ほら、コンプラ的なやつとかで。俺も内緒にするって言ったら、教えてもらえますかね。

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