拡散:先輩の言うには、

「お前さ、出会いとか探してんの。稲谷」


 サークルの例会がつつがなく終わったあとの帰り道。

 頭の少し上からかけられた言葉の内容が予想だにしなかったもの過ぎて、俺は見上げたままぽかんと口を開いた。

 ぼさぼさの黒髪。浅黒く日灼けた肌にくたびれた柄シャツが合わさって、胡散臭いことこの上ない。

 怠そうな半眼は電灯の光を飲んで黒く、冷やかに俺を見下ろしていた。


「だとしたら狙いは絞った方がいいと思うぜ」

「は」

「下手な鉄砲式かもしんねえけど、撃ち損ねた獲物にだって口があるからな。ちゃんととどめを刺すか因果を含めてやんねえと、後々困るのお前だよ」


 にこやかな口調とは裏腹の棘のある言葉だった。


「あ──あの、違います。出会いとか、そういうんじゃないです」

「じゃあ何? 宗教勧誘とかマルチのカモ狙いとか始めたんだとしたら、俺お前のこと叩き出さなきゃいけないんだけど。サークルのさ、渉外担当としてはさ、一応ね」


 一年からの付き合いだから警告はするんだよと嘯く口、その端だけが吊り上がる。その笑顔に似た表情には剣呑な気配があって、俺はことにようやく気づく。


「違います。あの──誤解です、杉宮すぎみや先輩」

「誤解?」

「誤解です。その、説明をさせてくれませんか。できますから。ちゃんと」


 近くのファミレスでどうですかと懇願すれば、先輩はしばらく真顔で俺を見下ろしてから、


「いいよ。俺の名前も覚えてたしな。理由があるなら聞いてはやるよ」


 そう言って杉宮先輩は真っ黒な目を細める。その表情に対しても俺は愛想笑いがどうにもうまく返せず、誤魔化すように深々と頭を下げた。


***


「怖い話集めてんの? なんで?」


 ファミレスの賑わいに紛れて、子供のような問いかけが飛んできた。

 俺は少し考えてから、とりあえず発端から説明をしようと試みる。


「あの……聞いてませんか、田津先輩から。櫛田先輩のこと」

「櫛田のことは知ってるよ。あれ始末つけたの俺だもん。OBに連絡取ってさ」


 おかげで俺が怒られたんだよとほんの少しだけ拗ねたような口調で答えた。


櫛田あいつもさあ、いい歳してどうも呑気っていうか雑っていうか……二十越えて心霊スポット探検とかやるんだもん。それもよりによってのとこ選ぶしさ」

「よりにもよって、なんですか」

「有名だもんホワイトマンション。ここ数年だけどね」

「先輩そういうこと知ってるんですか」

「OBさんと飲んだときにそういう話題になったから。危険個所は共有しとかないとさ、馬鹿が何やるか分かんないし」


 面倒具合を思い出したのか、杉宮先輩が舌打ちをしてみせる。そのまま手元のコーヒーを勢いよく呷って、しんどそうな溜息をついた。


 柄シャツと雑に伸びた黒髪に胡乱な三白眼。Vシネに出てくるチンピラじみた外見ではあるが、杉宮先輩はれっきとした大学生であり、俺の所属するサークルの運営にも役職持ちとして尽力しているそこそこにまともな人だ。


 その人に睨まれていたというのは、それだけ俺が目立っていたということだろうか──それとも、単純に櫛田先輩絡みで『その手のこと怪談及び心霊的お遊び』に対して過敏になっていたのか、どちらなのか判断がつけられない。


「先輩、あの……もう一度確認していいですか。俺は何を疑われてたんですか」

「宗教勧誘かマルチ。あとナンパ」


 ぶっきらぼうに返ってきた答えは路上で投げつけられたものとほぼ同じだった。


「何か最近、色んなやつとお話しまくってるみたいだからさ。理由まではちゃんと聞いてなかったけど、お前一年のときはそういうことするキャラじゃなかったじゃん。じゃあ何かこう、櫛田のやつで宗教とか転んだかなって」

「ナンパは……?」

「人呼び出して一対一で話したがるって、宗教かマルチじゃなかったらナンパぐらいしかねえだろ。怖い話集めてるなんて思わねえもん」

「……ですよねえ」


 至極真っ当な疑問に俺は思わず頷く。

 先輩は呆れたような顔をした。


「一応、田津さんには話したんですよ。こういうこと怖い話蒐集するって」

「そうなの? 聞いてない」

「櫛田先輩のことで田津さんとお話ししたんじゃないんですか?」

「櫛田のことは話したよ。けど、別にお前のことは何にも言ってなかったぞ、あいつ。お前無事だったし、別に聞くようなこともなかったし」


 考えてみれば当たり前だ。

 櫛田先輩の件が原因とはいえ、俺はその事件に関しては言ってしまえば無関係だ。現場ホワイトマンションに一緒に行ったわけでもなく、ただ見送って明け方まで酒を飲んで先輩の部屋に居座っていただけ──目撃者でも体験者でもなんでもないのだ。

 怪訝そうに眉間に皺を寄せてこちらを見ている先輩に視線を返して、俺は口を開く。


「櫛田先輩の件で、っていうのは合ってますけど。もうちょっとこう……趣味の方です」


 俺は正直に、慎重に説明した。

 櫛田先輩が理由に納得がいかなかったこと。怪異や幽霊になにができるのかが気になったこと。それを知るために怪談を集め始めたこと──つまりは全て、自己満足のための悪趣味だということ。

 話し終わる頃には先輩のコーヒーカップは空になっていて、先輩は相変わらずの曇天のような眼のまま、じっと俺のことを見ていた。


 やけに哀愁を帯びたBGMが一段落して、すぐに新しい曲に切り替わる。洒落ているのに印象に残らないメロディーの中、二人で黙り込む。

 口火を切ったのは先輩からだった。


「正直、倫理的にはあれだ、動機がダメだろ。面接で言ったら落とされるやつ」

「ですよね。悪趣味なのは自覚してます」

「ただ、そうやって怪談集めんのがおもしれえのは確かだ」


 少しだけ先輩の目が細くなった。俺は恐る恐る言葉を続ける。


「好きなんですか、先輩。怪談とか」

「好きだよ」


 短い返答。ひどく簡潔な内容だった。

 先輩は空のカップを弄びながら続けた。


「暇が潰れるしな。それに、ホラー映画だと悪いやつがちゃんと死ぬから」


 そうか趣味かと考えこむように俯いてから、先輩は急に顔を上げた。


「……今回の件はさ、行っちゃいけないところに行ったってのが一番悪かったんだよな」

「はあ」

「俺はそういうのはそれなりに把握してるんだよ。役目だから」


 先輩はゆっくりとまばたきをした。


「俺渉外っつうか、OBとの連絡係じゃん? たまにあるんだよそういう連絡事項。サークル運営を円滑に行うっていうのが役職持ちの仕事だから」

「それは……はい。俺も分かります」


 先輩は小さく頷いて話を続ける。


「結構あるんだよ、連絡事項。OBや他の連中からの伝聞で、現役をこいつとは関わらせちゃいけないとかこいつに下級生を近づけるなとかこいつに酒飲ませるなとか。じゃあ野放しにすんなよって話だけど、日本って一応民主国家だし人権ってのがあるんだよな」


 俺は今まで参加した行事や飲み会のことを思い出す。考え込むまでもなく、杉宮先輩の話す内容に思い当たる節があった。


「お前今、笹原さんとか思い出してるだろ。あの人もな、多めに金出してくれるから無下にもできないんだけど……ま、オフレコだ。留年したくないならほどほどに躱しとけ」


 一留してる俺が言えた義理じゃないけどなと先輩は笑い交じりに呟き、俺は突然壁の絵画に興味が逸れたふりをした。


「そういう──櫛田とか笹原さんみたいな話はな、俺が一年のときにもあったんだよ。やたらメシに連れてってくれるOBさんがいた。いっつも同じ飯屋で、後輩連れてっては奢ってくれてな」

「いい人じゃないですか」


 そうだなと先輩は返して、


「一人金欠だったのかウマが合ったのか、ともかく結構な頻度で付き合ってたやつがいて──結局そいつは帰ってこなくなったし、飯屋は別の店になってた」

「なんですかそれ」

「知らね。店もさ、見に行ったらなんかお洒落なラーメン屋になっててな……板前三年フレンチ二年で和洋折衷ラーメンみたいな看板だったけど、どっちも半端もんじゃねえかって思ったっけ」


 ちょっと前まで小汚い食堂だったのになと言う先輩の声は意外なほどに小さかった。


「……要するにさ、そうやって勝手に訳分からんことやられると困るわけよ。直近としては櫛田のこともあるし。サークル解散とかになったら面倒過ぎるし」

「それは分かります。でも──」

「止める気もないだろ」


 見透かしたような先輩の言葉に俺は頷く。先輩はさして驚いた顔もせずに続けた。


「別にそりゃいいんだよ。そもそもただ怖い話集めてるってだけのやつを止める権限なんか誰も持ってねえよ。趣味じゃん」


 だったら俺も手伝ってやるよと先輩はまたしても予想しなかった言葉を吐いた。

 先輩の意図がすぐには理解できず、黙っているのも印象が悪いと咄嗟に考えて、俺はどうにか口を動かす。


「──いいんですか? 何でですか?」

「いいよ。そういう話ができそうなやつら探しとくから、お前好きに話聞けよ」

「ありがとうございます。でも、なんで」


 先輩は眠たげな眼をじろりとこちらに向けた。


「俺の立場としてはさ、サークル内の和? を乱すような真似をしなきゃぶっちゃけどうでもいいからな。そういうお遊びだってんなら、俺も手出しておいた方が楽だろ」


 悪ふざけは目の届く範囲でやられた方が安心だしなと先輩は笑う。

 その表情のまま、まっすぐ俺の目を見た。


「ただな、稲谷。櫛田の二の舞だけは踏むなよ」


 それだけ言って、先輩はカップを手に席を立つ。

 ドリンクバーに向かったのだろう。その背中から目を逸らして、俺は頼む気もないメニューの文字を読む。

 自分の悪ふざけが他人からどう見られるのか、それに気を配らなかった俺の落ち度だ。先輩の意図はともかく、俺としては協力者が増えたことを喜ぶべきだろう──そう考えた途端、短い溜息が零れた。趣味を、殊更に悪いものの説明をするときは神経を使う。

 先輩にも看破された通りだ。まだ止める気もないし、危ないことをする気もない。俺はただ話を聞き集めて、それを眺めて理解したいだけなのだから。櫛田先輩のように、自分からわざわざ危ないことを体験するつもりはない。

 やることは変わらない。広がったツテは上手く使えばいい。話を集めるだけならば、危険に直面することはない。

 そんなことを考えながら、俺は氷の融け切ったコーラに今更口をつけた。

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