第16話

 第五十回、白竜冠。十二の竜冠演舞の中でも三番目に古いこの演舞は、毎年六月、王都ウェステティアの南十字通り、第八代ウェステト国王アブル・ゼン・ウェステト・ウェステティアが手ずから作り上げた王立演舞場で執り行われる。

 ほぼ毎回国王が観覧すること、従う有力諸侯の参観、それに伴う貴賤を問わない大量の魔法使いの出場と予選の激しさなど、この演舞には様々な特異性があるが、中でも最も大きなものは、演舞場それ自体にあった。

 多くの演武場がコロッセウムに組する設計をとるのに反して、この王立演舞場は立体劇場風の形式を取っている。規定円形舞台の土壇の周りに座席が置かれるのは同様だが、段々に連なるのは八段程度で、それが一階、二階、三階と積み上げられていくようなかたちである。

 マナタイト防壁もそれに合わせやや特殊な形をしており、通常のドーム様ではなく、天井から地上まで一直線に降りた幕のようにして六角の柱を形成する。ステージの直上は吹き抜けとなっており、同じように六角形の青空が覗いていた。

「ちょっと、フィオーレさん。あなた、あれだけ得意げに宣言しておいて、二回戦に出場できていないじゃありませんの」

「へっ?」

 その片隅、三階の前めの座席に、わたしとイザベルさまは座っている。イザベルさまはジャーナルを広げて不満顔だ。

「あら、見落としました? 失礼……やっぱりありませんわよね?」

「あ、ああ。そうですね、あはは」

「まったく。また、何か考えないといけませんわよ。とはいえ、ひとまず今日は演舞を楽しみましょうか」

 ジャーナルを小さく畳んで鞄にしまっている横で、困惑をどうにか消化する。

 正直、バレているものだと思ってたんだけど。辺境貴族のことを調べているのに、王都の魔法使いのことは調べていないというのは……それは、イザベルさまのいうところの、野暮なのだろうか?

 と、その思考を割って入ってくる声がひとつ。

「フィオーレ様!」

 座席の間の通路をたかたかと駆けてきた小さく凝縮した快活さは、今日は場所に合わせているのか、やや背伸びした感じのクラシカルドレスに身を包んでいる。当然あの巨大なリュックサックも背負っていないので、思い出よりもだいぶ身軽そうだ。

「イーチナさん。こんにちは」

「はい、こんにちは! 今日はお招きいただき……ってうわぁ!」

 わたしの隣の座席に座りかけたイーチナさんが、わたしを挟んで反対側の席に座ったイザベルさまを見て大きく飛び上がる。まあ、本来なら貴賓席に座っているべきひとだ。無理からぬ反応だった。

「何ですの。人の顔を見るなり」

「いいいイザベル様。これは偶然、神の御業でございますね。わたくしめは恐れ多くもノルボース領に住まわせていただいているイーチナと申しまして」

「ああ。そういうこと。まあ、楽になさい。偶然ではありませんから」

「はい?」

「貴女、フィオーレさんのお友達なのでしょう。他はともかく、その点では立場は同じですわ」

「……え?」

 イーチナさんが固まった笑顔をこちらに向けてくる。怖い。

「あっほら、始まりますよ」

 わたしは審判台を指さして、会話をうやむやに終えた。

 騎士たちが開幕儀礼を終える。二本の剣が突き立ったそこに審判者が現れると、劇場内のマナタイト灯がふっと明かりを落とし、自然ときらびやかなステージ上だけが観客の認める世界となった。

 二回戦第一試合が始まる。

 破壊使いアプル・ゴルプ・ウェスタと万能の魔女ソーマ・ヴィ・クライン。

 左右から入場してきた二人の魔法使いが左手袋を抜き、素手となった指先を天へと掲げる。

 それに天上から返されるようなベルとともに、白竜冠がそのあぎとを剥いた。

 けれど嚙み砕かれるのは一瞬だ。

 ソーマが開戦直後距離を詰め、怒涛の剣舞を披露する。一撃一撃が剣と鞭の二重奏となって襲い来る風をまとった剣。防戦一方だったアプルさんは、けれどその瞳に笑みを浮かべる。

 直後、突然ソーマは浮遊の魔法の乗った跳躍で接近戦を離脱しながら、創造の魔法でアプルさんの周り四方に壁を形成。焦燥を浮かべたアプルさんの顔が最後に映り、爆発。天井付近にまで爆風が吹き上がる。ニアダールの爆炎を逆に利用したのだ。

「すごいです。私はやられるだけだったのに」

「魔法を潰されて負けるだなんて、最悪の負け方ですわ」

 魔法を見てもらうための舞台で、だからなあ。──さて。

「わたし、ちょっと」

 席を立つと、イザベルさまは小さくため息。

「早めにお戻りなさいね」

「フレザリオ様の出番もありますからね!」

「そうですね。善処します」

 腰をかがめながら座席を出て、場外へと続く扉に向かう。

 取っ手に手をかけたところで振り返る。ふたりは次の選手の入場に見入っているようだ。

 今日、わたしは、わたしがわたしでいられる場所をつくる。

 イーチナさんの隣で胸を張れる自分を。

 イザベルさまの隣で過ごせる毎日を。

 ソーマさんの隣で笑える、幸せを。

 ふぅと一呼吸して、重く分厚い扉を開く。

 一度フロントへ向かって荷物を受け取ってから、廊下を何度か折れて関係者用通路へと回る。客向けに明るく絢爛な調度だったそれは、どこか委縮する暗い荘厳さに変わって続いていく。

 控室が並ぶところまで来ると、ちょうど向こうからやってきたソーマさんと視線が合った。

「やあ。初戦は勝ったよ」

「見てました。えげつなかったですね」

「できそうだと思ってしまったのでね」

 視界の端でよわよわしく背を丸めたアプルさんが控室に入っていくのが見えた。ご愁傷さまです。

「君も頑張れ。万一にも、私以外に負けてくれるなよ」

 トーナメント上、ソーマとはやや試合が離れている。二回戦、準決勝、順当に勝っていったとして、決勝戦で当たることになる。ただ、どこで当たろうと関係はなかった。

「勝つのはわたしです。ソーマにも、勝ちます」

 どちらともなく笑みがこぼれた。

「楽しみにしている。ではまた、ステージで会おう」

 ひらひらと手を振って控室に入っていくソーマを見送って、わたしはアプルさんと入れ替わりに控室に入った。

 十六歳の少女に見合った礼装を脱ぎ、幻想の貴公子がまとう黒色の騎士服へと袖を通す。

 ブーツの踵を揃え、マントを羽織り、髪を巡礼花の油で梳き流し、短く見えるようにセットした残りをマントの中へ。そして、仮面で目元を覆い隠す。

 僕の名前はフレザリオ。幽閉の塔を暴き、ユーレリア姫を救い出す、お伽噺の王子様。

 仮面の魔法が、わたしの目にする世界を変える。


 ルシオ・エルビム・アフェクトゥムと名乗った少年は、目を見張るべき創造使いだった。

 その手に持つマナタイト剣を無数に複製し、無造作に投擲してくる。その上、そのマナタイトとしての特質は健在であるがゆえに、避けたとしても、ステージに突き立っていくそれは周囲のマナを引きつけ、混乱したマナの流れは魔法の発動を原理的な部分で阻害しにかかる。

 そう、魔法使いとしては優秀だったのだが、それ以外はやや疑問だった。マナタイトを投擲するたび雄叫びというには無理がある奇声を上げ、視線はぐるぐると一意に定まらない。なんというか、倒錯している。

「ふ、ふふふ……君を倒せば、俺が貴公子だ!」

 別に称号はどうでもいい。名乗ったわけではないし。流転の貴公子に限らず、有名な魔法演舞者についている二つ名は、たいていキングマジックジャーナルが勝手に書いたのが浸透しているだけだ。だが、だからといって倒されてやるわけにはいかない。

 墓標のように並び立つ剣の群れから一本を引き抜く。創造属性に最適化されたそれは僕が使うには不便だが、単に剣として使うなら色は関係ない。再び投擲されたマナタイトに同様の投擲を以て答える。激しい金属音を上げ墜落する二振りのマナタイト。僕は一本、また一本とマナタイトを使い捨てながら、隙を伺う。

「俺の剣を、俺の名前を……」

 ざざ、とマナが引き潮のように彼一点に収束していく。ここだ。脚力だけで距離を詰め、ケイロスの光線の発動を試みる。が、運悪くマナが薄くなっている場所に当たってしまったらしく、集めた光がそのまま弾けた。だが、そこまでやってくれれば目的は達せた。閃光の瞬間、一気に踏み込み、すれ違いざまに二本のマナタイトでその身を切り上げる。

「勝手、に……?」

 宝珠が発動する。

 続く準決勝の相手は、カルゥ・トファエク・ラム・ソーンという女性。破壊使いだ。

 その血に連なる魔法使いが遺した魔法、トファエクの業火は、火球の魔法の拡大版、といった様相の魔法。演舞場一帯に絶えず降り注ぐ複数の巨大な火球は、転移先に攻撃を置かれるという僕の弱点を突いているかに思えた。事実、これを風の魔法に置き換えたものに、かつて僕は敗北した。

 だが、何か違う。ソーマの時に感じたような、転移先を読まれているような感覚がない。避けきれる。では──あのとき、ソーマは何をしていたのか。

「ちょこまかと!」

 焦れた叫びを経て、彼女の攻め手ががらりと変わる。大袈裟で、大雑把な面攻撃から、次に繰り出されたのは無数の線。破裂した火球が無数の火山弾と化し、何度も爆発を繰り返しながら、彼女自身すら認識できないだろう無軌道な超速度で、あらゆるものを蹂躙しにかかる。

 ぐっと瞳に力を込める。赤光の舞い散る世界がどんよりと速度感を延伸させ、限りなくゆっくりと流れていく。コンマ一秒を縫って転移を繰り返し、ようやくその途切れを見る。

「なんなのよ、貴方……!」

 肩で息をしながらこちらを睨みつけるそこへ、上段蹴りを繰り出しながら転移。狙い違わず首筋にクリーンヒットし、宝珠が発動した。


 控室に戻り、目薬を差して、数度まばたき。

「ふぅ……」

 さすがに、準決勝は辛勝といったところだった。まかり間違ったら、というか普通に運が悪かったら負けていただろう。視界内に自分の身体を収められるだけの安全地帯がなければ、転移で避け続けるという構図はそもそも成立しない。

 目薬を鞄にしまい、代わりに黒いウサギの陶器人形を出してみる。目薬を持ってくるとき、なんとなく窓際にあったのが目に留まって持ってきたものだ。

 表面は光に反射してつやつやと輝いているが、不服そうな顔つきは健在だった。

「次は、ソーマか」

 準決勝と決勝の間には、時間にして三十分ほどの少し長いブレイクタイムがある。

 さてどうしたものか、と思ったところで、コンコンとノックの音。慌てて仮面を着けてから応対に向かう。果たしてそこにいたのは、イーチナさんだった。

「……こんにちは。この前も会いましたね」

「お、覚えていらっしゃいましたか。光栄です」

「けれど、ここは部外秘ですよ? 見つからないうちにお帰りください。怒られてしまいます」

「あ、えと、すみません! でも、どうしてもお渡ししたくて」

 そう言ってイーチナさんが開いた掌の上には、ワタリガラスの陶器人形。

「そういえば……」

「一度見たときから、ずっとフレザリオ様みたいだな、って思ってたんです。だから。これがこの前のサインのお礼になるのかは、わからないんですけど」

「ありがとう。これは、むしろ僕がまたお礼をしないとなりませんね」

「いえいえいえ! そんな!」

 受け取ったそれは、ずっと握りしめられていたのか、すこしあたたかい。この僕でも少なからず感じていた緊張が、ひとつずつ丁寧に解かれていくのを感じる。

「……ひとつだけ、不安があるのです」

 そして、いつの間にか、僕はそう切り出していた。

「不安、ですか?」

「ええ。僕は今日、貴女の望む僕ではなくなってしまうかもしれない。貴女の魔法を、終わらせてしまうかもしれない。でも──」

「そんなことはありません!」

 ぐっと両手を握りながら、小さく、力強い視線が僕を貫いた。

「どんなフレザリオ様も、フレザリオ様です。ずっと、ずっと私は応援しています。でも、だからこそ、お願いします。勝ってください、フレザリオ様」

「……ありがとう。僕はきっと幸せです。それでは、次は、ウサギとカラスの間の動物が何か、考えておいてくれませんか?」

「え?」

「ほら、見つかってはいけませんから。座席に戻ってください。そして僕のことを、応援していてくれますか」

「もちろんです! それでは、その、失礼します!」

 ぱたぱたと音を立てて廊下を走っていく。あれでよく見つからなかったな……なんて思っていたら、突き当たりで騎士にぶつかっていた。少し焦ったが、うまく言いくるめられたのか、騎士は微妙そうな表情をしながら客席に向かう道を指差して別れていった。

 控室の中に引っ込み、黒いウサギとワタリガラスを並べてみる。

 ううんと唸りながらしばし悩んで、ようやくひとつ思いつく。

「…………ムササビかな?」

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