第13話
彼女のその寂しげな、諦めるようなその横顔は、いったい何を意味していたのか。
それはわからないままだったが、それから一週間が経った火曜日、彼女の言葉の意味はわかった。わからざるを得なかった。単純な話だ。
ソーマ・ヴィ・クラインとフィオーレ・ララベルは、違いすぎる。
それだけの話。
魔法開発は、まるで進んでいなかった。
認識の仮組みと試運転の段階にすら至らず、どんな認識があれば望む現象を起こせるのかに悩み続けて、一週間だ。食事中も、授業中も、ずっと個人魔導書(グリモア)と格闘を続けて、黒い塗りつぶしで浪費し続けたページは、もうすぐ尽きようとしている。
魔法開発に慣れているソーマさんに手伝いをお願いしたが、それでも駄目だった。
ソーマさんはそうとは口に出さなかったし、きっと全力で協力してくれたが、わたしはわたしの実感と、ソーマさんの苦しげな表情から、うすうす感じ始めていた。
控えめに言えば、この魔法には何か決定的なものがまだ足りていない。
……有り体に言えば、この魔法を実現することは不可能かもしれない。
所詮はおとぎ話。聖剣は、魔法などではなかったのだ。
それを否定するための努力は、いつしか、それを肯定する徒労に変わりつつある。
それを、成果と呼べる素直さがあれば、あるいはわたしは、こんな人生は歩んでいなかったのかもしれない。
「はぁ」
ここ三日、あまり寝ていない。
あれだけやらかしておきながら、と理性は語るが、まぶたを閉じると魔法のことが浮かんできて目が冴えるのだ。ときおりやってくる短時間の気絶だけが、意識を休める時間だった。
ソーマさんの部屋を笑えなくなってきた自室の有り様にひとり仄暗い笑みを浮かべる。図書館に返しに行かなければならない本はどれだっただろうか。
とりあえず一杯お茶を飲もうとして、茶葉が切れていることに気づき、そして一昨日と昨日にも同じことに気づいたことに気づく。仕方なくお湯を飲んだが、それさえぬるま湯だった。
ティーカップを置き、小刻みに震える手をそっと握る。そこに何かを掴む感触は、当然ない。
「どうして、わたしはいつも手が届かないんだろう」
朝日を厭って閉ざしたままのカーテンから、それでも漏れてくる嫌な明るさ。
また、今日が終わり、今日が始まる。
部屋を出ると、そこは暗闇だった。
「……フィオーレ。寝るならベッドで、しっかり寝るんだ」
顔を上げると、ソーマさんが怒るように悲しむように、曖昧に眉を曲げている。
「おとといも言ったろう。誰かいたほうが落ち着くなら、私も一緒に寝るから。ほら、この前みたいに」
「すみません。ありがとうございます」
気づくと意識が図書館の中に飛んでいた。朝からこれまで何をしていたのか、あまり覚えていない。ただ、目の前の個人魔導書には相変わらず成果はなく──いや。
個人魔導書がない。
「あれ……?」
腰のベルトも見てみるが、そこにもない。
「どうした」
「個人魔導書が……どこかで落としちゃったのかな」
「……休むんだ、フィオーレ。どうして、手を止めることがそんなに怖い?」
「どうして、どこで……」
「私が探しておく。頼むから休んでくれ。──あの魔法は、無理だ。あれは私が出来なくて君に出来るものじゃなかった。世界の誰にも、出来ないものなんだ」
「あ……」
惰弱に、軽薄に、滑稽に。心のどこかが軽くなる音が聞こえた。
唇を噛む。
その愚かさから逃げ出したくて、わたしは、愚かにも、ただ目の前の世界を否定した。
「フィオーレ!」
図書館の窓の向こう。大空の中へ。転移。
けれどわたしに翼はなくて、かつて翼があったのは当たり前にソーマさんで、わたしはただ青の中を墜落していく。
わたしたちは違いすぎる。わたしはソーマさんと同じになりたかった。
わたしは重力に囚われたまま、健気に地を跳ねるだけの、ウサギ。鳥とは違う生き物なのだ。
地面に叩きつけられる寸前、保護宝珠が発動して衝撃を殺す。瞬間的な浮遊のあと、わたしは今度こそお尻から地面に落ちた。しばし茫然として、それから服についた砂を払い、そういえば次の時間は授業があったと懐中時計を取り出す。だが、巻くのを忘れていたそれは、もうとっくに止まっていた。
まだ始まっていないことを祈りながら、講堂に向かう。果たして、講堂の前の窓辺にはイザベルさまが佇んでいる。
「イザベルさま」
「……。行きましょうか」
噛み合っていない歯車みたいな、ぎくしゃくとした足取りで、いつもの二人の定位置へ、段々になっている席を上へとのぼっていく。俯き気味に歩いていたのが災いして、わたしは、イザベルさまよりも早くそれに気づくことができなかった。
わたしが向かっていた席の前には、何か黒い物体がこんもりと山に盛られていた。
そう、それはただ単純な話。わからざるを得ないこと。
何かの消し炭のように見える。
ソーマ・ヴィ・クラインの隣に並び立つのに、フィオーレ・ララベルは不適格だ。
手で触れたところからぼろぼろと崩れていく中で、かろうじて燃え残っていた部分が、それが何かを教えてくれた。
わたしと同じように、どこかの誰かがそう思ったというだけの、簡単な結末。
それは個人魔導書(グリモア)の残骸だった。
隣のイザベルさまの顔に赤色が走り、わたしの略式外套をめくり上げる。
ああ。なんでこんなに、悲しくないんだろう。
理由は明白だ。
別にその中身には、何も大したことは書かれていなかったからだ。
魔法が、終わる。またひとつ、思い願った魔法は、もう思い願えない魔法へと。
これはそれだけの、ただ、それだけの話だった。
けれど、この場はわたしの静かな納得と諦念だけでは収まらなかった。
「……誰ですの?」
ざわついていた講堂内が一瞬にして静まり返り。
「誰か、見ていましたわよね?」
ちり、と周囲のマナが破壊の性質に引き寄せられていく。
「これをやったのは誰だと聞いている!」
ハッと我に返ったときには、さざ波のように引いていく人の流れから取り残されたひとりの女子学徒に向けて、イザベルさまが歩みを進めている。
そして、左手の手袋を抜き、その少女の顔面へと投げつけた。
「魔法使いであるならば、拾え。魔法使いでないのなら、この学園にいる意味がない。去れ。そして二度と立ち入るな」
「イザベルさま!」
階段を駆け下り、その素手となった左腕を引く。
「わたしは大丈夫ですから。やめてください、そんなこと」
しかしその手はわたしを振り払い、勢いのまま襟元へと食いかかってくる。
ぐいと顔が引きつけられ、イザベルさまの赤い、赤い、真っ赤な目と衝突する。
「そんなことって何よ! 貴女は自分の価値を知らなすぎる! 貴族としてもそう、人間としてもそう! 誇りを持って生きなさいよ!」
「ありがとうございます。うれしいです。でも、やっぱり、やめてください。本当に大丈夫なんです。悲しいと思えないのが悲しいくらいで。それに、わたしは……わたしのせいで誰かが争うのは、もう、見たくないんです。お願いします」
「……っ、ふざけないで。ふざけないでよ、馬鹿!」
イザベルさまが講堂を飛び出し、どこかへと走り去っていく。追いかけたわたしが廊下に出たときには、その姿はもう見えなくなっていた。
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