第8話 ユーレリア

 駅を出ると、そこはメインストリートだ。さすがにここまでくれば、それなりに人も集まっている。ただ、竜の冠とあらば出店やら歩き売りやらも出てくるのだが、魔の杯となるとほとんど普段通りといった様子だった。コーヒーショップやブックサロンはまあ平常営業だが、それ以外の店の多くには準備中の看板がかかっており、勤勉な一部の店しか開いていない。

 街はどこまでもそんな調子で、演舞場のすぐ近くまで来て、ようやく歩き売りを見かけた。

 まあ、見かけたところで買わないのだけど。やたら値段も安いし、品質が不安だ。

「やあ。ソーセージをひとつ頼む」

 えっ。

「はいよ、ソーセージひとつ!」

「どうも」

 色付き眼鏡を装着し、串刺しのソーセージをぱくつくお嬢様が、そこにいた。

 今日の最初にわたしが抱いた感動を返してほしい気分だ。

「ソーマさん。こういうところで何か買うのは……」

「焼いてあるから大丈夫だろう。まあ、毒見は済んだよ。君も食べるか?」

「い、いや、遠慮します」

「美味しいのに」

 するとソーマさんは本当に美味しそうにソーセージを食べだした。カリッと音をたてて噛み切ったそれを、満足気な表情で味わっていく。

「……ほんとに、美味しいんですか?」

「ああ。どうぞ」

 言って、歯形がついたままの串を差し出してくる。

「いや、自分で買います」

「面白くないな」

 だが、そこで周囲を見渡したときには、歩き売りはすでにどこかに消えてしまっていた。

 なんだかなぁ。実にわたしらしく不憫な顛末だった。

「食べるかい?」

「…………いただきます」

 味は、そこまでだった。

 そんな一幕もありつつ、わたしたちは入場料を支払って、観客席へと上る。

 円形舞台の周囲をぐるっと取り囲むように観客席が段々に並んでいく、一般的な舞台だ。

 一部の特殊な席を除いて先着で好きな場所に座れるが、最初に埋まるのはほぼ間違いなく中層の席だ。後ろ過ぎればよく見えないし、前過ぎても観覧には不向きだ。

 いくらマナタイト障壁があるとはいえ、目の前に流れ弾がぽんぽん飛んでくるのは気分がいいものではない。それがいいという狂人もいるにはいるだろうが。

 わたしたちはセオリー通り中層の席を確保し、開演を待った。

「始まるようだね」

 いつの間にかソーマさんはサンドイッチやら飲み物やらまで手にしていた。焼いたもの理論は使えないように見えるけど。

 騎士礼装に身を包んだ二人の男性が両岸から入場してきて、舞台中央奧、演舞領域外で審判者が立っている台に、それぞれの持つ剣を突き立てた。観客が一斉に拍手を送る。

 騎士は一礼して退場し、入れ替わりに二人の魔法使いが入場してくる。

 三十代くらいの浅黒禿頭の男性、破壊使いのアプルさんと、のっぺりとした仮面で顔を覆い隠した、くすんだ金髪の少女だ。学園の制服に似た戦闘用女性服をまとうその身体は、アプルさんが高身長であることを差し引いても、ずっと小さく見える。

「ソーマさん、あれ……」

「ああ」

 ソーマさんとわたしは少女に意識を集中させる。答えは間もなくわかるだろうから。

「アプル・ゴルプ・ウェスタ」

「ユーレリア、です」

 名乗りを上げた両者が左手を手袋から抜き、天に掲げる。

 ルーツを辿ると、片方が脱いだ手袋を相手なり地面なりに投げつけ、相手がそれを拾うのが大元らしいが、演舞での儀礼としては最初からこうだった。それを認めた審判者が鐘を鳴らすことで、演舞は始まる。

 かあんと世界を割る金属音の直後、まずユーレリアさんが仕掛けた。

 抜刀直後、じくじくと、程度の低い立ち眩みというべきか、部分的な暗黒感がユーレリアの周囲を迸る。次いで恐ろしい速度で一直線、放たれる白光の槍。

 オリジナルのケイロスの光線だ。「小さいな」とソーマさんがつぶやく。

 アプルさんは赤光を散らしながら光線をマナタイトで迎撃。瞬間、光の束は霞と消え、そのまま無数の火球で反撃に移る。

 破壊使いには見せてはいけない。それなりの密度か体積かがない限り、認識できているものなら『破壊』できるからだ。ただ光に指向性を持たせているだけのそれは、特に破壊防御に弱い。せめて槍と言わず丸太くらいあったなら、一度に認識しきれない可能性もあるが。

 しかしユーレリアさんも器用に身をひねり、火球の間を縫うようにして距離を詰めていく。瞬く間に肉薄まで届き、そのまま剣戟に移行した。

 青と赤の反応光が激突し、一合、一合、また一合。かちあったマナタイトが火花を散らすたび、破壊と流転、分解と混淆を繰り返す空気が無作為に着火し、競り合いを炎で彩る。

 剣術としての腕は両者互角に思えた中、不意にユーレリアさんが身を引いたかと思うと、弓なりにしならせた全身が上段蹴りを繰り出した。意表を突かれたのか、肩にもろに食らった。それ自体は軽傷にもならず、アプルさんの宝珠は発動しない。だが、筋肉に一瞬生じた痙攣は指の先まで伝わり、彼はマナタイトを取り落としてしまう。すかさず徒手に切り替えるが、ユーレリアさんの攻勢は続き、青光のマナタイトが、目標を捉えたかに思えた。

 その瞬間、うっかり目覚めた火山のような、爆音と噴煙。

 黒煙を割って、炎に身を包まれたユーレリアさんが演舞場を横断するように吹っ飛んでいく。

「ほう。ニアダールの爆炎かな。やるじゃないか」

 それも防御用にアレンジされている。確証こそないが、わたしと戦ったときには使う様子のなかった魔法だ。ソーマさんが満足そうな息を発したのは、まさかを覆して、たった一週間で新たな成果を携えてきたことに対してに違いなかった。

 ユーレリアさんには流転保護が働いており、宝珠はまだ無事のようだ。しかし、あと少し消火に至っていない。

 その状態は、元来彼が持つ魔法、カロカロの延焼にとって、恰好の的だった。

 煙が晴れていく中、アプルさんが両手を前に突き出し、赤と緑の反応光が世界を謳う。

 魔法が励起する。ユーレリアさんの身を包んでいた小さなくすぶりが一気に火勢を増し、直後、完全保護宝珠のきらめきが周囲の炎すべてを消し去った。……決着だ。

 溢れんばかりの歓声と拍手が、舞台上のアプルさんに贈られる。

 けれど、今回はそれだけにとどまらなかった。

「……っ」

 ユーレリアに向けられた非難の声は、どこから沸いてきたのだろう。

 気づけばそれは勝者への賛辞すら追い越して、演舞場全体を包んでいく。マナタイト障壁が阻んでいるが、そこらにあるものを投げつけている様子すら散見される。直前まで必死の攻防を繰り広げていたアプルさんですら、あるいはだからこそ、顔を思いきりしかめていた。

 お前ごときが、フレザリオを汚すな。

 心臓が跳ねる。急激に喉が干されていき、開けた口からは息が入ってこない。

 フレザリオの存在が、この状況を生んだのだろうか?

 だとしたら……だとしたら、いや、そう、わたしはここで立ち上がらないといけない。必死に肺に空気を入れて、震える足を奮い立たせる。

「決闘を汚すな!」

 けれどその言葉はわたしの発したものではなかった。

 隣の人影が緑色の燐光を残して大きく飛び上がり、最前列の欄干に着地する。

「決闘を汚すな。文句があるのなら、かかってこい。栄えあるウェスタ氏と勇気あるユーレリア氏に代わり、万能の魔女ソーマがお相手しよう」

 ぺきり、と色付き眼鏡が握り潰される音は、とても小さいはずなのに、きっとこの場の誰もの耳に届いていた。

 騒動は頭に冷や水をかけられたかのように急激に引いていき、遅れて騎士たちが駆けてくる。

 ばつが悪いのか、演舞場を出ていく客も多い。人の流れに圧されながらようやくソーマさんのもとにたどり着くと、ソーマさんは二人の騎士と何事か言葉を交わしているようだった。

「結果としては助かりましたが、あそこは我々の領分です。今後はお控えいただきたい」

「……ふん。そうかい。それは結構なことだね」

「……不本意ではありますが、貴女を入場禁止にすることもできるんですよ」

「こちらこそ不本意──」

「ソーマさん!」

 その肩を叩くと、怒りと悲しみをまぜこぜにした顔が振り向いた。

「ユーレリアさんに会いに行きませんか」

「……ああ。そうだね。すまない。そうしよう。君たちも、失礼した。頭に……血が上ってたんだ。可能であれば、ユーレリア氏の控室に案内してくれないか?」

 二人の騎士は踵を返し、「こちらへ」と一言だけ告げてから、歩き出した。

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