第7話 休息の陽はがたごと昇る

 そうこうするうち、やってきた日曜日。やってきてしまった日曜日。

 結局、これという魔法は思いつかないままだった。イザベルさまには申し訳ない。

 せめて今日のことでは迷惑をかけないように、と息巻いたはいいものの、それで早く来すぎたのか、駅にはソーマさんの姿はおろか、客の数もまばらだ。いまここにある動性のほとんどは忙しなく動く駅職員であり、彼らに連れられた馬である。基本的に王都の朝はわたしの感覚からすれば驚くほど早いのだが、日曜日のそれがゆったりしているのは辺境も王都も関係ないらしかった。

 ……ソーマさんは、まだ眠っていたり、ということは……。

 本の山に埋もれながら寝ているソーマさんの姿を思い描く。似合いすぎている。

 な、なんか、不安になってきた。

 やっぱり声をかけて一緒に来ればよかったような、と思うのだけど、いわく「デートなら待ち合わせからだろう?」ということで、寮を出るのは別々なのだった。

 いや、デートじゃないんだけど。

 ただ、学友とのお出かけにしても、ある程度おしゃれをするのは、女の子として当然のことだ。いつもより小さく、いつもより底の高いブーツを蹴って、掲示板の横にあった大きな鏡の前に立つ。ちょっと雨の跡が目立つものの、鏡として最低限の機能は果たしてくれた。

 メインとなるシルエットは、ゆったりとした袖に花の刺繍が入ったブラウスと、すねのあたりまで届くしっかりめのスカート。腰元をきゅっと締める大きなリボンが特徴だと思う。

 そこをベレー帽とバッグとブーツで挟んで……ほんとにこれでよかったんだっけ?

 鏡の中の自分の顔はちょうど白い汚れに隠れて見えない。見えないが、なんだか笑われているような気がする。わたしのくせに。背を丸めながら、鏡の前を離れた。

 再びベンチに浅く腰かけたところで、逞しい掛け声とそれに答える馬のいななきに続いて、にわかに立ち起こった轍の音が、次第に遠くへと離れていった。

 のどかだ。どこか、生まれ育ったハート領を彷彿とさせる。

 思えば、学園に入学してから、王都に出ることはあっても、王都から出ることは少なかった。

 その数回の遠出も、すべてフレザリオとして演舞に臨むためだったので、周りの景色に気を遣うような余裕はなかった。

 見上げた空は青く澄み渡っている。

 だが、そこに両親の顔が浮かび、憂鬱な気分になりかけたので、すぐに頬を叩いて消し去る。ハートの土地は好きだが、家はあまり好きじゃなかった。わたしが壊してしまったからだ。

「……やあ。待たせてしまったかな」

 と、そこに、ここ数日でずいぶんと聞き慣れた声。ありがたいタイミングだ。

「いえ、ぜんぜ──ん」

 言葉を失った。思い浮かんでいたものどころか、思考、いや、呼吸が止まった。

 ソーマ・ヴィ・クラインは、ひとことで言えば王子様だ。そう思っていた。

 けれどそこにいたのは、イザベルさまさえ凌ごうかという、深窓の令嬢に間違いなかった。

 全体像としてはわたしに少し似ている。ブラウスの袖がきっちりしているくらいだ。けれど色使いはといえば、シックに、落ち着け、この野郎、という感じのわたしとは、対照的だった。

 全体的に色や生地が薄く、花束のように儚く、控えめで、美しい。また、そんな中で腰元に黒い革のベルトがあるのが肝に違いなかった。先の例を踏襲するならば、花束を留める包み紙のように、色と形をこれ以上ないところまで引き立てている。それに髪も手が込んでいて……。

 ため息の出るような美人に対して本当にため息をついたのは、たぶん初めてだ。

「フィオーレ? その、どこか変だろうか」

「いっ、いえ! あまりにも、お似合い、なので」

 なぜか顔が赤くなる。

「そ、そうか。それはよかった。フィオーレも、よく似合ってる」

「あ、ありがとう、ございます……」

 わたしはおろか、ソーマさんまで俯いてしまった。

 なんだ、この雰囲気。わたしはこれから彼女を隣に一時間も馬車に揺られるのか。

「……どちらへ? お嬢様がた」

 それ以前に、駅員が声をかけてくれなかったら、時間が動き出さなかったかもしれない。

「カレザナ領、ヴィ・ステルメン駅に行く馬車はどれかな」

 咳払いをして、いくらか普段の調子を取り戻したソーマさんが御者に問う。

「ちょうどこちらがそうです。どうぞ、お乗りください」

 駅馬車にしては小さい、二人乗りの馬車だ。おそらくは連結して使うものなのだろう。やはり日曜日の朝には早いのかもしれないが、それにしたって、九時半から始まる魔法演舞には、この時間に出なければ間に合わないはずだ。

 まあ、魔の杯だし、最初のほうはあまり盛り上がらないのかもしれないが。

 ほどなくして走り出した馬車は、思っていたよりかは揺れなかった。

 おそらく、それなりに道が整備されているのだろう。轍が石を轢くあの嫌な揺れが、ない、とは言わないが、ほとんどない。

 いくらか安心してお尻を預けたところで、ソーマさんが鞄から何やらガサゴソとジャーナルを広げてみせた。

「昨日の結果だ。アプル・ゴルプ・ウェスタ氏が出場しているのは意外だったな」

「ああ、破壊使いの」

 演舞は基本的に土日をフルに使って行われる。多くの場合、土曜日が予選と一回戦。日曜日は二回戦からだ。件のアプルさんは、平民出身ながらに、竜の冠でもそこそこいいところまでいく、中堅の魔法使いだ。まだ粗削りではあるが、カロカロの延焼のアレンジという将来有力な魔法も所有している。先週の輪竜冠でも、二回戦までは進んでいた。

 だからこそ、出場は意外だ。というのも、魔法演舞は二週続けて出るものではない。

 そもそもの話だが、魔法演舞に出る大きな目的は、魔法の腕を自他に誇るためである。

 たった一週間で魔法の腕が変わるわけがないのだから、出る意味がないのだ。

 たいていは二、三か月に一回。例外的に、竜の冠は得られる栄誉が計り知れないので、毎月出ているような魔法使いもそれなりにいる。それでもどちらかというと邪道だった。

 まあ、万能の魔女ソーマもそのひとりなので、これからは邪道ではないかもしれないが。

「フレザリオに負けたのがよっぽど悔しかったのかな」

「あ、あはは。そうかもしれませんね。……うん?」

 二回戦出場者の中に、気になる名前を見つける。

 ユーレリア。ただのユーレリアだ。血名も、家名もない。さらに言えば、それはフレザリオの物語……フレザリオ・ロンドに登場する、ヒロインに相応する姫君の名前だ。

「ああ。気づいたか。フレザリオの模倣かもしれないな」

 使用する魔法は、ケイロスの光線、デイザの泡沫など。どちらも流転属性の魔法だ。

「……彼女も、流転使いなんでしょうか?」

「どうだろうね。ファンなら、本来使える属性を縛るくらいはやるよ」

 日夜ファンに囲まれているひとは、咎めるような口調で言った。

「ユーレリア、か……」

「フレザリオ・ロンドは、君の部屋の本棚にもあったね。好きなのかい?」

「え、あ、はい。子供のころ……一番好きな、お話でした」

 お話としては、とてもありきたりだと思う。

 囚われのユーレリア姫を助けるために、東奔西走する青年、フレザリオの物語。

 最後に読んだのはいつだったろう。ずいぶん前な気がするけれど、ラストシーンは、いまでも一言一句違わずに覚えている。

 ついにフレザリオは、ユーレリア姫が閉じ込められた白の塔にたどり着きました。

 けれど、これまでの冒険で受けてきた傷のせいか、それこそが奇跡の代償なのか。騎士フレザリオの命は、いまにも尽きようとしていました。

 高い、高い塔を一段ずつ踏みしめて。最上階に、姫の姿を認めたところで、フレザリオはその場に倒れてしまいました。

「姫。迎えに、参りました。ずいぶんとお待たせしてしまった」

「いいの。いいのよ。こんなになるまで、ずっと戦ってきてくれたのね。私のために、こんなに、こんなに傷ついて」

 ユーレリア姫はフレザリオに駆け寄ります。しかし、その身体は透き通り、いまにも消えてしまいそうでした。

「それが、僕の誉れです。けれども、僕はここまでのようだ。最後までお付き合いできないのだけが、無念でならない。けれど姫。こんな騎士ですが、最後にひとつ、ひとつだけ。僕の望みを聞き届けてくれませんか」

「何なりと」

「ただ、聞いてほしいのです。何も言わなくていい。僕は、貴女を愛していた」

 姫は息を呑み、何も言わずに、頷きました。

 フレザリオは満足そうに微笑むと、ゆっくりと目を閉じます。

「然らば、僕はこれにて、お暇をいただきます」

 そうして、騎士フレザリオはこの世を去りました。

 やがて姫は、王のもとへと無事に帰り着きました。王国の民はいつまでも、騎士フレザリオの愛と勇気をたたえながら、幸せに暮らしました。

 そうして物語は幕を閉じる。悲しく、切ないのに、どこかあたたかくて、心地よい。

「私は子供のころ、ユーレリア姫に憧れていたよ」

「そうなんですか?」

「意外かな。むしろ王子様みたいだからって、みんなそう言うんだよ」

 ですよね。昨日までのわたしだったら、同じことを言っていたはずだ。

 けれど、今日のわたしは、昨日までのわたしが知らないことを知っている。

「でも、今日のソーマさんはお姫様みたいですよ」

「よしてくれ。さすがに、いまでも憧れてるわけじゃないよ」

 照れたような笑いをすっと消し、ソーマさんは静かに語った。

「それに、元々だって、本当にユーレリア姫になりたかったわけじゃなくてね。ただ単に、自分を助けにきてくれる王子様が欲しかったんだ。だからだよ」

 ソーマさんは車窓を流れる風景を眺めながら、どこかずっと遠くを見ている。

「子供のころは、貴族社会のどうたらに顔を出させられていてね。もう本当に嫌だった。そこから連れ出してくれるなら、王子様でも泥棒でも、誰にだって付いていっただろうな」

「ど、泥棒……」

 弱きを助け、強きをくじく。王都を騒がす魔法怪盗少女、ソーマ・ヴィ・クライン。

 なんて未来もあったのだろうか。

「まあ、結局、魔法を研究して成果を出していれば何も言われないことに気づいて、そちらに逃げたんだが」

 お姫様やら王子様やらより、そっちのほうが驚きですけど。

「ソーマさんって、歩くより先に魔法を覚えてそうなイメージでした」

「私はいったいなんだと思われてるんだ? まあ、結果的には良かったよ。逃げ出す理由としてだけじゃなく、夢中になれるほど面白かったし。ハッピーエンドだね」

 こちらへと視線を戻し、困ったように笑う。ソーマさんには少し珍しい表情だった。

「わたしは……たぶん、フレザリオに憧れてました」

「どうして? 死んじゃうじゃないか。それともあれか、聖剣がかっこいいからとか?」

 どうして、だろう。そういえば理由はあまり考えたことがなかった。

 いくつか思索を巡らして、ぼんやりと浮かんできたものを言葉で枠取る。

「死んじゃうからかもしれません。自分が存在した意味を認めて死ねるなら、それが一番のハッピーエンドだと思ってたので」

 が、ソーマさんの返答がない。見れば、冷や汗を流しているかのような微妙な表情。

「……君、当時何歳?」

「あ、いや。何歳だったかなあ、あれは」

 適当にはぐらかして、わたしはジャーナルに視線を戻した。

 ユーレリア。どんな魔法使いなんだろう。

 その後も歓談を交えつつ馬車行は進み、ひとつ駅を経由して、目的地であるカレザナ領へとたどり着いた。馬車を降り、ソーマさんが御者に代金を支払う。

「帰りはわたしが払いますね」

「持ちつ持たれつだね。さて。察するに演舞場はあちらかな」

 言いながら、ソーマさんは鞄から色付き眼鏡を取り出し、そのまま装着した。

「……えっと、それは?」

「気にしないでくれ。簡単な変装だ」

 それだけ答えると、ソーマさんは歩きはじめてしまった。それ以上のツッコミを入れられないまま、わたしも後を追う。

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