第4話 Jump!

 ウェステティア王立魔法学園は、国の内外から魔法使いのたまごが集まってくる、魔法教育の名門だ。

 とはいいつつも、別に教育にそこまでの特色があるわけではない。不足があるわけでもないが。ただ、もっと実践的な授業や、魔法演舞を取り入れた目新しいシステムを持つ学校は国内にもあり、この学校がそれらと同格扱いされるのは一見理解しがたい部分もある。

 ここが名門足り得てきたのは、単に、昔から名門だったからだ。

 あるいは、当時は有力な魔法使いに弟子入りすることが『魔法の教育を受けること』だった中、まだ黎明期だった魔法学校というものに光を見出した、時の王の先見性。そしてそこから積んできた歴史が理由だ。

 そういう由緒正しさは魔法貴族にとっては信仰の対象であり、そうして魔法貴族が集まるがゆえに、名門としての歴史は続く。名門であるがゆえにまた魔法貴族が集まる。歴史は続く。

 滑稽かもしれないが、ここはそういうもので、ここにはそういう価値があるのだ。

 とにかく、この学園に変に特徴的な授業やシステムはなくて。

 だから学生は一般的な魔法学校の生徒と同じように、選択した単位と必修科目の講義をそれぞれで受けて、空いている時間には魔法研究に励んだり、交友を深めたり、あるいは街に出て遊んだりしている。

 しかし、いまやそこで第四の選択肢として成り立とうとしているものこそ、ソーマさんに他ならなかった。

 それはもう。空いている時間どころか、授業をサボる勢いでソーマさんの追っかけに殉じている人間も少なくないとか。

 事実、いま講堂の入り口で佇んでいるソーマさんの背後の廊下には、人が多くなりがちな四時限目終了直後だということを差し引いても、これから出ていくのが億劫になるほどの人だかりができていた。

 しかしソーマさんはそんな背後の人だかりには一瞥もくれず、講堂の中をじっと見つめ、誰かを探しているように見える。あ、目が合った。

 その瞬間、ソーマさんの顔がぱあっと輝き、彼女は一直線にわたしの元へと駆け寄ってくるのだった。

「え、ちょっ」

「ねえフィオーレさん、あれ、ソーマじゃありませんこと?」

 隣のイザベルさまは訝し気に近づいてくる人影を見つめている。

 周りには隠しているらしいが、イザベルさまは視力がやや弱い。

「ち、違うと……いいなあ……」

「は?」

 しかして、イザベルさまでもはっきりと判別できるだろう距離に近づいてきた彼女は、もちろん、間違いなく、完璧に、ソーマ・ヴィ・クラインそのひとだった。

「やあ、フィオーレ。そういえば君の予定を聞くのを忘れていたと思ってね。次の時間は大丈夫かい? 良ければ会える時間を教えてほしいのだが」

 そして親しげに話しかけてきた。

 朝目覚めたとき、もしかしたら昨日のことは全部夢だったかもしれない、と軽くしてきた心に、きらきら輝くソーマさんがあっはっはと呵々大笑しながらのしかかってくる。

 まあ、ですよね……。

 とりあえず席を立ち、さてどうしたものかと口を開きかけたところで、隣のイザベルさまがガタンと荒々しい音とともに立ち上がる。

「……ソーマ・ヴィ・クライン! いったい何のご用ですの!」

「いや、用件はいま言ったが。というか君は誰だ?」

 ぴしり、とイザベルさまの額に青筋が走った。

「イザベル・リンデ・イナスチア・ノルボース。クラインは護衛騎士上がりの家系でしょう? イナスチア家の長女の顔くらい知っておきなさい。時代が時代なら、私は貴女の主人だったかもしれませんのよ」

「ああ、君があの。それは失礼したね。家のあれこれにはあまり興味がないもので。それで、イザベル嬢はフィオーレのなんなんだい?」

 青筋が倍、いやさ三倍に走った。

「フィオーレさんも貴女から見れば格上ですわよ! 領地ももたないくせして!」

 ずきりと胸が痛んだ。わたしのせいで誰かが争うのは、あまり見たくなかった。

 手を出しかねない勢いでまくしたてるイザベルさまを、全身を使って止める。

「ま、まあ、形式的にはともかく、特に何もしてないわたしたちより、騎士として戦ってきたほうが偉いですよ、たぶん」

「貴女ね」

 わたしの腕の中で抱きしめられていた格好のイザベルさまが、呆れを視線に乗せて振り返る。

「……フィオーレも貴族なのかい? 領地名……血名すら聞かなかったから、てっきり」

「貴女ね! 名乗りは、ちゃんと、しな、さい、よ!」

「ご、ごめんなふぁい!」

 急にイザベルさまが身体を翻し、わたしの頬を上下左右に引っ張った。昨日のお遊びとは違い、かなり本気だ。じんじんと熱を持つ痛みに、思わず目を瞑ってしまう。

「そのあたりにしてあげてくれ。何か言わなくていいことを言ったようで、すまないね」

 イザベルさまが動きを止めたかと思うと、ぱちんと急に手を離す。

 まだヒリヒリする……。

「まあ、貴族だろうと貴族じゃなかろうと、フィオーレはフィオーレでしかないだろう。敬えと言うならそうするけれど」

「い、いえ。そんな、滅相もない」

「…………はぁ。それで?」

 イザベルさまは腕を左右組み替えると、後ろ髪をふわりと払って。

「何の用事でいらしたのでしたか。フィオーレさんの予定を聞きたい? 何のために?」

「これから協力して魔法研究にあたるに際して、だ」

「は?」

 素っ頓狂な声を上げるイザベルさまをおいて、ソーマさんは瞑目し二度小刻みに頷く。

「本当は昨日聞いて別れるべきだったんだが、柄にもなく浮かれていてね。同じ学校の生徒に決闘を挑まれるなんて初めてだったから」

「待って待って。待ちなさい。魔法研究? 共同で?」

 滔々と語るソーマさんに手のひらを向けて、イザベルさまが話を差し止める。そして手はそのままに、くるりと身体だけをこちらに向ける。

「フィオーレさんは承知していますの?」

「まぁ……、はい」

「決闘のあと姿が見えないと思っていたら、いったいどういう流れで?」

 それが、わたしもまだよくわかってません。

「……はぁ。フィオーレさんが承服しているのなら、そこに口出しする権利はわたくしにはありませんわね。ですが、いいこと? 共同研究ほど気の抜けない場はありませんのよ。自分の魔法を守りながら相手の魔法を盗む、いうなれば駒取りゲームですもの」

「私にそんなつもりはないが」

 再び不穏な空気が流れた。むっと口を引き結んで、ソーマさんがイザベルさまを見下ろす。二人の身長差もあるが、それ以上に、ひとつ滝を隔てているかのような隔絶がある。お互い見るからに不機嫌そうだった。

 見下ろされたままでいるイザベルさまでもなく、顎を引いて口元を手で隠し、嘲るような色を視線に込めて見上げ返す。

「これから盗りますと宣言する盗人がいらして?」

 今度こそ、ソーマさんの顔が、不似合いなほどに歪んだ。

「い、イザベルさま」

「……こういうのが嫌なんだよ。貴族社会っていうのは。なあ、フィオーレ。そうは思わないか?」

「えっ。い、いやあ。生存競争ですから、なんとも……」

「フィオーレさん」

「はい、なんでしょう!」

 頬を差し出す覚悟でぎゅっと目を閉じたが、しかし、与えられた感触は鼻先に、蝶がとまったかのような軽いものが一度だけ。

「しっかりなさいね。何か不安を感じたなら、わたくしに相談なさい」

「え、あ、ありがとうございます……?」

「ふむ。まあ、心配いらないよ。さ、行こうフィオーレ。いや、それで結局、いまは話して大丈夫なのかな?」

「あ、五限はありません。けど」

 顔を上げると、イザベルさまはわたしたちが座っていたよりも少し前の席に移動しているところだった。

「いえ、大丈夫、です。図書室……あ、いや。わたしの部屋で話しませんか?」

「それはいい。ぜひともお呼ばれしよう」

 ソーマさんと連れ立って講堂を出る。

 廊下の一歩一歩を進むたび、わたしたちに向けられる視線はどんどん増えていった。

 無遠慮に突き刺さる視線の内訳は、困惑、値踏み、怒り、そういった類の感情だ。

 講堂では、目を向けられている感覚こそあったものの、色を感じるほど強いそれはほとんどなかった。なぜならあの場にいたのはわたしとソーマさんではなく、イザベルさまとソーマさん、それとなんかおまけが一匹に過ぎなかったからだ。

 イザベルさまとソーマさんなら、珍しくはあっても、不自然ではない組み合わせだから。

 わたしは違う。わたしは、ソーマさんに並び立つには不適格で、訝しまれるのも無理はない。「あの子、誰?」「イザベル様の取り巻きじゃないの?」「鞍替えってこと?」ぐるりぐるりと、世界が回る。昨日の決闘にまつわる不確かな噂の数々がそれを潤滑し、一回転のたび古い轍のようにきりきりと軋んでいる。

 そんな星の中心で、ソーマさんがぱたりと足を止める。

「……なあ、空を飛んでみないか?」

「はい?」

 ソーマさんは大きな歩調で壁際に寄ると、そこに設けられていた窓をがたりと押し上げた。

 初夏にしては激しい、春風の残り香が、廊下を蹂躙するかのごとく吹き込んでくる。

 巻き起こったソーマさんの金糸の髪が、光を振りまきながら大きく広がった。

「まずは転移がいい。私たちを上空へ運んでくれ。そのあとは私の仕事だ」

「は、はあ……」

 窓の外に広がる青空を仰ぎながら、腰の鞘に手を添え、マナタイトの鍔を親指で押し上げる。

 カチリとこめかみを押されるような手応え。瞬間、わたしたちは塞がれた室内から、どこまでも広がる青空の中へと飛び込んだ。

「う」

 いや、違う。そう思ったのは見上げた格好のまま転移したからだ。下を見ればそこには大地と緑、そこにそびえ立つ校舎があり、何より、わたしたちは重力に囚われている。

「うわぁぁああっ!」

 しばらくぶりに出した全力の悲鳴だった。

「ははははは! そうら、飛ぶぞ!」

「むしろ落ちてますけど!」

 けれど、その現実はすぐに嘘になった。

 ぱし、と手を取られた直後、急激に落下の速度感が失われ、直後には、わたしたちは紛れもなく空に浮かんでいる。

 浮遊の魔法。自身にかかる重力を極限まで弱くする、激化属性の魔法だ。

 ただ、さすがに重力を完全に殺すには至らない。これは空を飛ぶのではなく、風に乗る綿毛のように、緩やかに滑空していく魔法だった。だから、飛行ではなく、浮遊の魔法。

「ほら、ご覧よ」

 けれど、空を飛ぶことも、空を滑ることもできないわたしにとっては、どちらも同じなのかもしれない。

 世界が眼下に広がっている。

 普段あまり意識していない学園の全貌は、こうして見ると途轍もなく広く感じた。

 ドーム様になった中心から左右に伸びていく緑色の屋根は、主な講堂や、学園の運営部、食堂などが入った本校舎だ。

 そこから少し離れて、回廊で接続されているのは実験棟。それとほぼ同等の大きさで独立しているのは、歴史に見合うだけの膨大な書物を収蔵する図書館だった。

 それらひとまとまりの建物群から、ランドマークに具合のいい大型噴水とそれを取り囲む植物園を挟んで、敷地の端には学徒寮が穏やかにたたずんでいる。

「……空を飛んだのは、初めてです」

「そうか。それはよかった。何事も初体験は大事だからね。零に魔法をかけることはできないが、一になら魔法をかけることができる」

 魔法は、零にはかけられない。

 より正確には、認識できないものに魔法で作用することはできない。

 すべての魔法を縛る大原則だ。

「このまま寮に行ってみようか。手はしっかり握っていてくれ。離れたら落ちてしまう」

 だから浮遊の魔法も自分にしかかけられない。重力を認識する手段は実感しかないから。

 頷いて、ソーマさんの手を握り締める。

 それを認めたソーマさんは宙を蹴って進行方向を変えた。緩やかな垂直落下が、真実滑空と呼ぶべき軌道に変わり、学徒寮に向かって伸びていく。

 頬を撫でる風はどこまでも爽やかで、力みと硬直に満ちた全身から緊張が抜けていくのを感じた。

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