第3話 魔法演舞の王者

 魔法演舞。

 それは、古くは魔法貴族の間で行われていた決闘をルーツに持つ、魔法使い対魔法使い、一対一の真剣勝負を経て、互いの魔法技術を競う場だ。

 大衆の娯楽として広く注目を集めるだけでなく、各界の大物が観覧に訪れることも珍しくない。優れた結果を残し、彼らに認められたなら、その魔法使いには栄光ある展望が約束されるだろう。

 魔法使いにとって、魔法演舞は自身の才能を世に知らしめる、またとない機会なのだ。

 だから、その魔法使いはこの魔法演舞という場においてはやや異質だった。

 なぜなら彼は、示すべき『自身』を徹底的に排除していたのだから。

 その目元をすっかり覆い隠す、黒地に金細工の仮面を身につけた、正体不明の魔法使い。

 名を、フレザリオ。

 けれどそれも国に古くからある物語の主人公の名前であり、偽名であると噂された。

 仮に本名だとしても、血名や領地名、家名すら名乗っていないのだから、魔法使いとして例外的であることに変わりはない。

 そんな奇妙な貴公子は、しかし、ただただ真っ当に強かった。 

 並みいる魔法使いを打ち倒していくごとに、その奇抜さを神秘的な魅力へと変えていく。

 演舞を重ねる中で、どうやら彼の適性は流転属性一極らしいと判明すると、それがまた話題を呼んだ。

 破壊の火。流転の水。創造の土。激化の風。その中で最も基本的で、だれもが適性を有していて、効果が地味で、限定的で。最も価値のない、劣等属性。

 それだけを武器に戦う彼の姿は、誰もがつい応援したくなるものだったろう。

 わたしもそうだった。

 まるで、自分じゃないみたいだった。

 気弱で、卑屈で、どうしようもないわたしは、そんなわたしの全部を仮面の中に押し込めて、フレザリオでいる間だけ、世界のすべてから解放されて、物語の主人公みたいに輝けたのだ。

 けれどそんな彼も負けてしまった。

 第三十八回輪竜冠、準決勝。

 万能の魔女、ソーマ・ヴィ・クラインに、完膚なきまでに叩き潰された。

「フレザリオ。私は君を尊敬する。君はいままで出会った中で、最高の流転使いだった」

 地に伏したところに伸びてくる手。笑いかけた顔の爽やかさ。

 それは、物語の主人公みたいに輝いていた。

 本物がそこにあって、フレザリオはやっぱりただの偽物でしかなかった。

 叩き潰された。完膚なきまでに。

 匿名のミステリアスは、ただ単に自分が嫌いで見せたくないだけ。流転属性一極は、結局のところ、万能の四方適性には敵わない。

 物語の主人公は、わたしじゃない。

 仮面の魔法は、終わってしまった。

 夢から、醒める。

「ん……」

 涙が頬を伝う感覚とともに、目を覚ました。

 そこは、どこかのベッドの上だった。銀星草の凛とした香りが疲弊した脳に心地良い。

 身体を起こすが、やはり見覚えのない場所だ。

 部屋の作りからして学生寮の部屋だということはわかるが、自室でもイザベルさまの部屋でもない以上、思い当たるところはない。

 個人を識別する要素を探してみるが、部屋の要素の八割くらいは床が心配になるくらいの量の本の山だった。その向こうには、壁に掛けられた性別感に欠けるコートとか上着とか。そして暖炉の上には、名だたる魔法演舞大会のトロフィーの数々。隻竜冠、風竜冠、導竜冠、金竜冠などなど、そして一番前には輪竜冠も。

「……え、まさか、ソーマさん?」

 まさか、というか、ほぼ確実だ。

 じゃあこれソーマさんのベッドなの?

 光の速度で跳ね起きたわたしは、きっちりとシーツを正してからベッドを離れる。

 何がどうなってわたしはソーマさんの部屋にいるんだ。いや、それかもしかしたらまだ夢の中なのかもしれない。うん、きっとそう。

 わたしはしばらくその場に突っ立っていたが、やがて沈黙に耐え切れず、一番手近にあった本を手に取った。魔導書だ。サザンカの暴風魔法。古く、素朴で、しかしその強力さゆえに現代まで伝わる、激化属性の良法だった。

 そのままぱらぱらとめくっていくと、次第に書き込みが目立ちはじめる。サザンカの暴風のアレンジ案、だろうか。もしかして、最後に使われた……。

 いや、違う。これはアレンジというレベルじゃない。サザンカの暴風がひとつの構成要素にしかならないような、もっと巨大な魔法の設計図の一部だ。何分激化属性の教養に欠けるのでほとんど理解できないのだが、かなり高度な構築であることだけは伝わってくる。

「うーん」

 やっぱりソーマさんはすごいな。

「おや、目が覚めたようだね」

「ふぇっ!」

 突然飛んできた、かあんとよく通る声。

 思わず取り落とした本が小さな山の一角を直撃し、本の雪崩が足元を襲った。

「わ、わわ、すみませんすみません!」

「はは、私こそすまないね。人を招くつもりのない部屋なものだから、散らかし放題で。大丈夫かい?」

「あ、はい、わたしは大丈夫です……えと、それで、わたしは、どうしてお招きいただいたんでしたっけ?」

 本を拾い上げては山に積み直していくソーマさんに従って、わたしも本をまとめて、上へ上へと積んでいく。ま、また崩れないかな、これ。

「演舞のあと君が倒れてしまったものだから。勝者の義務みたいなものかな」

「義務……ですか」

 できうる限り静かに、本の山から手を放す。

 うん、とりあえずこれで片づけられたかな。

 これを片づけと言っていいのかには疑問が残るけども。

「それと、君に聞きたいことがあったから、少しでも恩を売っておこうと思って」

 綺麗なウインクだった。同性ながら、ちょっぴりドキッとしてしまう。

「わ、わたしにですか? 答えられるかわかりませんけど」

 しかし、続く言葉はウインク程度の破壊力には収まらなかった。

「君が最初に使ったアレ、ケイロスの光線だろう。それも、フレザリオによってアレンジされたものだ」

 思わず肩が跳ねる。痛いくらいに心臓が胸を叩き、背中の後ろに嫌な汗がじりじりと湧き出てくる。手首をぎゅっとつねり、震える声を痛みで抑えてから、口を開いた。

「そ、そうですね。流転属性としては、火力も取り回しも申し分ないので」

「見て盗んだのかい? それとも、フレザリオとは知己なのか?」

「み、え、えっと……」

「あ、いや、すまない。困らせたかったわけじゃないんだ」

 ソーマさんは顎に手を当てて遠くを見つめながら、ひとつひとつ積み上げるように言葉を続けた。

「私はいま、流転という属性に興味を惹かれていてね。いや、私に限らず、そういう潮目なのだけど。なにせフレザリオが、流転属性はここまでやれるんだというところを、ああも鮮烈に証明してしまったから」

 ソーマさんは期待と喜びを滲ませながら、優しく笑う。

 けれどわたしは、それに笑顔を返すことはできなかった。

 認められた喜びよりも、認められない痛みのほうが強かったから。

 だって、違う。それは違う。

 ここまでやれる、じゃなくて。

 やっぱりここまで、なんだ。

 ソーマ・ヴィ・クラインとフレザリオは、フィオーレ・ララベルは、違う。その間にあるものは、ただ絶望的なまでの格差だけだ。そのはずだった。

 ソーマさんは、そんな認識とはかけ離れた無邪気さを浮かべて、続ける。

「そういうわけで、私は、腕のいい流転使いを探している。共同研究者としてね」

「……共同、研究?」

「ああ。いうなれば流転の再開拓さ。フレザリオにどうにかして連絡を取れないかと考えていたんだが……彼の魔法を盗めるほどなのであれば、同じ学生として距離が近いぶん、君とのほうが上手くいくかと思ってね」

「それは……すみません。わたしは、期待に応えられないと思います」

 目を伏せる。ソーマさんの顔を見たくなかった。彼女がどうわたしを見ているのか、知りたくなかったから。

 けれど、ソーマさんは。

「……ふむ。悪いが、その理由では引き下がってやれないな」

 困惑を呈すると、ソーマさんはわたしの頬を両手に挟み込んで、わたしの顔を持ち上げた。

 白いシルクの手袋の肌触りが、世界を枠取る。

 ばっちり視線が合ったまま、わたしはどこにも逃げられない。

「シンプルに考えるんだ。君に私と組むメリットはあるのかどうか。君がやりたいのかどうか。それ以外のすべては、どうでもいいことなんだよ」

 翠緑の瞳の中に、不安と窮屈さ、そして小さな希望を覗かせるわたしが映っている。

 その愚かさから逃げ出したいがために、愚かにも、わたしは首肯を返してしまう。

「本当に、わたしでよければ」

「うん。それじゃ、改めて。ソーマ・ヴィ・クラインだ。よろしく頼む」

 ソーマさんの手はわたしの頬を離れ、代わりに握手を求める形で差し出された。

「……フィオーレ・ララベル、です。よろしくお願いします」

 重なる白と黒の手袋。ほころんだソーマさんの笑顔は、輝く星のようだった。

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