第2話

 扉を開けて部室へ入ると、竹中が長机の真ん中にぽつりと座っていた。竹中は読んでいた文庫本を長机に伏せて、僕の顔を見た。眼鏡の向こうの、長い睫毛が目の瞬きに合わせて動いた。本棚の上には、彼女の鞄のみが置かれている。まだ、林下はここへ一度も顔を出していないようだ。


 しかし、竹中への適当な挨拶が見つからなかったので「林はまだ来てないのか?」と僕は言った。

 林下では言いづらいので、僕や竹中は彼の事を林と省略して呼んでいる。

「ううん、まだ来てないよ」と竹中は答えて、水彩の向日葵が描かれたしおりを文庫分に挟んだ。

「そうか」


 開け放たれた窓から緩い風が入り込み、白のカーテンが揺れた。なるほど、好きな子へ想いを告げるには、ぴったりな日だ。


「どうしたの? じっと窓を見て」竹中が笑って、彼女の顔が少し横へ傾いた。

「良い天気だと思って」僕はちょっと恥ずかしくなって、人差し指で頬を掻いた。


 僕は、竹中の鞄から間隔を開けて僕の鞄を置き、彼女の斜め向かいに腰を下ろした。そうして、見えないキーボードを叩くように長机の上で指を動かして、天井の蛍光灯を眺めた。二本の蛍光灯が平行に並んでいる。


「やっぱり変だわ」と竹中の声が聞こえたので彼女へ視線を移すと、彼女は眉根を寄せ、睨んでいるとも表現できる表情で僕を見ていた。

「変かな」と僕は言った。

「変よ。だっていつもなら、野中君ここへ来たらすぐ鞄から小説を取り出すもの。それにため息もついて」


 僕はため息をついていたらしい。気づかなかった。

「新しい呼吸法を試していたんだ」

「呼吸法?」

「ああ、この呼吸法を実践すると、角を曲がる度に不幸が向こうからやって来るんだよ」

「やめてよ」竹中は白く並びの良い歯を僕に見せて、表情を崩した。


 僕は、竹中の笑顔を見るたびに嬉しくなる。僕は実際この時、林下が今日、僕が帰ってから彼女へ告白するという事実を忘れていた。


「野中君ただでさえあまり笑わないんだから」と微笑む竹中の、肩に触れる横髪が、風に吹かれて微かに揺れた。「笑ってみてよ、ニコって」

「こ、こうかい」

 僕が作り笑顔をすると、彼女は両手をマスクにして、口元を覆い女の子らしい笑声を上げた。覆った手から、彼女の笑顔のほころびが、こぼれているように思われた。


 竹中の笑顔は暫くの間、僕の中に入り込んで来た。

「そんなに変だったのか」

 僕がそう言った時、部室の扉が開かれた。

「おお、二人とも来ていたか」と林下はよく通る声で、扉を閉じながら言った。


 
























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