Ⅴ 白き炎、心灯して

 火葬炉内部に使う石を、ノールデン市の遥か南方の鉱山から切り出して運ぶ旅だった。昨今は野盗被害が増えていて、石工のクグロフ親方が用心棒を雇うというので請求額が三割増しになった。頭を抱えたフランが、元兵士を同行させるからと護衛にかかる費用を交渉したらしい。こうしてバルドが駆り出されることになった。


 重量級の石を長距離運ぶのだから、石工たちの体はバキバキに鍛えられている。おまけに肝も据わっていて、二ヶ月間の旅程は順調だった。

 終着まであと少しというところで、きな臭いのを感じたバルドは一人、先行して馬を駆ったのだという。


「一方的な略奪だった。楽団の男なんざロクに戦えやしねぇ。女子供は、金目の衣装や楽器や家財道具と一緒に売るために連れてかれる。指輪や腕輪を外さねぇなら腕ごと切り取られる。そういうやり口だ」

 気の毒だが一人で相手にするには野盗の数が多いし、命の危険を冒してまでバルドが助ける義理はない。

 その時だった。


「楽器の音がしたんだ」


 ビィンと強く、弦を弾く音だった。音が跳ね上がり、鞭のようにしなる。目には見えないが、バルドの脳裏には恐怖と殺気がうねり、獲物を探しているように感じた。その証拠に野盗を前にしても動こうとしなかったバルドの体が、今は毛が逆立った腕で反射的に剣の鞘を払っている。


 曲が速くなると同時に音色が激しさを増し、音と音とが重なり合う。ぐるぐると絡み合ってうねり、ついに我慢できなくなった鞭が一気に暴れ出た。まるでびっくり箱を開けたようだった。


「野盗も楽団も関係ねぇ。前から後ろから、見えない刃に次々と切り裂かれていった。あっという間だ」

 そして音の出所を探ると、そこには狂ったように楽器をかき鳴らす銀髪の少女がいた。

「楽団と野盗の悲鳴が聞こえなくなると演奏をやめて、血だまりの間にナユは気を失ったんだ」


 ルゥの喉が上下する。

「じゃあ、ナユちゃんは自分の身内の楽団を……」

 あの中には母親のイレーヌもいたはずだ。


「次に目覚めた時、あいつは何も覚えちゃいないし、何も見ちゃいなかった。だからあいつは自分が起こした真実を知らないままだ」

 バルドは伝えなかったのだ。


「バルド、君がナユさんを見つけた時、彼女は手袋をしていた?」

「手袋? そういやあいつからも落ちてないか聞かれて、ビリビリに破れたのなら見つけたぜ」


「襲われる前、ナユさんは黒イチゴを摘むためにお母さんから手袋を借りていたんだ。演奏する時に破って捨てたんだね。お母さんから借りたものを彼女が雑に扱うはずはないから、暴走中の意識や記憶がないのは確かみたいだね」

「あいつは自分の中の魔物の力に気付いてねぇ。だからそっとしておいてやりてえんだよ。あいつの音楽は、人を殺すためのもんじゃねえだろ?」


 そうであってほしいとルゥも願う。痛々しいフランの姿に、いっそ記憶を失っていてくれればと痛烈に感じたのだ。だが同時に、そんな事が都合よく許されるかというのも、フランの苦悩を目の当たりにした今は考えてしまう。ましてや事故とはいえ、ナユが手にかけてしまったのは赤の他人ではないのだ。


 フランは頷いた。

「そうだね、ナユさんの音色は人を癒すものだよね」

「もしあいつがまた力を使っちまうことがあれば、最初に死ぬのが俺になればいいと思ってる。だからあいつを連れてきた」

「それでナユさんが救われるとでも? ふざけないでよ。僕は君を拾って養ってるんだ。僕に何も言わず勝手に死ぬなんて許さないよ」


「ほー、ここ三か月以内に二回も死にそうになったのを俺に黙ってたのは、どこのオーナーでしたっけねぇ?」

「う……。でも、そんなことしたらナユさんは一人になっちゃうじゃないか」

「どのみちもう、俺は長生きできねぇんだからいいだろ」

「けどっ、」


「昔、俺に言ったよな? 火葬場は教会とは違う。葬式はしねぇし、死者の生前の罪に赦しを与えることも、魂を慰めることも、神の元へ委ねることもできねえ。だから俺が過去に犯した罪をなかったことにはできねえし、体と共に灰にするだけだってな。覚えてるぜ、それでいいさ」

 ナユの罪をも一緒に背負って、この男は死ぬつもりなのだ。フランは何も言えなくなってしまった。ワガママを許してやれというように、ライザが肩に手を置く。


「フランとこいつの話を統合すると、楽団のイレーヌという女性——ナユの母親だな。この人物が所持していたスヴァルト・ストーンを求め、黒羽の主が接触していた。なかなか明け渡さないことに業を煮やした黒羽は、少々強引な手に出て無理矢理奪おうとしていたのか」

「うん。あのカラスの面の配下をったんだと思うよ」

「だが時を同じくして、偶然に野盗が襲撃してきた。恐怖でパニックになったナユの内なる魔物の力が、そこで無意識のうちに暴走してしまった」

「十六番目の遺体は黒羽の配下で、ナユさんの暴走は誰も予想できなかった。これが事件の真相だよ」


「それじゃフランさん、ご遺体のイレーヌさんの傷もナユちゃんが?」

「そうだね。彼女はきっと、暴走したナユさんを止めようとした気がするな」

「そっか、お母さんですもんね」

 そして瀕死のまま最後の力を振り絞り、旧市街へとやって来た。


「旧市街で遺体を回収し、火葬場へ運んだのはワタシだ。そこで出会ったのが天使の白き炎フランベルジェというわけだな」

 ご遺体は死んでも石を渡すまいとしていた。それはきっと、自身の体内に隠したスヴァルト・ストーンを守ることが、ナユを守るのにつながるからだろう。

「おそらくイレーヌさんは石に書かれた内容をも知っていた。だからこそ黒羽に渡すまいとしたんだろうね」


「それで火葬炉でフランさんの炎を感じて、託そうとしたんですね。一度土葬されても戻ってきたのは、どうしてもフランさんに石を見つけてほしかったんだ」

 ご遺体はまだ火葬場内に安置されている。合金のように頑丈で腐敗せず、意識だけになっても動く不気味な遺体が、急にやさしいものに思えてきた。


 しかしフランは少しうつむく。その様子にバルドが体を起こして、ベッド上であぐらをかいた。

「遺体の過去には触れないのがお前の信条だったな。まして死者の願いを叶えてやるってのは、これまでお前が敢えてしようとしなかったことだ。いいのか」

 いつもだらしない男が、真剣な目で問う。


「解毒剤で石の呪いは解けたんだろ。そしたら最後の石をもう黒羽にくれてやる必要はねぇし、ここからは俺とナユだけの問題になる。お前は手を引けばいい」

「こんな状態の友人を一人で行かせられるわけないでしょ。それにイレーヌさんは火葬できなかったもん。うちのお客さんとは言えないから願いを叶えてあげたっていいし。まだ僕の実験装置だってあるし」


屁理屈へりくつ言うな。また暴走させられるかもしれねえんだぞ。だからこれ以上はやめておけ。自分を曲げて危険を冒してまで、お前がすることじゃねぇよ」

「屁理屈なんかじゃないよ! バルド、君はさっき、ナユさんに魔物の力のことや起こした事実を知らせたくないと言ったね。けど僕は、いつか彼女が自分の罪に向き合わなければならない時がくると思う。その時君は死ぬんじゃなくて、そばにいてあげなきゃ。ナユさんを一人にさせちゃダメだよ」


 少女が受け止めるにはあまりに過酷な運命。だがその時隣にいるのが罪人兵士であればこそ、ナユも一人きりではないと思えるはずだ。

「それに、誰も死なせやしないって言ったでしょ。僕は自分を曲げてなんかない。最後までやるよ」

 バルドはぶしゅうぅと大きな鼻息と共に「意地っ張りめ」とつぶやく。


「おれもやります。それにこれは、天使の白き炎フランベルジェが起こした奇跡ですよ。フランさんはいつも主観や感情を火葬炉には持ちこまずに、お一人でご遺体と魂と向き合っていて。だからこそ救われる魂もきっとあって、イレーヌさんもそうだったんじゃないですか。だって彼女はナユちゃんに、自分が魔物なことをずっと隠していたんですよ」


「そうか、言えなかったのだな。ナユが力を暴走させたのを目の当たりにした時は、悔悟の念でいっぱいになったろう」

 ライザの言葉にルゥも頷く。

「苦い秘密をずっと抱えてきたイレーヌさんにとって、フランさんとまっさらな白い炎が心を灯してくれたんだと思います」

「ルゥ……」


 フランは最期を交わす者だ。

 死者を憐れむことも、冥福を祈ることも、神へ祈ることもない。ご遺体が知己であろうと犯罪者であろうと、親指と薬指の先を合わせて念じる姿は一切変わらない。それがただ火をつけるだけの行為ではないと、ルゥには痛いほどわかる。

 オーナー室を出ていくフランはいつも「行ってくるね」しか言わないが、いろんな想いを封じたその背中を毎日見送っているのはルゥなのだ。


「そういうフランさんの白き炎が最期に魂を灯すから、あんなに美しいベルジェモンドは産まれるんですよ」

 こんな言い方しかできないけれど、どうか届いてほしい。


 そして天使が笑顔を見せた。白い歯がこぼれて、本当に、心の底から嬉しそうに。

「うん。さすが僕の秘書で料理人だ。一緒に最後までやるよ」

「はいっ」


 バルドが腕に刺された点滴針を無造作に引き抜く。

「そんじゃあ、行くとするか」

 服を着替え、壁に立てかけていた剣を佩き、病室を後にした。ライザ署長は「応援が必要だな。ワタシは後から向かうから先に行け」と署に戻っていく。


 病院を出ると、黒塗りの霊柩車が停まっていた。

「モノリ。どうしたの?」

「話はマーシャから聞きました。仕事を代わるから、病院へ行くようにと。黒羽の館に行くのでしょう? お供します」

「なんだ、ちょっと早いけど遺体を迎えに来てくれたのかと思った」

「おい、そりゃ俺のことか?」

 ルゥもモノリも笑う。


 そして霊柩車に乗り込むと、助手席でフランは告げた。

「火葬場に寄って。それから聖ザナルーカ教会へ」

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