Ⅳ 真実

 翌日、帳面には『⑥』と書いた。くそ苦い解毒剤を飲んだから問題ないはずだが、一応だ。午前の火葬を終えると、この後は療養所でナユが演奏する予定のため、フランと二人で警察署へ迎えに行く。

 曇り空の下、冷たい石畳に靴音が鳴る。


「寒いですね。フランさん、鼻が赤くなってます」

「すぐこうなるんだよ。なんでかな」

 と、キャメルのコートの襟と黒いマフラーの中に顔をうずめた。


 受付で十分ほど待たされるが、下りて来たのはライザ署長一人だった。歩き方に、少し焦っているように感じる。

「ナユの姿が見えないのだ。今、署内を全て探しているのだが」

 いやな予感に、ルゥの背筋がぶるっとなる。黒羽の主がナユを探していたはずだ。


「最後に姿を見たのはいつ?」

「今朝は一緒に出勤し、署長室で演奏の練習をしていたのだ。その後ワタシは会議で部屋を離れて、今になる」

 ここは要塞のような警察署だ。受付で要件を告げ、守衛のいるゲートを通らなければどこにも行けない。果たして誘拐犯が騒ぎを起こさず、誰にも気づかれずに上階の署長室へ入り込めるだろうか。


「午前中の受付署員は既に帰宅していてな、確認させている」

 ライザも同じことを考えたようで、そう付け足した。


 そしてもたらされた報告は案の定、ナユの方から「演奏の仕事があるから療養所へ連れて行って欲しい」と頼んだのだという。

「しかも、ワタシが会議で忙しいから手間をかけさせたくないと、付け加えていたそうだ」

「ナユちゃん、一人で出かけるなんて……」

 ルゥは唇を噛む。演奏は午後からだし、迎えに行くことは予め伝えておいたのに。


「とにかく療養所へ行こうか」

「ああ。ワタシも行く」

 しかしイヤな予感というのはなぜ的中するのだろう。療養所にもナユの姿は既になかった。洗濯物を抱えたマーシャが、フランの元へやって来る。


「オーナー? 今日はお腹が痛くて動けないと聞きましたけど、体調はもう良いんですか?」

「マーシャ、誰がそれを?」

「ナユちゃんですよ。オーナーの紹介で演奏会に招待されたけれど、急にお腹が痛くなったから一人で行かなきゃならないって、二時間くらい前にここへ来たんです」

「それで、ナユさんはどこへ?」


「新市街の黒羽の館に行くというので、バス乗り場まで連れて行きました。ちょっとおかしいとは思ったんですけど、時間に遅れないように急がなきゃとすごく焦っていて、つい。やっぱり何か……?」

「いや、行き先が分かって安心したよ、ありがとう」

 察しの良いマーシャの瞳が、不安げに揺れる。フランは安心させるようにマーシャの肩に手を置き、療養所の外に出た。


「黒羽の館へ一人で向かっただと? ナユは一体どういうつもりなのだ」

「バルドの呪いを解くためだよ」

「あの解毒剤で呪いは解けるのではないのか?」


「その話はまだナユさんにはしていない。それに、僕が鉄肺病のことをちゃんと話さなかったからだ。ナユさんは鉄肺病の症状を呪いだと思いこんでいたでしょ。もう六日目だし、何とかしなきゃと思ったんだろうね」

「なるほど、すれ違ったな。どうする、バルドに知らせるか?」

 苦い顔でフランは少し考えるが、首を横に振った。

「いや。聞いたら行くって言うだろうし、無茶はまださせられないよ」


 その言葉にルゥの足が止まる。腹の中に暗い熱がぐっと迫り上がるのを感じて、だから言わずにいられなかった。

「また、一人で行くつもりなんですか」

「え?」


「そうやって自分のせいだって、何でも一人で抱えて! だから裏目るんですよ。どうしてフランさんは本当のこと言ってくれないんですか!」

 ナユだって昨日、バルドに向かって『嘘つかないでください!』と言っていた。その気持ちはルゥも全く同じだ。職場オーナーに向かって無礼なのは百も承知だが、止めるわけにいかなかった。


「このまま言わずに乗り込んで、もしあなたに何かあったら、今度こそバルドがブチ切れるのはおれだって分かります。モノリ主任がどれほど悔やむと思いますか。だからフランさんが言わないなら、おれがバルドに伝えます」

「ちょ、待ちなよルゥ! なんでそんなに怒っ……」


「怒るに決まってるじゃないですか! そりゃおれはバルドと違って強くもないですし、モノリ主任と比べて何の役にも立てないですけど。だからおれなんかに本当のこと言っても意味ないって思うのかもしれないですけど。でもそういう人の気持ち、フランさんは考えたことあるんですか⁉︎ 」


 どうしてこんなこともフランは分かってくれないのか。

 どうしておれはこんなに無力で頼りないのか。

 それが無性に悔しくて腹が立つ。


 拳が割れるまで壁を叩き、喉が裂けるまで叫んでいたフランを思いだすたびに、火葬炉の分厚い扉を隔てて見ていることしかできなかった自分を思いだすたびに、燻ぶった黒い煙がルゥの体の中でいっぱいになるのだ。


「ねぇ、落ち着きなよ。バルドの話なのか君のことなのかごっちゃになってるよ?」

「どっちもですよ! フランさんもナユちゃんも、していることはデビッキ司教と一緒です!」

「それはないよ!」

 よほど嫌だったのだろう。即否定してから、フランはちょっと気まずそうに目を逸らした。


「まったく、僕の方が年嵩としかさが上だってのに、随分な言いようだね」

「お叱りでも処分でもクビでも結構ですが、おれだけが思ってることじゃありません」

 もう二度と、あんなことにさせるものか。絶対に。

「その通りだ。ルゥだけではないぞ」

 ライザ署長のバストが隣でブリンと揺れて、心強いことこの上ない。


 フランもナユも、相手を信頼し大切に思うからこそ傷つけたくないという、優しすぎるゆえの言動なのだろう。その起点は、己に絶対の自信を持ち、己のために揺るがぬ信念で行動するデビッキとはかけ離れている。しかし結果はどうか。

 暴走したフランは体の一部を、手を汚したデビッキは心のどこかを代償にし、ナユはまさに今、小さな命を危険に晒している。


 フランは目線を落として、それから二人を見た。

「分かったよ。君の言うことは一理あるし、デビッキと同じなのは不愉快だし。バルドにはちゃんと話すことにするよ」

 そう言うと、コートのポケットに両手をつっこんで、すたすた歩いていってしまう。


「さすが秘書だな。やるではないか」

「え、どっちかというとライザ署長のバストの迫力が言うこと聞かせぐヴぅ!」

 ライザに背中を叩かれると、衝撃に息が詰まった。ヘラヘラしている場合じゃない。

「置いていかないでくださいよフランさん!」


 石畳を早足で進み、再び黒くて重々しい外観の警察署が見えてくる。レンガ造りの病院はその隣だ。


 病室に入ると、バルドは眠っていた。点滴に繋がれているものの、「んごっ!」と鼻だか喉を鳴らし、むにゃむにゃしながら寝返りをうっている。

「バルド、起きなよ。僕だよ」

 揺すられると、意外に寝起きは素直だった。無精髭だらけの顔を手の平でこする。


「んだ? シケたツラしやがって。悪ぃ知らせか」

「うん。ナユさんがいなくなった。君の呪いを解くために、一人で黒羽の館へ向かったみたいなんだ。僕たちがついていながら、すまない」

 ぶしゅうぅぅと、バルドが鼻から大きく息を吐いた。


「どいつもこいつも無茶しやがるぜ」

「解毒剤のことをナユさんにもちゃんと伝えておくべきだったよ。それに……」

 フランは言い淀んだ。


 火葬場オーナーとして数えきれないほど死者と対面してきたはずだ。しかし火葬は本人の言う通り魂を解放するものでしかなく、生ある人に死を告げるのは天使の役目ではないのかもしれない。


「あのね、黒羽の主はナユさんを探して警察署にも来たそうだ。ナユさんを欲しがる本当の理由を、君は知っているね」

「なあフラン、それは——」


「楽団と野盗を殺害したのは、魔物の力を暴走させたナユさんだった。君はその一部始終を見ていたんじゃないの?」

 覇気のないバルドを遮りフランが突きつけた真実。

 あまりに残酷すぎて、ルゥの喉は枯れたように声を失い、ライザは腕を組んだ。


「知らん。俺は何も見てねえ。倒れてたあいつを助けただけだ」

「じゃあどうして君は鉄肺病で余命は長くないと分かっていたのに、あの子を助けたりしたの? あの子の成長を共にすることはできないし、残せる財産もないのに。将来に責任持てないくせに、どうして連れてきたんだよ?」

 今まで聞かなかった理由を問うフランの赤目が潤んでいる。


「いつからだったの? どうしてずっと隠して……いや、バカなのは僕だ」

 バルドが自分から言うわけがない。それに病に気付けたとしても、フランにはどうすることもできないのだ。


 また、ふしゅうぅぅとバルドが鼻から大きく息を吐いた。

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