第二章 緋色の雨
Ⅰ 吸血鬼
擦ったマッチから
スヴァルト・ストーンを発見した昨日を一日目として、今日は二日目だ。
昨夜はなかなか寝付けなかったが、死ぬ時はフランもモノリも一緒だと思うと少し気持ちが緩み、気づいたら朝になっていた。
「まったくフランさん、こんなに残し……って、全然食べてないじゃん」
いつもフランは、ルゥが作った早めの夕食をここで食べてから帰宅する。だが昨日作った挽肉の餡をもっちりした生地で包んで焼いたお焼きには、手をつけた様子がなかった。
「食欲無いとは言ってなかったし、出かけた? それとも気に入らなかったのかな」
片付けようとして、やっぱり少し待つことにする。
それから朝食を作りに厨房へ移動すると、料理長がちょうど仕事に入るところだった。
「おはようございます料理長」
「これ、オーナーに」
「すごい! こんな立派な蜜芋、よく手に入りましたね」
ずっしりと重みがあり、中身も甘さも詰まっていそうだ。
「ありがとうございます。これなら
料理長は無口な男だが人の悪口は決して言わないし、何よりルゥを一人前の料理人に育て上げてくれた人だから、兄のように信頼している。
芋を蒸し器に入れた後は、以前のように並んで仕込みを手伝った。一週間以内に死ぬかもしれないことは言えなかった。
一かけ味見してみると、想像以上にほくほく甘い蜜芋だ。皿を手にオーナー室へ戻ると、ちょうどフランが出勤していた。
「おはよう。なあにそれ? お芋?」
「蜜芋です。甘いですよ。今お茶淹れますので」
ガスストーブにやかんを乗せ、厨房から持ってきたミルクも
「昨夜はどちらか行かれたんですか?」
背中越しに聞いてみる。本当は、ギリギリ目の端にフランの姿を捉えているのだけど。
「………デートだよ」
「っ! それは構いませんけどね。むしろフランさんならそういうお相手がいて当たり前ですけどねっ!」
予定があったならそう言ってほしい。この裏切られた感は、まるで夫から他に好きな人がいると告げられた妻みたいじゃないか。
「夕飯いらないなら先に言ってください。作る方のことも少しは考えていただきたいです」
言いながら手つかずの夕食を捨てる。それにフランはハッとしたようだった。
「ごめん。それは謝るよ」
「食べ物を捨てるのはもったいないですし。次からはお願いします」
くそ、妻の次は母親かよ。というか生前の母から全く同じことを言われた記憶がある。
温めたミルクに、しっかりと抽出した茶を注ぐ。冷えや腹痛に効くシナモンとクローブを削ってかけ、蜜芋と一緒にストーブ前の丸テーブルへ運んだ。天面が象嵌加工されたアンティークものらしい。
「ありがと。ちゃんと全部食べるからね」
自ら完食宣言するなど、本人なりの反省だろうか。最後の方は茶で流し込みながら頑張る姿が微笑ましい。
それから仕事用の黒い詰襟服に着替え、鏡の前で身だしなみを整えると火葬場オーナーの顔になる。
「今日は来客があるから。部屋に通して待っててもらって」
「はい。なんという方ですか?」
「吸血鬼」
「はい?」
夜になると棺桶から出て来るアレだろうか。悪の魔物と書いて悪魔のアレだろうか。
「ひどいあだ名ですね。フランさんがつけたんですか?」
「ううん。そういう通り名なんだよ」
「はぁ……」
一体何者なのか聞きたかったが、フランはもう出口へ向かっていた。
「今日の最初はドーソンさんなんだ。昨日運ばれてきたって」
療養所でルゥの玉ねぎのスープをうまいと言ってくれた人だ。やっぱりと思いながらも、やるせなくなる。
「行ってくるね」
「行ってらっしゃい」
決して表さないが、フランにだってどこかにそういう気持ちはあるはずなのだ。けれどこうして送り出すことしか、ルゥにはできない。
普段通りに仕事をこなし、フランが着てきた服にブラシをかけていると、受付から客の訪いを告げられた。本当に吸血鬼と名乗ったらしい。
受付には、ピンクや紫や赤のそれぞれ違う花柄をパッチワークしたジャケットに、真っ黄色のパンツという、火葬場には似つかわしくない格好の男がいた。ふざけてるのだろうか。
「へー、そうなんだぁ。それにしてもこんな可愛らしい人がいるなんて知らなかったなぁ。いつから働いてるの?」
「まだ一ヶ月なんです」
「そっかぁ、ここは色んな人が来るし大変でしょ」
しかも馴れ馴れしく新入受付のカナンさんに絡みやがって。
「ゴホンッ、あなたが
おれだってカナンさんと喋ってみたいんだぞ!
「そうだよ。あ、君がフランのシェフ兼秘書? さっきカナンちゃんが言ってた」
「ちゃんって! 失礼ですがどういったご用件ですか?」
ブラッドサッカーと名乗る男は、ワインレッドの長髪をかき上げた。
「宝石商だよ。ベルジェモンドを受け取りに来たんだけどな」
「宝石商? ウソだろ?」
思わず言ってしまったが、男はあっけらかんと笑うのみだった。
「よく疑われるんだよねぇ! でも本当なのね。カナンちゃんの指に合うのはぁ」
って、いつの間に手を取りやがってるし⁉︎
「こんな指輪はどう?」
「キャ! すごいかわいぃ〜」
「カケラの宝石で作ったんだ。気に入ったならあげるよ」
「ほんとですか? すごい嬉し〜」
「じゃあ次は食事に誘ってもいいかな?」
「もちろんですぅ」
「ちょ、カナンさん! 知らない人の誘いにすぐ乗るのは危ないと思いますよ⁉」
「あら平気ですよ。オーナーのお知り合いの方ですもん」
「お知り合いですもん。言っておくけど、フランとの付き合いは君より俺の方がずーっと長いからね」
「ぐっ!」
けどデビッキといいバルドといい、まともな奴はいないじゃないか!
「フランてば、こういうのが好みだったのかぁ。確かに小動物系で可愛いもんな」
「小動物ってカナンさんじゃなくておれのこと⁉ 好みってなんだよ⁉」
ルゥの身長は165センチと、周りに比べて小さい。おまけに幼く見える大きな目にくりんとした睫毛と癖毛がコンプレックスだ。眼前のブラッドサッカーを下から眺めれば、黄色い足が随分と上までスラっと続いて、長髪が全然嫌味ったらしくない爽やかな顔して。同じ人間の男なのにどうしてこんなに違うんだ。
「だってぇ、嫌いな人間を専属シェフに選ぶわけがないよね? カナンちゃんもそう思うでしょ?」
「はいっ。オーナーはルゥさんのこと、とっても頼りにしていると思いますよ」
「そうかな……」
もちろんフランの役に立ちたいし元気でいてもらわなきゃ困るし、それを支えるのが自分の仕事で使命だから、フランのそばにいるのは全然苦じゃない。
「おれだってフランさんのこと、」
「何を人のこと好き勝手に言ってくれてるの」
「フッフランさん! お疲れ様ですっ」
急に黒服の天使が現れ、ルゥは直角に頭を下げる。ブラッドサッカーは「やあ、久しぶり」と軽くハグした。
「前より随分体調良さそうじゃないの。甲斐甲斐しいシェフのおかげかな?」
「そうだよ。ルゥ、食事を用意してくれる。彼の分も。作業しながらになるから、サンドイッチか何か頼むよ」
「はいっ! すぐに!」
嬉しくて跳ね回りたい気分だ。おれのおかげだって! デートの相手じゃなくて、おれのおかげだって!
ちょうど昼前で大忙しの料理長の脇で、鼻歌を歌いながらのルゥだった。
出来上がりをオーナー室へ運ぶと、二人はデスクで額を突き合わせている。
「失礼します。温かいうちにどうぞ」
「へえぇ、美味しそうじゃないの。説明してよシェフ」
「シェフじゃなくてルゥです。温サンドと蜜芋のスープです。サンドの中身は炒めたキャベツと玉子焼き、ハムとチーズ。マスタードをたっぷり塗ってありますので」
「いいねぇ、毎日こんなの作ってくれたら惚れてしまうねぇ。それじゃ早速いただこう」
「キャベツいっぱい……」
惚れるどころか憂鬱な声色で、ぽそっと言ったのを聞き逃さない。
「キャベツだけ皿に落とすのはやめてください。千切りをよく炒めてキャベツ臭さは消していますし、ちゃんと味もつけましたから。全部一緒に食べれば大丈夫です」
「マスタードは辛くない?」
「辛くないのを選びました。サンドイッチが良いと言ったのはフランさんですよ。食べてみてください」
意を決してかぶりつくフラン。そんな二人のやりとりを、ブラッドサッカーがニタニタしながら眺めていた。
デスクの上には真っ白で厚みのある上質紙が何枚も並べてある。
「かんてい書って読むんですか?」
「そう。ベルジェモンドの色と大きさと等級を書いて、ここには作り手でフランのサイン、こっちは鑑定人で俺のサイン。売る時は石とこれがセットになるわけ」
「へぇ」
続いてサンドを苦労して飲み込んだフランが説明する。
「今夜はオークションがあるんだよ。彼は闇市場専門の宝石商でね。こうしてベルジェモンドの等級を決めて鑑定書を付け、最低価格を決めて出品してくれてるんだ」
「闇……」
なるほど、それで夜になると棺桶から出てくる吸血鬼というわけか。
「フランにはいつも稼がせてもらってるからなぁ。そうそう、今日のオークションにはおとぎ話のスヴァルト・ストーンが出品されるってよ」
「……ふぅん。出品者は誰なの?」
「ゴドフリー・レイルウェイって蒸気機関車を開発してる会社の社長だ。買収した線路用地で見つけたらしい。しかもその社長、急死したんだと。呪いの石は本物だって評判になってるけど、俺は眉唾モノだと思うなぁ」
石を見つけた直後に急死。これはもう信じるしかないんじゃないか。
「僕も見てみたいな、その呪いの石」
「いいよ、支配人に話通しておく」
「おれも連れて行ってもらえませんか」
オークションなど、ルゥには場違いな金持ちの気取った世界だろう。しかし、次なる呪いの石にフランだけを関わらせるわけにいかない。
「いいよ。闇の世界へようこそだねぇ」
ブラッドサッカーは唇についたサンドイッチの油分を舐めとる。その仕草は、さながら生き血を吸った直後のようだった。
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