74話 大集結

 いざ飛び込んだモンスターの群衆の中は、文字通りの混沌だった。

 もう数えきれないほどのモンスターを切り伏せたが、襲ってくる獣の群れは一向に減ることを知らない。

 足元の地面にはふたりが倒した中小のモンスターの遺体が無数に転がっており、もはや地表が見える部分の方が少ないほどだ。


「リベリカそっちは大丈夫⁉」

「武器の切れ味がそろそろ限界です……!」


 視界を遮るモンスターの群衆。

 リベリカたちが目指しているのはその向こう側だ。

 カスティージョ率いる騎士団が戦っているへミレイア=ベスタトリクスの懐へ辿り着かなければならない。


 だが立ちはだかるモンスターの壁は斬っても斬っても無くならず、それどころか時間を追うごとに厚くなっているように見える。

 今や完全に足止めを食らってしまい、モンスターの包囲網に囚われの身だ。


「この状況を打破する方法を考えないと。流石にこれ以上続けるのは――ッ‼」

「リベリカッ⁉」


 一瞬、顔を逸らした隙にドスッという鈍い音。

 視界の外から飛び出してきたモンスターの頭突きをもろに食らってしまった。

 脇腹に石の金槌で殴られたような鈍痛が走り、リベリカの口からは声にならない息が吹き出す。


「くっそこんにゃろォォッ‼‼」


 リベリカが膝を突いたのを見るや否や、アリーシャは戦っていたモンスターを鬼の形相で切り捨て、駆け付けてきた。

 モンスターを近づけさせまいと威嚇しながらリベリカの容態を確認するべく鈍痛が続いている腰の部分を手でそろそろと撫でる。


「……よかった、外傷はない」



 恐らく出血の有無を確認していたのだろう、手に赤い付着物がないことを確認したアリーシャが安堵の息をつく。

 おそらく腰鎧が衝撃を吸収したのだろう、内臓がやられたような痛みはない。

 まだ苦し気な表情を浮かべているアリーシャを安心させることが先決だ、と考えたリベリカは気丈に振る舞ってみせる。


「ただの打撲ですよ。すぐに動けます」

「無理はしないで! しばらく安静に……」

「そんなことしてる余裕が無いことくらい分かってます!」 


 今この瞬間だけでも、戦況は大きく悪化してしまった。

 周囲に群がるモンスターは数を増やす一方で、どれだけ戦っても光明は見えない。

 このまま群れに飲み込まれ、押しつぶされ、暗闇の中で息絶えるのではないか……というおぞましい未来すら脳裏に浮かんでくる。


「アリーシャも立ってください!」


 リベリカは身体に鞭打って立ち上がった。

 前も後ろも、右も左も、360度を囲まれてしまっている以上、さっきのような不意打ちを避けるためにはアリーシャとの連携が不可欠だ。


 続いて立ち上がったアリーシャが、リベリカの背後を護るように背中合わせでモンスターと相対する。

 その時、背中で触れている彼女の身体が震えていることにリベリカは気が付いた。


「アリーシャ……もしかして身体が……」


 彼女はわずか1か月前に手足が衰える病を克服したばかりの病み上がりの身だ。

 もしや彼女の身体への負担はすでに相当なものになっているのではないか。


 だが、そんなリベリカの心配とは裏腹に、背中越しにアリーシャは首を横に振っているのが分かる。

 代わりに聞こえてきたのは懺悔するような呟きだった。


「……ごめん。リベリカ、本当にごめん」

「いったい何のことを――」

「また、アタシのせいでこんなことになったんだ。またアタシのせいで人が死んじゃう……」


 モンスターの呻き声に混じって、人の断末魔が聞こえてくる。

 その度に、アリーシャの肩がビクンと跳ねあがった。

 握りしめている彼女の太刀はカタカタと泣くように震えている。


「アタシが何も考えずに背中を押したせいだ。そのせいでリベリカまで死んじゃったら、もうアタシ……‼」

「落ち着いて、私は生きてます! 死んだりしませんよ!」


 リベリカが必死に呼びかけるが、アリーシャはまるで身にたかる羽虫を振り払うように闇雲に太刀を振り回している。

 もはやこちらの声は届いていない。

 だが彼女を正気に戻したくとも、次から次へと襲い来るモンスターを始末するのに精いっぱいだ。


「やっぱりアタシじゃ力不足だった。今のアタシじゃもうリベリカの助けになんてなれなかった。……でもせめて、リベリカだけは絶対に死なせない」


 背中に触れていた温もりが離れた直後、リベリカの視界にアリーシャが立つ。

 目指していたヘミレイア=ベスタトリクスとは真逆の方角を正面にして、太刀を鞘に納めると腰の高さで左後方に構えた。

 それが居合の姿勢だと気づき、リベリカの胸に嫌な予感が沸き起こる。


「アタシが一瞬だけ退路を作るから。合図したらリベリカは向こう側まで走って」

「アリーシャは⁉」

「アタシはここに残る。たぶんこの一撃で動けなくなるから」

「そんなの駄目に決まってます! もっと他の方法があるはずです‼」


 リベリカが肩を掴んで必死に止めようとするが、「危ないから下がって」という無感情な声だけが返ってくる。

 もう心を決めているのだろう。アリーシャはこちらを振り向きもせず、後ろ手でリベリカを押して後ろに下がらせた。


「こんなの駄目です! 絶対にだめ……です」


 この一撃を彼女に繰り出させてはいけない。

 そもそも事態を招いた責任が誰かにあるというのなら、それは副団長という立場を言い訳にして騎士団長の無謀な作戦を止められなかった自分の責任ではないか。


 この3年で実力をつけ、アリーシャと肩を並べて戦えると思い上がっていた。

 だが結局なにも変わっていない。

 初めてアリーシャと出会い、命を救われたあの日と同じだ。


「リベリカ。絶対に生きてね」


 ジリジリと迫りくるモンスターの包囲網をギリギリまで引き付け、アリーシャが大きく息を吸い込む。


 ――その時、密集するモンスターの包囲網に大きな風穴が開いた。


『いたぞッ! あのふたりを援護しろォォッッ‼‼‼』


 まるで雨上がりの陽光が雲間から差し込むように、目の前の景色が明るく開ける。

 なぎ倒されたモンスターの向こう側にいたのは、地平線がすっかり見えなくなるほどの狩人ハンターたちの大軍勢だった。


 最悪とも言えた戦況を容易くひっくり返してしまう光景に、アリーシャが驚きの声を上げる。


「こんなにたくさんのハンターが一体どこから……⁉」


 老若男女、多種多様な武具を身に着けた古今東西の狩人ハンターたち。

 すべてのハンターが第一線に身を投じていた若きふたりの少女を救援すべくそこに集結していた。


『包囲網をこじ開けるぞ! 重槍部隊は続けッ!』

『『オオオオオオオッッ‼‼』』


 一際大きな重槍を携えた男が先陣を切ってモンスターの包囲網を突破した。

 続いて狩人たちが前進し、群がっていたモンスターを次々に掃討していく。


 手勢の部下に鎮圧を任せたリーダー格の男は、すぐ傍までやってくると懐かしさを覚える兜を脱いで素顔を露わにした。


「遅くなってすまん。ぎりぎり間に合ったか」

「間一髪で助かりました。この度のご協力、本当にありがとうございます、隊長」

「その呼び方はよしてくれ。今ではお前の方が偉い立場なんだから」


 今や立場がすっかり逆転したかつての部下に頭を下げられて、サン・ラモンは気恥ずかしそうに頬を掻く。

 そんな彼をアリーシャはまるで幽霊でも見るような目で見つめていた。


「なんでアンタがここに……」

「狩猟ギルド解体のあと、俺たちはこの国を出て傭兵として活動していたんだ。ここに戻ってくるつもりは無かったんだが、この女騎士様から直々に協力要請を受けてな」


 サン・ラモンは、周りでモンスターと対峙している狩人たち、その後方で怪我人の救助をしている狩人たちに親しみのこもった視線を送ってふたたび口を開く。


「ここにいるやつらは全員、その呼びかけに応じて集まった人間たちだ」

「こんなに大勢の人が……リベリカはすごい。アタシとは大違いだね」

「いいえ、これは私だけの力じゃありませんよ」


 萎れた花のように首を垂れるアリーシャに、リベリカは決して謙遜を交えず首を横に振って否定した。


 おそるおそる顔を上げたアリーシャに、サン・ラモンは尊敬と敬愛の意を込めた視線を送る。


「俺たちは、お前がここにいるから集まったんだ」


 サン・ラモンはまるでいつかの恩義を返すように、敬愛に満ちた声音で続けた。


「正直、これが前代未聞のとんでもない狩猟だってことは誰もが分かってる。普通なら勝ち目なんてない。だけどな、リベリカこいつ世界最強の狩人アリーシャを連れてくると約束したんだ。だから俺たちはこの賭けに乗ることにした」

「アタシがいるから……?」

「そうだ」


 もはや夢か奇跡とも思えるこの大集結は、紛れもなくアリーシャが積み上げてきた結果と名声が結実したものだ。

 権力や肩書なんて無くても、彼女はその名ひとつでこれだけの人間を動かすことができるのだ。


「アリーシャはここにいる全てのハンターの希望なんです」


 包み込こんだ両手の中で、アリーシャの手がゆっくりと、硬く握られていく。

 少女の瞳に再び光が灯っていくのを見てリベリカはそっと手を離した。


「また私たちの先頭に立ってくれますか?」

「みんながまたアタシの我儘についてきてくれるなら」

「ついていきますよ。どこまでも」

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