73話 最終決戦へ

 砂漠地帯で始まった王立騎士団のベスタトリクス討伐作戦は、想定外のモンスター乱入によって一度は窮地に陥ったものの、副騎士団長リベリカと元狩人のアリーシャの支援により形勢を逆転し、前哨戦に無事に勝利した。


 だが、勝利に酔いしれていられるのは束の間だった。

 砂漠地帯を外界から隔絶するようにそびえ立ち、王都の城壁など優に超える高さである岩壁のさらにその上から異形の生き物が姿を見せる。

 ヘミレイア=ベスタトリクスはまさしく規格外の巨体を持つモンスターだった――。



「あのモンスター、大きすぎませんか……」

「アタシもこのサイズは初めてだ」


 一般的に大人の背丈を超えるほどのモンスターを中型、家屋ほどの大きさになると大型モンスターとして扱われるが、この本命の標的へミレイアは到底そんな基準では収まらない。


 脚は樹齢数百年の大樹かと勘違いしそうな太さをしており、見上げるほど高い位置にある頭部がこちらを見下ろしてくる。

 一見すると飛竜のそれを思わせる容貌だが、額には他には見たことがない蜘蛛の眼のような朱色の斑点が八つ。

 目が合っただけで身の毛もよだつ面相だ。


 何よりも怪異なのは体表から滲み出るように立ち昇っている大量の黒い粉塵。

 瘴気を纏うようなその姿はまるで死神だ。

 本能を刺激するような恐怖感が手足の先から身体の芯までゾクリと走り、砂漠の熱に当てられているというのに悪寒を感じてしまう。


「でもアタシはコイツを倒すために来たんだ」


 隣で空高くを見上げているアリーシャは文字どおり足元にも及ばないモンスターを前にしても堂々と言い切ってみせる。

 その姿は頼もしい限りだが、いくらなんでもこの最終標的ラスボスは人間ひとりで相手にできる相手ではない。


「まさかとは思いますが、ひとりで挑む気じゃ……」

「まさか。流石にコイツは少なくとも数十人規模で挑まなきゃ無理だよ」

「そこは人並みの感覚なんですね……」

「あのぉ、アタシも人間だからね?」


 その反応は心外だとアリーシャがジト目を向けてくるが、どの口が言っているのかと素知らぬ顔で受け流す。

 アリーシャは「まあいいけど」と気を取り直して続けた。


「騎士団の残りの戦力はどうなってる?」

「後方支援を別にして、この場でまだ動けそうな者は約30名といったところです」

「30人かぁ。あの巨体が相手だから10人は防御専門に割きたいし、残りの20人を3つに分けて、モンスターの前脚を責める2部隊と遊撃隊で同時に攻めるか――」


 上の空でぶつぶつと呟きながら思考を巡らせていたアリーシャだったが、ふと怪訝な顔をこちらに向けてくる。


「え、なに、どした? なんで無反応!?」

「いえ、ちょっと……アリーシャの変わりように驚いてました。昔は作戦なんて考えずに馬鹿みたいに特攻してましたから」

「バカって思われてたの⁉」

「大丈夫です、昔の話ですよ。今は思ってません」

「だとしても素直に喜べないんだけど……」


 当のアリーシャは浮かない表情をしているが、やはり彼女は依然に比べて一回り頼もしさが増している感じがする。

 離別していた3年の月日の中で、非合法とはいえ狩人たちの集団を統率していたという経験が少なからず彼女の成長につながったのだろう。


 そんな一方で、相変わらず変わることのない硬直化した者たちもいる。

 次の戦いに備えて待機している兵士たちの集団を強引に割って、司令本部の方角から10名の騎士が無愛想にも軍靴を踏み鳴らしながら近づいてきた。


 まだ遠いながらその先頭を歩いている男の顔を見たアリーシャが、さっとフードを被りなおしてリベリカの後ろに立った。


「やばいやばい。あいつが来た⁉」

「あいつって……?」


 目を凝らしてみると、絢爛な鎧に身を纏った王立騎士団の精鋭部隊を率いている男に見覚えがある。

 というか、見間違えようもなく、騎士団であるカスティージョ本人だった。


 カスティージョは目の前で立ち止まると、辺りで待機している兵士たちの様子を見まわしてから口を開く。


「ご苦労様でした副団長。貴方は兵士と共にこの場で待機していなさい。あとは我々で引き継ぎます」

「ま、まってください!」

「なんでしょう?」

「あのモンスターはあまりにも強大すぎます。ここに残っている部隊を含めた作戦の再立案を提案します」


 リベリカが毅然とした表情で答えると、カスティージョは歩み出していた足を再び止めた。


「作戦の再立案ですか。何か考えがあるのですか?」

「精鋭部隊だけでなくここにいる兵士で組成した複数部隊で交互に攻撃を仕掛けます。あのモンスターとは長期戦が予想されます。一人一人の消耗を抑えながら戦える体制を整えるべきです」

「ここにいる兵士は既に疲弊しているように見えますが。戦える数は充分にあるのですか?」

「今日の作戦に際して民間への協力要請を行っています。その部隊が到着すれば十分な数になるはずです」


 アリーシャもそのひとりであったように、狩人制度が廃止になった3年前、騎士団には入らずに地方へ散っていた元狩人たちが数多くいる。

 そんな彼らも王国の存亡を掛けたモンスター討伐作戦のためになら集結して力を貸してくれるはずだ。

 ……というのは夢物語のような話だ、とリベリカも言いながら思うが、ヘミレイア=ベスタトリクスとの無謀な衝突を避けるための口実になるならと懸念を飲みこむ。


「民間の協力要請……そんなものが当てになるはずがない」


 カスティージョは全てを見透かしているように冷笑を浮かべて言う。


「その民間人は今どこにいる? いつになれば来る? 所詮あの人間たちは機会を与えられながら権力という秩序に収まらなかった連中だ。仮にここに来たとしても統率など取れるはずがない」

「――それは違うよ。狩人ハンターには狩人ハンターなりの流儀がある。騎士団あんたらとルールが違うだけ」


 不意にリベリカの背に隠れていたアリーシャが前に出た。

 訝しむスティージョの前に立ち、顔を隠していたフードをパサリと脱いでガンをとばす。


狩人ハンターなめんな」


 指名手配を掛けてまで探していた娘が突然現れたことに流石のカスティージョも驚いたのか、目を見開いて吐息を洩らす。

 だがそれも束の間、いつもの感情に乏しい表情に戻ると静かに口を開いた。


「……誰かと思えばアリーシャですか。もしかしてとは思っていましたが本当にここに来ていたとは」

「あー再会の言葉とか要らないから。で、どうすんの。あんたら10人で本当にあのモンスターに挑むわけ?」

「そう言ったはずですよ。この部隊は今地上で最強と言っても過言ではない。全員がお前と同じ戦闘能力を持った人間だ」

「呪いの武器のおかげでしょ。道具を過信すると身を滅ぼすよ」

「それは道具の力を実力だと勘違いしていた自信への忠告かな?」

「……相変わらず皮肉がお上手なことで」


 何を言っても暖簾に腕押しかというように、アリーシャが愚痴をこぼす。

 カスティージョは再び歩み始め、仁王立ちしているアリーシャの脇を通り抜けざまにぼそりと呟いた。


「もう誰にも私の邪魔などさせるまい」


 立ち去っていくカスティージョの背中を睨みながらアリーシャがリベリカに問いかけた。


「あのまま行かせていいの?」

「……騎士団長がああ言っている手前、私の権限でこの場の兵士を動かすのは難しいので……」

「まあ、リベリカの立場が悪くなるなら我慢か」

「力が及ばすすみません」


 どちらにせよ今の自分の手元には精鋭部隊と張り合えるほどの戦力がないとリベリカは唇を噛む。


 その時、突如として砂漠中の大気をビリビリと震わせるような轟音が鳴り響いた。


「え、なに⁉ なんか爆発したっ⁉」

「大砲による砲撃です! こっちの確認もせずに撃ち始めるなんて……!」


 アリーシャが耳を塞いで見やる空に、十門の大砲から放たれた火薬と鉛の塊が流星のように飛んでいき、岩壁の上にいる超巨大な漆黒の四足龍ヘミレイア=ベスタトリクスに向かって降り注いでいく。

 砲弾がヘミレイアの巨体のあらゆる部位に着弾すると、血が噴き出るように炎と煙が立ち上り、硝煙の匂いを乗せた爆風が地上にまで吹き荒れる。


 すぐさま第二、第三の砲撃が始まった。

 砲弾の雨はヘミレイア=ベスタトリクスが立つ一帯に降り注ぎ、やがて山が崩れるような音と共に岩壁の一角が崩壊する。


『ヘミレイアが堕ちたぞぉ! 一斉に掛かれえぇ!!』


 土砂崩れに巻き込まれた巨大な四足龍が地上へと堕ちると、精鋭部隊の騎士たちは武器を振り上げながら一斉に突撃を開始した。


 その背中を見送りながらリベリカは知らず拳を握っていた。

 本当は強引にでも彼らを止めるべきだったのではないか。

 アリーシャの直観はいつでも当たっているのだ。

 彼らが自分と同等、もしくはそれ以上の実力者の部隊とは言え、ヘミレイア=ベスタトリクスは未知のモンスター。何が起こるか分からない。



 ――その危惧が現実のものとなるのに時間は要さなかった。


 精鋭部隊が間合に入ろうとした寸前。

 砲弾に撃たれて怯んでいるように見えたヘミレイア=ベスタトリクスが急に活動を再開した。

 周囲に崩れ落ちていた岩石を削り飛ばすように前脚を大きく横なぎにし、砕かれた岩々が弾幕を成して飛んでくる。

 

 その一撃で致命傷を負ったのは、突撃していた精鋭部隊ではなく、むしろ後方の大砲部隊だった。

 四方八方に飛来した岩石によって大砲が破壊され、たった一撃で騎士団は火力による遠距離攻撃の術を喪失。

 幸いにも指令本部の天幕は落石を免れたようだが、もはや十分な後方支援を見込める状況ではなくなったことは明らかだった。


『怯むなっ! 今を逃せば騎士団の勝利はないものと思えっ!!』


 それでもカスティージョ率いる騎士団は前進を続ける。

 その好戦的な姿はまるで何かに取り憑かれているようにすら見える。


 結果、戦況は悪化の一途をたどった。

 砲撃により穿たれて溝が大きくなっていた峡谷の奥から、有象無象のモンスターが湧き出し、一瞬にして精鋭部隊はモンスターの大群に飲み込まれてしまう。

 それでも留まるところを知らないモンスターの群れは、まるで津波のような面となって戦場の後方を目掛けて押し寄せてくる。


「あのバカ……やっぱりこうなるじゃん‼ リベリカどうすんの⁉」


 アリーシャの必死の形相に気圧されないようにリベリカは歯を食いしばる。

 もはや静観していられる状況ではない。

 今の事態は完全に想定外。

 副団長として判断を誤れば王立騎士団の全滅にすらつながりかねない。


 だが、今ここに残っている兵士たちを引き連れて何ができる。

 押し寄せてくるモンスターの迎撃はできたとしてそのあとは?

 あんな巨大なモンスターを討伐できるのか。

 それとも体制を立て直して全軍撤退のしんがりに徹するべきか……。


 ああでもない、こうでもないと思考が駆け巡って脳が焼ききれそうになる。

 そんなリベリカの耳に凛とした一声が響いた。


「考えて答えが出ない時も直感で動く! それがリベリカの強さでしょ‼」

「――っ!」


 曇りない澄んだ瞳に見つめられ、リベリカは急き立てられるような衝動を覚えた。

 そうだ。いつだって自分はそうやって来たのだ。

 戦場では一瞬の逡巡が盤面を狂わせる。

 多勢に無勢? 加勢が見込めないなら待っていても同じこと。

 ならば、最強の狩人が共にある今、攻めに転じるべきじゃないのか。

 

 リベリカは両足を大地に突っ張り、胸いっぱい空気を吸い込んで口を大きく開いた。


「この場の兵士はここで防衛戦を死守!」


 騎士たちの鬨の声を聞き届け、リベリカは身を翻してアリーシャと肩を並べて隣に立つ。


「わたし達はあの中に飛びこんで騎士団を援護します」

「別に敵を殺してしまっても構わんのだろう?」

「できるものなら?」

「じゃあやろう。無理かどうかじゃなくて、やるかやらないか、なんだから」

「全く……そんな簡単に言わないでください」


 見据える先はモンスターが跋扈するさらにその深奥、控えめに言っても死地。

 リスクリターンを考えれば圧倒的に前者に軍配が上がる。

 だが、たしかにいま必要なのは覚悟だけだ。


 気づけばどこかの誰かさんのように脳筋な思考をしている自分に気がついて、リベリカは自嘲めかして続けた。


「我ながら酷い作戦ですけど付いてきてくれますか?」

「おうよ、相棒」


 景気良く背中をトンと押されて走り出す。

 ヘミレイア=ベスタトリクスとの開戦からわずか数分後。

 劣勢に転じた戦況の打開のため、リベリカ・モンロヴィアとアリーシャ・ティピカは決死の覚悟で戦場へと飛び込んだ。

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