72話 ユリの狩人(100%)
白昼の大空に突如現れた漆黒の飛竜。
巨大な翼を広げて空に佇むその龍は、着陸場所を見定めるように首をゆっくり巡らせると、悠然とした羽ばたきで下降をはじめた。
飛竜の影が落ちていく先は、第一陣がモンスターを掃討している正にその場所。
「そこから離れて!!」
地上のモンスターに気を取られていた騎士たちもようやく頭上の飛竜の存在に気がついた。
モンスターの中でも別格的な狂暴性と強さを誇る飛竜を目にした者たちは、トドメを刺そうとしていたモンスターのことも忘れ、逃げ出すように散り散りに走り出す。
だが初動が遅すぎた。
地上近くまで降りてきた飛竜の口から黒い炎を纏った息吹が吹き出され、業火は瞬く間に大地を一掃。
燃え盛る炎は波打ちながら放射状に広がり、逃げ惑う騎士たちを丸ごと火の海に飲み込んでしまう。
炎に焼かれた砂漠は黒く染まり切っていた。
横たわっていたモンスターの遺体で運よく炎を免れた数人を除き、ほとんどの騎士はその場に倒れて動かない。
「あのモンスターは……」
胴から伸びる長い首の先には禍々しい四本の角を伸ばした悪魔のような顔。
爬虫類を思わせる鱗に覆われた尻尾は大蛇のように長く、飛竜の象徴たる巨大な翼膜にぶら下がっている鉤爪はまるで死神の鎌のよう。
それら全ての特徴がリベリカの脳裏に刻まれているモンスターの姿と重なっていた。
幼い頃、豊かな穀倉地帯だった故郷を焦土に変えた業火の元凶。
その日から幾度となく悪夢に現れ、いつか必ずこの手で仕留めると誓った宿敵の
その因縁のモンスターこそ、目の前に現れたこの飛竜に間違いないとリベリカは確信した。
「このままでは取り残された者たちが!!」
「わかってます!」
興奮と焦燥で血が登る頭で思考を高速回転させる。
こちらの戦力は第一陣の半数と第二陣の騎士を合わせた約40人。
残された者達を救うには、火炎を避けながら飛竜の
「隊を4つに分けます。第一隊は負傷者の救援、残る3つの隊は三方に別れて飛竜に接近して奴を叩きます!」
無謀な作戦であることは重々承知だ。
だが、負傷者の救出を抜きにしても撤退は許されない。
あの飛竜が再び空に飛び上がる前に仕留めなければ、後方に控える本隊や司令塔すら業火の海に沈むことになるだろう。
地面に降り立った厄災龍は、攻撃の反動があるのか息を整えるように頭をもたげている。
接近するなら今しかない。
瞬時に判断を下したリベリカが号令する。
リベリカの一声で紺色のサーコートを靡かせた集団が津波のように移動を開始した。
波はすぐさま四方に別れ、漆黒の飛竜が鎮座する場所を目掛けて前後左右から接近していく。
だが、厄災龍は早くもその動きに反応した。
こちらが移動を初めて間もなく、飛竜の喉元がまるで煮えたぎる溶岩のような赤色に染まっていく。
「
騎士たちが点々と横たわっているモンスターの遺体の裏側へ飛び込んで身を屈める。
直後に轟音。辺り一帯が漆黒の火炎によって焼かれていく。
「被害を報告!」
「こちら全員無事です!」
「こちらも無事です!」
不幸中の幸いか、リベリカ発案の回避法は有効だった。
転がっているモンスターは小型と言えども、大人数人ほどの体格がある。
それを遮蔽物として利用すれば火炎を防ぐことができる。
「攻撃の間隔が短すぎます! これじゃまともに近づけません!」
「弱音を吐くな! 少しずつでも近づくしかない!」
この頻度で攻撃が繰り返されるのならば、一度の接近でわずか数mしか距離を縮められない。
こんな調子では厄災龍に届くよりも先に日が暮れてしまう。
現実的にはそれよりもっと先にこちら側の体力が尽きるだろう。
「おいお前! 早く隠れろッ!!」
「間に合わない――ああああああああッ!!」
炎をやり過ごす度にどこかから聞こえてくる叫び声。
まるで進展の感じられない歯がゆい一進一退を何度も繰り返す。
あと何度これを繰り返せばいいのか。
厄災龍にはまともに近づけず、なのに同士の命は次々散っていく。
「せめて一度でもあの攻撃を中断させられれば……!」
リベリカは己の不甲斐なさに拳を握る。
一度の
倒すべき宿敵が目の前にいるというのに。
この刃が届けば奴を仕留められるというのに。
――その時、部隊長の狼狽した声が響き渡った。
「そこのお前今すぐ戻れ! 一人で行くなんて自殺行為だ!!」
炎が未だ燃え残っている砂漠の上。
フードを被った見慣れない騎士が駆け抜けていく。
他の騎士は息を切らして座り込んでおり、誰かが後に続く様子は無い。
このままでは確実に独りで犬死だ。
所属すら不明だが、彼がどこの誰であろうと副団長として無謀な突撃を見過ごすわけにはいかない。
「他の者は待機! 私がどうにかします!!」
リベリカは岩陰から飛び出して、前を行く騎士の背中に食らいつくように全力で疾走する。
たった一人で真っ直ぐに距離を詰めていく騎士を、飛竜は大口を開けて待ち構えていた。
間髪入れずに再び空気を吸い込み始め、灼熱の息吹を繰り出さんと喉を膨らませていく。
次の攻撃までもう幾ばくの猶予もない。
遂に飛竜の喉が深紅に染まり、牙をむき出しにした口が開かれる。
「間に合わない! とにかくそこから……!」
「――アタシはもう逃げないッ!!」
直後、飛竜の口が火を吹いた。
しかし放たれたのは火炎を乗せた息吹ではない。
「
龍の口から飛び出してきたのは、炎を大岩のような大きさに凝縮した一塊の火球。
大地を焦がしながら迫ってくる火の玉をフードの騎士はわずか数歩の足さばきで左に身を
――瞬間、はだけたフードの内側から、光り輝く錦糸のようなブロンドヘアがこぼれ落ちる。
その比類ない美しさにリベリカの胸は焦がれるように熱くなる。
「行くよ副団長! トドメは任せたからッ!!」
懐かしさすら覚える頼もしい一声。
不思議と力が込み上げてくる。
彼女が戻ってきた。
その確信と共に全ての恐れが掻き消えていく。
もはや厄災龍までの道を阻む障害は何もない。
眩い金髪を風に乗せた少女がぐっと左脚を踏み込み、同時に腰からの太刀を抜刀する。
「ウォリャャァァァァァッ!!」
雄たけびと共に振り抜かれた太刀が龍の懐を一閃。
斬撃を刻まれた厄災龍は驚いたように仰け反り、空中に逃げようと両翼を天に向かって大きく広げる。
「絶対に逃がさないッッ!!」
リベリカは双剣を握ると同時、足下に転がるモンスターの身体を踏み台にして跳躍した。
地面から飛びさらんとする飛竜の頭を超えて更に空高く飛び上がる。
「とどけえぇぇぇぇぇッッッ!!!!!!」
飛竜の真上に到達したリベリカは、二対の刃を大上段から振り下ろす。
狙うは飛竜の脊椎。上体を翻しながら剣閃を龍の鱗に突き立て、漆黒の飛竜の鱗と肉をV字に引き裂いた。
飛び上がった直後を切り裂かれた厄災龍が悲鳴を上げる。
リベリカはその巨体を蹴り落とすように背中を蹴って再び跳躍。
飛竜は悲鳴を上げながら墜落し、最大の弱点である頭部を地面に打ち付ける。
それが両者の勝敗を決定づけた瞬時だった。
重ね合わせたリベリカの双剣が矢の如く龍の頭部を貫き、その一撃によって厄災龍は絶命した。
「やった……、やった……!!」
長かった。本当に長かった。
これまでの人生の大半はこの日のために捧げてきた。
一生かけても叶わないと諦めかけた日もあった。
だが、この手で確かに成し遂げたのだ。
「やったねリベリカ」
優しい声音が耳を撫で、そっと肩に手が添えられる。
その温もりではち切れそうになる胸を抑えながらリベリカはくしゃりと笑って振り返った。
「ありがとうございます。お帰りなさいアリーシャさん」
「うん。待たせてごめん」
「本当に待ちましたよ」
「そこは全然待ってないよって言うところ……」
「めちゃくちゃ待ってましたから」
「相変わらず冗談通じないよねぇ……」
ばつが悪そうに頬をかくアリーシャを見ていると、その仕草すら微笑ましく思えてくる。
あれやこれやと話したいことが次から次へと浮かんできて、本当なら今すぐ街に戻って一晩中語り明かしたい気分だ。
だが、現実はそんな妄想を許すほど甘くはない。
冗談めかしていたアリーシャの表情が途端にして引き締まる。
「リベリカ、本命のお出ましだよ」
アリーシャの視線の先にあったのは、もはや規格外としか言いようのない超巨大なモンスターだった。
数十mの幅がある峡谷を優に跨ぐほど巨大な脚。
蜘蛛のような赤い瞳を八つ並べた身の毛もよだつ頭部。
全身からは大量の黒い粉塵が立ち昇り、その姿はまるで霊気を纏った死神を連想させる。
「なんですかあれ、大きすぎませんか……」
「アタシもこのサイズは初めてだ」
「……勝てます?」
かつて無いスケールに圧倒されたせいか、リベリカの口から思わずそんな言葉が漏れてしまう。
だが、やっぱりそれは愚問だったと遅れて気づく。
アリーシャは何の曇もない表情で平然と口にした。
「そのために来たからね」
黒腐病を国中に放ってきた元凶――へミレイア=ベスタトリクス――との決戦が今ここに始まる。
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