67話 ユリの狩人(1・-1)

 狩猟団の結成からわずか数カ月。

 最初はアタシを含めて数人だった集まりが、実績を挙げるにつれてどんどん加入者が増えていき、狩猟団はあっという間に30名以上が参加する大所帯になっていた。


 けれど、狩猟団の拡大は何も喜ばしいことじゃなかった。

 人が増えれば出自も思想も多種多様になる。

 中には頭領であるアタシの立場を疑うような噂も聞こえるようになっていた。


『あのガキ本当に強いのか?』

『噂は聞くけど実際はどうだかな。最近は狩場に出る機会も減ってるらしいし』

『そのくせ生意気な態度ときた。俺たちでワカラセてやるべきだろ』



 生来、アタシは人を魅力で引き付けるような才能や求心力はない。

 だから頭領として彼らを率いるためには実力を誇示し続けるしかなかった。

 実力が全ての弱肉強食の世界で舐められてしまえば生きる場所を失う。


 生きていくために絶対に失敗はできないという不安は、いつしかアタシの心を雁字搦めに縛り上げていた。


 そんなある日、事件が起きた。


 多くの団員が大規模な狩猟作戦で出払っていたその日。

 狩猟団の拠点に急報が飛び込んできた。


「近くに黒いモンスターが、ベスタトリクスが現れたらしい‼」


 息を荒げた団員が言うには、黒腐病ベスタトリクス化したモンスターが発見されたのは集落からほど付い森林の奥地。

 この距離だと今すぐに村から避難しなければならないほど切迫した状況ではないが、静観しているほどの余裕はない。

 逃げるにしろ戦うにしろ、判断を誤れば計り知れないほどの犠牲者が出る。


「狩場の状況とモンスターの数は!」

「詳しいことは分かりません! 目撃した村人が言うにはモンスターは一体らしいです!!」

「そんな情報だけじゃ当てにならねぇだろッ……」


 心許ない答えに思わず悪態を吐いてしまう。

 狩猟において事前の情報収集は武器や道具の準備と同じくらい大事なことだ。

 モンスターの数や大きさ、対峙する環境の足場や遮蔽物の有無で戦い方が決まる。

 そう言う意味では、狩りはモンスターと遭遇より先に8割がた勝負がついているといっても過言じゃない。


 拠点に残っているのはアタシを含めて僅か5人。

 そのうちの1人である古参の老齢ハンター、サントスが険しい顔で腕を組んだ。

 

「この人数でベスタトリクスに挑むのは危険すぎる。騎士団の対処を待つべきだ……」


 サントスが言っていることは筋が通っている。ベスタトリクスはどんなに小さな個体であってもたった5人で対峙して良いモンスターじゃない。

 それなりに経験を積んでいる彼がそれでもプライドを捨てて「今回は騎士団に任せるべき」と言ったのは、彼が以前にベスタトリクスと対峙し、成す術なく敗走した過去があるからだろう。


 けれど、この狩猟団に集まっている狩人たちは騎士団がモンスター狩猟を独占する体制になって職を失った者たち。

 案の定、若手の(と言ってもアタシより年上だが)ハンターたちは血気盛んに異議を唱える。


「そんな弱腰でどうするんですか!」

「そうだ! 騎士団に頼るならそれこそ俺たちの存在意義がなくなっちまうだろ!」


 騎士団によって生業を奪われた者たちが、その因縁の相手に救いを求めることなんて容認できないと思うのも当然だ。

 反発する両者は今にも取っ組み合いになりそうな熾烈さで啀み合い、ついにその矛先がアタシに向く。


「アリーシャ! アンタの意見を聞かせてくれ」

「騎士団を待つべきだろう」

「「「戦うべきです!」」」


 理性では既に判断を下している。答えは「戦うべきじゃない」。

 ベスタトリクスは生半可な武器では刃が通らず、しかも人体に害を及ぼす粉塵をまき散らす脅威的なモンスター。

 たった5人ではとてもじゃないが人手が足りない。

 なによりも、アタシは一度ベスタトリクスに敗北して後遺症を追っている。


 ……なのに、もうひとりのアタシは「戦え」と叫んでいる。

 口を開けば吐き出せるはずの言葉を言えない。

 ついに痺れを切らしたハンターたちは手前勝手に武器を取り始めた。


「待てお前たちッ!」

「サントスのじじいは留守番しとけ!」

「俺たちは先に行きますから‼」


 サントスの一喝を涼し気な顔で振り切って、若いハンター3人は拠点を飛び出していく。


『そんな弱腰なら狩人なんて辞めちまえ』


 その瞬間アタシは湧きたった衝動にもう抗うことができなかった。


 弱腰、アタシが?

 ――アタシだってまだ戦える!!


 立てかけてあった太刀を手に取り道具袋をひっつかむ。


 戦って、アタシはベスタトリクスに勝てると証明する。

 後遺症? 関係ない、まだ手足は自由に動いている!

 ここで勝負を降り、騎士団に助けを求めるくらいなら本当に狩人を辞めた方がましだ。

 狩猟一本で積み上げてきた自分の価値、存在意義を誰かに取って代わらせるなんて許せるはずがない。


「頭領までっ⁉ 無茶です騎士団に連絡を‼」

「するなら勝手にすればいい! アタシは自分で戦う!」


 そうして、アタシは再びベスタトリクスと対峙した。



 黒い粉塵が舞い、より鬱蒼と暗く茂る森の中。

 先行してきていた3人のハンターと向かい立っている全身を影に飲み込まれたような異形の四足大型獣。

 ベスタトリクは醜悪な面で悠然とこちらを見下ろしていた。

 この生き物は人間を何の脅威とも感じていないのだろう。


「刃が通らねぇ⁉」

「やべえ、やべえよ……」

「こんなの規格外すぎる!!」


 威勢よく飛び出していったはずの青年はその面影もなく顔を蒼白させ、手に持っている大剣はすでに柄だけを残して剣身が無くなっている。

 おそらく初手でベスタトリクスを斬りつけたときにへし折られたのだろう。


 黒腐病ベスタトリクス化したモンスターは、通常個体のそれと比べて極端に肉質が固くなっている。

 ごく限られた弱点部位を除けば、どんな武器で攻撃しても容易く砕かれてしまう。


 やはりベスタトリクスは規格外の生き物なのだ。

 並大抵の狩人では敵として認識されることすらない。

 これが劣勢な戦況であることは火を見るよりも明らか。


「お前たち下がれ! 今からでも撤退するんだ!!」


 狼狽える3人に遅れてやって来たサントスが野太く一喝する。

 その声が届いていないのか、彼らは身を凍らせたように立ちすくんだまま。


 その瞬間、自分の足はベスタトリクスに向かって地面を蹴っていた。


「アタシが突っ込むから援護ッ!!」


 ここで撤退しても背後から追撃を受けてしまう。

 全員で生きて帰るにはここでベスタトリクスを殺るしかない。


 ……なんてウソ。


 大義名分が脳裏に浮かんだのは最初の一瞬だけ。

 

 満ち満ちてくる高揚感に支配されるように四肢が躍動する。

 今度こそこの手で斬ってみせる。

 敗北という汚点を帳消しにできる千載一遇のチャンス。


 降りかかってくる粉塵は右へ左へ身体を逸らしながら全速力で接近。

 まさか単純に真正面から距離を詰められるとは思っていなかったのだろう、ベスタトリクスが間抜けにも目を丸くして身をたじろがせる。

 その一瞬の隙こそが好機。

 遂に目と鼻の先まで詰め寄り、愛刀に手をかけた。


 何十何百と繰り返してきた動き。この一撃で決めてみせる。

 二度と、誰にも、どんなモンスターにも屈したりしない。


「……え。」


 ――なのに、握りしめたはずの手に力が入らなかった。


 気づいた瞬間、目に映る全ての光景が不気味なほど遅々とした動きで流れ始める。

 握った指の隙間からすり抜けていく太刀。

 鈍色の光をてらてらと反射しながらゆらりゆらりとこぼれ落ち、叩きつけた地面から腐った落ち葉がぶわりと舞い上がる。


 足元には、自分の影を丸ごと飲み込むような広大な獣の影が広がっていた。

 頭上には丸太のようなモンスターの腕。

 その先端にはどす黒く血塗られた大鉈のような爪がこちらを狙っていた。


 武器が無い。

 避けられる距離じゃない。

 爪が降り落ちてくる。


「アリーシャぁ゛ぁ゛ッッッッ‼‼‼‼」


 なのに、なぜか、爪が切り裂いたのはアタシの身体ではなかった。

 目の前に飛び込んできたサントスの身体から真っ赤な血しぶきが吹き上がる。

 なぎ倒されたサントスに覆いかぶさられ、アタシは身体の自由も視界の光さえも奪われる。


 それからは冷たい地面と生ぬるい肉に挟まれた暗闇の中で、凄惨な断末魔を聞き続けるだけの時間が続いた。


「があ゛ぁぁッッッ‼‼」


 人の身体が人形のように投げうたれ、木の棒のようにへし折られ、地面に転がっていく。

 

「くるなあ゛あッッ‼‼‼‼」


 もう手も足も動かせず、動かす気力もなかった。

 きっとアタシの存在は仲間たちの遺体と死臭に紛れていたのだろう、サントスの下敷きになったまま、やがて巨体が地面を踏み荒らす振動は遠ざかっていった。

 それでもなお、いつまでも頭の中で繰り返される断末魔を聞きながら、アタシの意識は知らず闇に散った。



 次に目が覚めたとき、そこにあったのは見慣れた薄汚い拠点の天井だった。

 脳裏の光景が悪夢か現実なのか判然としない中、仲間のひとりに告げられた。


 『生き残ったのはお前独りだけだ』


 ベスタトリクスは姿を消し、現場に残っていたのは見るも無惨な4人の亡骸だけ。

 それが事の顛末。


 無謀な作戦で仲間を死に晒し、自らも武器をまともに握れなくなった人間に、もう居場所などなかった。


『もうお前に価値なんてねぇよ。消えろよ』


 そんな言葉をはなむけに、アタシは村を出て、狩人を辞めた。



 一息に顛末を語り終えたアリーシャが目を見開くと、広げた手の平の包帯には灰色の染みが広がっていた。

 淡々と昔話を語って済ませるつもりだったのに、どうやらそういうわけにもいかないらしい。

 一度開いてしまった口からは胸中に秘めていた思いがボロボロと吐き出されていく。

 

「アタシの思い上がりが仲間を殺したの。病気から目を逸らして、いつまでも戦えると思い込んで、アタシがれなきゃ誰もそのモンスターを倒せないって思いあがってた」


 にじみ出る涙を手の平の包帯に染み込ませながら顔を上げ、口元を歪ませて笑う。


「でも全然そんなことなかった。そのあとすぐに騎士団がベスタトリクスを討伐したんだって。笑っちゃうよね、アタシが無茶する必要も、それで仲間が死ぬ必要も最初からなかったんだから!」

「アリーシャ、でもそれは……」

「知ってる? その武器ってさ」


 眉根を寄せるリベリカを遮って、彼女の太ももに置かれた太刀を睨む。

 自分が使いこなしていると思い込んでいたかつての愛刀。

 そして今では握ることもできない呪具。


「『黄金の民の武器』って言ってね、アタシの生まれの一族が使ってた呪いの武器なんだよ? これを持てば実力なんて関係なく、誰でもモンスターを狩れるようになる」

「誰でもモンスターを狩れるようになる……。もしかして騎士団の使ってる武器って……」

「そうだよ。今の騎士団が使っているのはその武器。あの遺跡調査の日、カスティージョに言われるがまま、アタシが封印を解いて騎士団に渡したの」

「そんな……。そんな話、あの男は一言も……」

「言わないでしょそんなこと、普通は」


 それこそあの男の目的だったのだと今ならわかる。

 カスティージョは黄金の民の武器の能力を知っていた。

 それを利用して騎士団の強化、そして騎士団の私兵化と権力の奪取を狙っていたのだ。

 そのために、隠されていた武器を封印から解くため、生みの一族の末裔であり、自らの娘であるアリーシャじぶんを利用したのだ。


 リベリカは驚いた顔をしていたのも束の間、考えを巡らせるように眉間にしわを寄せ、両ひざで太刀を掴んでいる手を握りしめる。


「これで合点がいきました。騎士団の実力にずっと違和感があったんです」

「違和感……?」

「騎士団の実力は圧倒的ですが、中身が伴っていないんです。アリーシャみたく、瞬時にモンスターの急所を狙ってモンスターを狩っている。なのに彼らには狩人ハンターのような知識や経験値は無い。見ていると、まるでみたいで」

「武器が体を操っている……ね。きっと、たぶん本当にそうなんだよ」


 どういうことですか、と顔を強張らせるリベリカ。

 決して冗談ではないという意思を込めて、アリーシャは自嘲したくなる気持ちを抑えながら端的に語る。


「アタシもその太刀を使い始めて間もないころは、太刀に腕を振り回されてる感覚だったから。なんていうか、嵐の中で飛ばされそうな傘を必死に掴んでる……みたいな」


 当時はまだ自分も幼かったし、武器が重くて自分の筋力では扱いきれていないだけだと思っていた。

 やがて身体が大きくなり狩猟の回数を重ねると、その感覚はなくなって、太刀を使った戦闘ではやけに体力切れが早いと感じるだけになっていた。

 

 それは単なる自分の体力不足なのだと思っていた。

 けれど、いまでは確信している。

 黄金の民の武器は、本当に呪いの武器だ。

 この武器はひとりでにモンスターの急所を目掛けて飛んでいく。

 そこに持ち主の意思に関係なく、ゆえに武器を握っている人間は武器に振り回されるような形になるのだ。


「逆に言うならさ、黄金の民の武器に身体を預ければ、誰でもモンスターの急所を突いて狩ることができるってこと。そんな武器を独占して大量に持ってる騎士団は、本当に世界最強の狩猟集団だよ」


「それなら、その武器をずっと昔から使いこなしてるアリーシャの方が……」


 首を振ってリベリカの言葉を遮り、アリーシャは悲し気な微笑を浮かべた。


「今は、もう。この手はその武器に耐えられないから」


 ベスタトリクスによって蝕まれた自分の身体。

 弱ってしまった今の手足では、黄金の民の武器を御せるほどの力を振るえない。


 そして、自動的にモンスターを狩れる武器が世の中に流布されてしまった以上、生身の人間が経験を積み上げ、培った技術でモンスターに挑もうとする行為など、もはや非効率で時代遅れ。遅かれ早かれ淘汰されていくだけだ。


 これで自分はもう闘えないとケリをつけた理由が分かったでしょ?

 アリーシャが無言の瞳で問いかける。

 けれども、リベリカはきっぱりと首を横に振った。


「薬があるんです。アリーシャの黒腐病、つまり『厄災龍の呪い』を治療できる薬です」


 おもむろに腰に下げていたサイドポーチに手を伸ばし、リベリカが中から取り出したのは、緑の液体が詰まった小瓶だった。

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