70話 開戦

 王都の南西に広がる砂漠地帯。

 ごろりとした砂岩が転がっているだけの殺風景な土地だが、今は仮設天幕や木組みのやぐらやバリケードが設置され、まるで砂の海に浮かぶ集落のような様相を呈している。


 この日、王国全土を危機に晒している感染病の元凶であるモンスター、へミレイア=ベスタトリクスの討伐作戦が決行されようとしていた。


「配置を急げ! モンスターはそこまで来ているぞッ!!」


 怒号が飛び交い紺色のサーコートを纏った何十人もの男たちが駆け足で移動する。

 ここに集結しているのは王立騎士団の騎士、そして後方支援の書士隊員たち。


 本陣を背に隊列を組み上げていく彼らの前方は、天然の要塞と呼ぶにふさわしい赤褐色の岩壁がそびえたっている。

 見渡す限り視界の端から端まで続いている岩壁に阻まれ、彼らの目からは砂漠の外側の景色を伺い知ることはできない。


 そんな岩壁に、一か所、巨人が刃物で断ち切ったような裂け目が走っている。

 この峡谷の出口で待ち伏せるように放射状に陣形を築き、飛び出してきたモンスターを迎撃するというのが今回の作戦のあらましだ。


「いよいよですか……」


 指令本部の天幕から様子を固唾を飲んで見守っていた副騎士団長の少女――リベリカ・モンロヴィア――が独り言ちるように呟いた。


 足元の砂がサラサラと音を立てている。

 微かだが規則的な上下の振動。

 砂漠の向こう側からモンスターが近づいてきているのだ。


 作戦を立案した王立書士隊の予想では、まもなく十数体の野良モンスターがあの裂け目の向こうからやってくる。

 決して強大な敵ではないが、凶暴化したモンスターたちを一度に複数相手にするのだから油断はできない。


 そして、それはあくまで前哨戦。

 この作戦の本命は親玉のモンスター、ヘミレイア=ベスタトリクスであり、そいつを峡谷から引きずり出せなければこちらに勝機はない。


「第一陣、抜剣ッ‼」


 号令がリベリカの思考を中断させた。

 ついに開戦の時が来たのだ。

 峡谷を塞いでいた岩が轟音をたてながら崩れ落ち、衝撃で砂塵が舞い上がる。


「向かい打てぇッ!!」

「「「オオオオオォォォッッ!!!!」」」


 騎士が野太い雄たけびを上げながら走り出した。

 峡谷の方から楔帷子が甲高い音を鳴らすのが聞こえてくるが、砂埃のせいでリベリカの位置から戦況は伺えない。

 作戦では飛び出してきたモンスターを罠で一網打尽にすることになっているので、第一波の交戦はいずれ収束するはずだ。


 しかし、一向に喧騒が収まる気配がない。

 勇ましい荒声の中に悲鳴が混じっている。

 砂煙の中から様々に聞こえてくる声は、次第に秩序を失い、錯乱した叫びが大きくなっていく。


 やがてリベリカが異変を確信しはじめた頃、戦場の方角からひとりの騎士が駆け戻ってくる姿が目に入った。

 伝令使の男は息も絶え絶えに走ってきて、表に立っていたリベリカには目も暮れず、司令本部の天幕の入口になだれ込むように倒れる。


「第一陣に何かあったんですか⁉」

「そ、想定よりもモンスターの数が多く! すでに第一陣は混戦状態です!」

 

 リベリカに支えられた男は、天幕の中央で戦況図を睨みつけていた騎士団長――カスティージョ――に必死の形相で訴える。


「騎士団長、ご指示を!!」

「では後ろに控えてさせている第二陣を投入しなさい」

「……!?」


 青ざめていた男の表情が凍りつく。

 男が絶句して言葉を返せずにいると、カスティージョは戦況図に目を落としたまま告げる。


「まだ何か?」

「お、恐れながら……第二陣をいま投入すれば前線はさらに混乱してしまいます。ここは一度撤退のご許可をいたきだく……」

「認めません。本命のヘミレイアを峡谷から引き釣り出すまで貴方たちでモンスターの殲滅を続けなさい」


 カスティージョは眉ひとつ動かさず、全く譲歩の余地を示さずに言い捨てた。

 その命令に従えば、前線の騎士たちは人海戦術の消耗戦を強いられることになる。

 もはや騎士団長に抗えないでいる伝令使に代わって、リベリカが進言した。


「作戦を変更すべきです」

「ここで貴方が口を挟みますか」

「戦況を察するに当初の作戦はすでに瓦解しています。本命のヘミレイアとの対峙まで兵力を温存するために今は防衛ラインまで退却させて体制を整えるべきかと」


 今の第一陣、第二陣に投入されているのは元ハンターからの騎士団編入者などリベリカを支持してくれている者たちだ。彼らの命を無下に散らせたくない。

 だが、カスティージョにそんな感情論など無用。

 リベリカは本心を悟られないように努めて冷静に作戦の是非を訴えた。


「後方で待機している遠距離砲撃部隊の支援があれば、モンスターたちの接近は最小限に抑えられるはずです」

「……副団長、貴方はなにか勘違いをしているようだ」


 カスティージョは初めて戦況図から顔を上げ、鬱陶しそうに目頭をきゅっと指でつまむ。


「第一陣、第二陣の役目はそもそもが陽動です。身を挺して雑魚を引き付けてこそ意味がある。それにヘミレイア=ベスタトリクスと対峙する前に主力部隊の戦力を削ぐわけにはいきません」


「しかし、彼らには充分な補給がありません。その作戦を強行すれば生還者はほどんど……」


「仕方がないことでしょう。物資も武器も有限。全体最適で分配するしかない。むしろ、彼らにとっては栄誉ある殉職ですよ」


 リベリカの中で、何かがプツリと切れた音がした。


「……元ハンター上がりの騎士たちは切り捨ててもいいってことですか」


「彼らの支持で副団長になれた貴方が情を入れ込むのも無理ないでしょう。ですが、人の命も尊厳も決して平等ではない。生き残るべき者を生かすために、そうでないものたちが犠牲になる。それがこの世の在り方というものです」


 話は以上だと言うように、カスティージョは再び戦況図に意識を戻す。

 仲裁に入ったリベリカでさえ一蹴されてしまったことで、伝令使はもはや完全に気力を失っているようだった。


 騎士団長の命令は絶対。覆すことなどできはしない。

 男は力ない足取りで立上がり外に向かって歩き始める。


 ――それをリベリカが後ろ手で引き留めた。


「では、私も前線に参加します」


 リベリカが宣言すると、カスティージョは視線だけをチラリとこちらに向けてくる。

 

「副団長という立場である貴方が?」

「関係ありません。この作戦を強行するというのなら、私は私のやり方で戦況を覆してみせます」

「本当に相変わらずですね……。貴方の頑固さはギルドに所属していたころから感じていましたが、もはや重症ですよ」

「けれどそうやって生き残ってきましたから」


 リベリカにとって理不尽を叩きつけれた回数はもはや数えきれないほどだ。

 だが、親友から学んだ。

 貫きたい信念があるのなら、己が実力で、敷かれた線路を捻じ曲げるしかない。

 その積み重ねで、今はこの立場にまで登り詰めたのだ。


 カスティージョはまるでリベリカのこの反応を待っていたかのように口元を緩めてほくそ笑んだ。


「好きになさい。ただし……」

「失敗したら二度とチャンスはない、もう何度も聞いていますから分かってます」


 リベリカは双剣を背に掛け、天幕を飛び出した。

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