69話 決意

「なるほどねぇ」


 先程までリベリカの座っていた席にパーカスを迎え、彼の口から自らの生い立ちについて語られるのを聞き届けると、アリーシャはしみじみと相槌を打った。

 その反応を重く受け止めたらしいパーカスは眉尻の下げて顔をうつむかせる。


「これまでちゃんと話してやれず……すまなかった」

「謝らなくていいって。アタシが聞こうとしてなかったせいだし」


 実際のところ、改めてルーツを知って胸の鼓動はむしろ先刻より穏やかになっている。

 カスティージョが実の父であり、自分は滅んだ《黄金の民》の血を引く生き残りだという話はすでに知っての通りで、それ自体に新たな驚きはなかった。

 アリーシャはパーカスに顔を上げるように促して口を開く。


「おっちゃんはアタシを誘拐しようとしたんじゃなくて、守ろうとしてくれてたんだよね」

「それは誓って本当だ」

「大丈夫。私は疑ってないから」


 パーカスは狩猟に長けた《黄金の民》の力をを独占するためにベスタトリクスの襲撃に乗じてアリーシャを誘拐した――とカスティージョにほのめかされて以来、心のどこかにわだかまりがあった。

 けれど、それは彼の誤解であり、パーカスの行動はむしろカスティージョの立場と将来を案じてのものだったのだ。


 つまり、事の真相は皮肉な連れ違い。

 パーカスは《黄金の民》の生き残りである自分を託されてしまったが故に、その存在を誰にも伝えることができず、結果としてカスティージョの疑念をかうことになったというわけだ。


「でもその話、カスティージョあのひとにこそちゃんと説明した方がいいと思う」

「……あいつが何か言っていたのか?」

「アタシの口から言いたくない程度には酷い誤解をしてた」

「そうか……」


 パーカスが苦虫を噛み潰したような顔を唸る。

 カスティージョとパーカスの関係改善は今後の課題だが、そこは自分が積極的に仲立ちに入っていい問題じゃない気がする。

 できれば当人同士でどうにか解決してほしいところだ。


 ともあれ、自分の出自は決して悲観するようなものではなかった。

 そうと分かって身体の緊張が解れると、ふと用意されていたコップから香ばしい豆の匂いが漂っていることに気づく。

 つられるようにしてアリーシャはコーヒーカップへと手を伸ばした。


「……ん」

「美味くなかったか……?」


 コーヒーを一口含んだアリーシャが目を丸くする。

 それを見たパーカスが不安げな顔を浮かべた。

 ギルドを辞めて以来、余裕のない日が続いて日課だったコーヒーを長らく自重していたこともあり、こうしてゆっくりとコーヒーを楽しむ時間は数カ月ぶりだ。

 豆が古いとか抽出の腕が堕ちているとか、彼なりに気にするところがあったのかもしれない。


 だが、決して味が問題だったわけではなかった。

 むしろことが驚きだった。


「これ、ミルク入れてないのに飲める! これが大人の味!?」


 アリーシャが目を輝かせて言うと、パーカスの顔が華やぐように明るくなる。


「おお⁉ ついにお前にもこの良さがわかるようになったのか!」

「わかる! たぶん!」

「わかるか! この豆は熟した果実を思わせる濃厚な味わいと甘さと酸味が絶妙でな! 後味には香ばしさとスパイスの余韻が――」

「ごめん。そこまではわからん」

「ぬぅ……」


 なんだかパーカスをぬか喜びさせてしまった感が否めないが致し方ない。

 習慣的に、かつ意識してコーヒーを飲み続ければ舌が肥えていくのかもしれないが、その境地に至るまでにはまだ相当の時間がかかるだろう。

 少なくとも「マズい泥水」だと思っていた液体が、「苦いけどなんだかクセになるかもしれない飲み物」に昇格しただけでもアリーシャにとっては十分な成長だった。


 苦さをぐっと堪えて飲み込むと、仄かな甘みが余韻としてやってくる。

 そんな大人の味に酔いしれながらちびちびとコーヒーをすする。


 ふと、向かいでコーヒーを嗜んでいたパーカスが寂しげな声で呟いた。


「……大きくなったんだな」


 カップから立ち昇る湯気越しに曇った表情が目につき、アリーシャが小首をかしげる。


「なに、急にしめっぽくなるじゃん。どうした?」


 その問いかけには答えず、パーカスは場を仕切るように飲みかけだったコーヒーをテーブルに置いた。

 ただならぬ空気を感じ取り、アリーシャが残りのコーヒーを一息に飲み干して姿勢を正すと、パーカスが口火が切った。


「これまでワシはお前を狩猟の世界に縛ってしまった。そのことがお前を悩ませてしまっていたのだと、さっきの話を聞いて改めて気付かされた」

「ちょ、ちょっと待って?」


 しんみりと語り始めたパーカスの話の腰をバッサリと折って、アリーシャは悩ましげにこめかみに手を当てる。


「もしかして、リベリカと話してた内容、全部聞いてた……?」

「盗み聞きするつもりは無かったんだが、声をかける時機を見逃して……すまん」

「あーもういちいち謝らなくていいから!」


 リベリカに告白した悩みをまるまる聞かれていたのだと思うと、のぼせたように顔が熱くなり、茶化すつもりでむくれて抗議してみせる。

 だが、今のパーカスには何もかも逆効果らしく、なおさら肩を落とすだけだった。


「ワシは狩猟の腕を鍛えてやる以外に幼いお前を育てる術を持っていなかった。だが、お前はもう子供じゃない。これからは好きな生き方を選ばせてやりたいと思っている」

「好きな生き方って言われても……」

「例えばこの村での生活もそうだ。きっかけはどうあれ、お前はこの場所で上手くやっている。やりたいことが見つかるまでは今の生活を続けるってことでもいい」


 この先もこの辺境の村にポツンと立つ居酒屋で看板娘として過ごしていく。

 酔っぱらいの愚痴を聞き、色目を使ってくる男達をさらりと受け流しながら、ちょっとした事件が起きたり怒らなかったりする刺激のない平和な日常を送っていく。

 それはそれで悪くはないと思う。


 パーカスは沈黙の間を埋めるように言葉を重ねた。


「リベリカや騎士団の事情はワシも聞いた。だが、やはりベスタトリクスは危険だ。お前が無理に狩場に戻る必要はないし、彼女が心配だと言うのならワシが代わりに戦地に赴く」


 パーカスは自分の身を案じてくれている。

 そんな気持ちは声音だけで十分に伝わってくる。


「カスティージョはまだお前を探しているらしいじゃないか。騎士団の討伐作戦に参加すれば、お前は自由に生きられなくなるかもしれない」


 確かにその可能性は十分にあるだろう。

 リベリカの情報から察するに、自分がカスティージョの娘であることは既に多くの騎士団員に知れ渡っているはずだ。

 

「狩人としての生き方がすべてじゃないんだ。お前はまだ若い。これから歩める道は他にいくらでもある」


 パーカスはずっと傍で見守ってくれていた。

 だから彼は自分が二度もベスタトリクスに破れ、心も折れてしまったことも知っていて、もう同じ苦しみを負わなくていいと言葉を掛けてくれているのだ。


 けれど、そんな甘い言葉を聞けば聞くほどなぜだかこの身体はそれを拒絶するように疼く。

 「もう頑張らなくていい」と言ってくれているのに、素直に頷くことができない。

 何かに抵抗するように歯を食いしばる。


「けれど、もし」


 そんなアリーシャに、パーカスはまるで愛の告白をするように不安気で、けれど決して軽んじることのできない面持ちで告げた。


「それでもまた狩猟の世界に戻りたいと想うなら、恐れずに武器を取れ」


 心の奥で火花が散った。

 それは瞬く間に大きな炎へと燃え上がり、胸が焦がされるように熱くなる。


「望むなら、お前はもっと強くなれる。これからその手でもっと多くの人々を救うことができる。お前はこんなところで立ち止まっていい人間じゃない」

「そ、っか……」


 仕舞っていた感情が涙の雫となってこぼれ出す。

 ずっと諦めようとしていた。諦めないといけない理由を探していた。

 けれど本心ではそうじゃなかったのだと、今、素直に認めることができる。


 自分は、まだ諦めたくないんだ。

 諦めろと言われて反発したくなるのだから心は最初から決まっていたわけだ。

 アリーシャは涙を拭ってニカッと笑みを作る。

 笑うのにもう無駄な力は要らなかった。


「ありがとう、おかげで自分の気持ちが分かった気がする」


 床に置きっぱなしになっていた緑の小瓶を手に取る。

 リベリカとモカが贈ってくれた自分への期待の証。

 これを受け取って、またここから始めよう。

 決意を胸に苦い薬を一息に中身を飲み干すと、アリーシャは清々しい気持ちで勢いよく頭を下げた。


「アタシに特訓をつけてください、お願いします!」


 ――決戦は1ヶ月後。打倒するは厄災の元凶へミレイア=ベスタトリクスだ。

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