60話 ユリの狩人(2→1・0)

「アリーシャを救いたいならボクに協力する価値はあるぞ」


 植物の芽を封じた試験管を手に、モカは大真面目な顔でそう言った。

 その言葉の意味を掴み損ねたままリベリカはオウム返しに問う。


「アリーシャを救う?」

「そうだ。この植物を研究すればアリーシャを救えるかもしれない」


 未だに頭の上に疑問符を浮かべているリベリカ。

 モカは軽く喉を鳴らして研究者の顔つきになる。


「結論から言うが、ボクはこの植物にベスタトリクスの汚染に対抗する力があると仮説している」

「その植物が……?」

「そうだ。これが生えてた山岳地帯は草木の生えない枯れた土地だった。あそこは、恐らく以前にベスタトリクスの被害を受けた場所だ。リベリカも知ってると思うが、ベスタトリクスが襲来した土地は植物が生えなくなるからな」

「ええ、私の故郷がまさにそうでした」

「なのにこの植物だけはあの場所に芽吹いていた」


 ようやくリベリカの頭の中で断片的だった理解がつながっていく。

 ベスタトリクスによって枯らされた土地で芽生えていた植物。

 つまり、それはベスタトリクスの汚染に打ち勝つ生命力を有しているということだ。


「そして、アリーシャが掛かった『厄災龍の呪い』もベスタトリクスが原因。だとすれば、この植物の成分を調べることで病気を克服する方法が見つかるかもしれないってことだ」

「その植物が薬になるんですか‼」

「落ち着け、まだその可能性があるってだけだぞ」

「それでも治るかもしれないってことですよね!」


 モカが首肯するのを見てリベリカは固く拳を握りしめる。

 「厄災龍の呪い」は進行は遅らせられても完治不可能と言われていたのだ。

 もしそれが治るならアリーシャはずっと狩りを続けられるし、それを伝えれば彼女も騎士団についてくるかもしれない。

 そうと分かれば居てもたってもいられず、リベリカはモカをおいて立ち上がる。


「急になんだ⁉ まだ話は途中だぞ」

「わたし、早速アリーシャに伝えてきます!」

「まてまてまて! それはまだ早いって‼」


 部屋を出ようとしたところを服を引っ張って引き留められ、リベリカは露骨に不満げな顔を浮かべる。


「なんで止めるんですか! アリーシャにこのことを伝えれば――」

「今言ってもぬか喜びさせるだけだ。まだ治療薬ができると決まったわけじゃない」

「でも、いま伝えないとアリーシャは! ……遠くに行っちゃう……」


 このまま何もしなければ、遅くともあと1週間後にはアリーシャとの別れの日がやってくる。

 一緒に強くなろうと約束した相棒。今となっては唯一無二の親友。

 そんな彼女ともう永遠に会えなくなってしまうかもしれないのだ。


 幼い子供のようにポロポロと涙を零すリベリカに、モカが大人びた言葉を掛ける。


「いまアリーシャを引き留めて選択を変えさせたとしても、ボクたちはまだその責任を負えないだろ」

「じゃあ私とモカもアリーシャについていって……そこで3人で薬の研究をして……」

「それもできない」


 モカは心苦しそうに口を引き結んで首を横に振る。


「薬の研究にはそれなりの資源と設備が必要なんだ。アリーシャについていった田舎にそんなものがあるとは思えない」

「そうかもしれないですけど……」

「それにボクは元々騎士団の書士隊員だ。王都に戻れば一級の設備が使えるようになる。だから騎士団に居た方が結果的に早く薬を作れる可能性が高い」

「じゃあモカ一人で研究できるじゃないですか。私が騎士団に行って何を協力することがあるんです!」

「あるさ。おおありだ」


 モカは部屋の入り口からリベリカを連れ戻し、もういちどベッドに座らせる。

 そしてモカ自身はリベリカと向かい合うように椅子を置き直して腰掛けた。


「書士隊もどんな活動も認められているわけじゃない。研究するための試料も資金も、後見になってくれる有力騎士がいないと話にならない」


 ベッドサイドのライトに試験管をかざして見せ、モカは続ける。


「今回は偶然この植物を採取できたが、もちろんこれだけじゃ試料が足りなすぎる。これを手に入れてくれる協力者が必要だ」

「でも『厄災龍の呪い』を治療できる薬なんて……私じゃなくても騎士団が全面支援してくれそうな内容ですよ」

「だからこそ、この研究はボクとリベリカで秘密に進めたいんだ。騎士団の連中に見つかったらきっと研究ごと横取りされる」

「そうなったら……」

「研究の成果もあいつらのものになる。薬ができたとしても騎士団に牛耳られて、アリーシャに薬を届けることすらできなくなるかもしれない」


 そんなことになれば本末転倒だ。

 ここに至ってはじめて、リベリカはモカの考えを理解した。

 モカはアリーシャのことを見捨てたわけじゃない。

 むしろ、彼女を救うのにもっとも確率が高い未来を考え抜いた結果がこの提案だ。


「だからリベリカ。ボクには君の協力が必要なんだ」


 モカの手を取れば、アリーシャと道は分かたれてしまう。

 けれど、たとえ今は道を違えることになっても。

 その先で彼女を迎えられるなら必要な努力はなんでもしてみせる。


 決意を胸に、リベリカは涙を拭って手を差しだす。


「分かりました。一緒にやりましょう」

 




 一週間という時間は瞬く間に過ぎ去り、遂にゲストハウス解散の日となった。

 アリーシャとパーカスは今日をもって街を離れ、リベリカとモカは騎士団となるためカスティージョの元へ身を移す。

 一同は住人を失ってもぬけの殻となった家の前に立ち、最後の別れを惜しんでいた。


「今日でこの家ともおさらばかー」

「そうですね。いい場所だったと思います」


 単身ハンターギルドに加入して附属の宿舎に住んでいた頃は、ひとりの夜を過ごすのが当たり前だった。

 それがアリーシャと出会ってこのゲストハウスに住むようになり、後からモカも加わって、あの頃の自分では想像もできないほど賑やかな日々を送れるようになった。


 ここは幼い頃の裕福だった実家に比べれば小さな家だったが、それ以上に暖かな空間で、いつの間にかリベリカにとっては第二の実家と言える場所になっていた。


「リベリカとモカはもうしばらく住めばいいのに。まだ今月の家賃分のこってるよ?」

「ボクはそれでも構わないが」

「冗談言わないでください。私だけでモカのお世話できるわけないじゃないですか」

「たしかに言えてる」


 クスリとアリーシャが笑い、つられてリベリカもクスクスと笑う。

 いつもなら馬鹿にされて地団太を踏むモカも、今日はふたりの様子を見て口を尖らせるだけだった。


 笑い涙を人差し指で拭って、アリーシャがふと首を傾げる。


「リベリカとモカはまたギルドの宿舎に戻るんだっけ?」

「そうですね。しばらくはそのはずです」

「騎士団に戻るとなれば王都に引っ越すことになるからそれまでの間だな。王都あっちはあっちで快適だぞ。なんなら一緒に来るか?」


 書士隊として王都で暮らしていたモカが自慢げな顔をする。

 アリーシャはへっと鼻で笑って答えた。


「お断りでーす。アタシは空気と食べ物がおいしい場所でのびのび暮らすのが好きなのー」

「そりゃ残念だ。王都に来れば絶品料理が毎日食べられるのに」

「絶品料理を毎日⁉」

「いまさら食べ物なんかに釣られないでください……」

「じょーだんじょーだん!」


 生唾を呑む演技をリベリカがつっこみ、アリーシャがおどけてみせる。

 モカの誘いが冗談だったとはいえ、アリーシャの返答に迷いがなかったのは、彼女の中での選択が既に揺るぎないものになっている証拠だ。

 それを理解したリベリカは一抹の寂しさを抱きながら最後の談笑をしばらく続けていた。



 そのうちに、馬車を手配して行っていたパーカスが帰ってきた。


「アリーシャ、そろそろ出発の時間だ」

「はーいりょーかい」


 アリーシャの足元には道具一式をまとめた木箱が置かれている。

 それを包帯巻きの手で持ち上げようとするのを見て、リベリカが声を掛けた。


「私が運びますよ! アリーシャは手を無理しないように……」

「ありがと。でも大丈夫、痛くもかゆくもないし、力もちゃんと入るよ」


 アリーシャはニカっと笑うと腕で力こぶを作ってみせる。

 カスティージョも「厄災龍の呪い」はすぐに手足の力が入らなくなるような病ではないと言っていたが、そうは言われても心配なものは心配だ。


 気持ちを顔に隠しきれていないリベリカを前に、アリーシャは握手の手を差し出した。


「安心して。手はちゃんと鍛えるし、アタシはいつまでも現役でいるから」

「それ信じますからね? いつか私がアリーシャを騎士団に勧誘しに行ったときに引退してたら怒ります」

「うえぇ。病人に対して酷だなぁ」

「アリーシャはこれくらい何ともないの知ってますから」


 冗談めかしながら、リベリカはできるだけ優しくアリーシャの手を握り返す。

 いつか本当にアリーシャの病気を治せる日が来るまで耐え抜いてほしい。

 そんな願いは今は胸の中に秘めて口にはしない。


「そうだ。だったらリベリカに伝えておかなきゃ」


 思い出したように言うと、アリーシャはポケットから紙片を取り出してリベリカに渡す。

 それを背伸びしたモカがひょっこり覗き込んできた。


「これは……町の名前か。ここから南にあるところだが、またどえらい田舎だな」

「そうそう、そこが最初の目的地。いやー南って暖かそうだし、南国の果物とかいっぱいあるし、いつか行ってみたかったんだよねぇ」

「いや、南国を味わいたいならもっと南に降りないとダメだぞ」

「え! マジ⁉」


 目を丸くするアリーシャにモカが呆れた顔で嘆息する。

 アリーシャの言う町は、南にあるとてこの街から馬車で数日とかからず行ける距離なので気候はここと大して変わらない。

 折に触れて露見することだが、アリーシャは狩り以外の知識がめっぽう弱い。

 

「まあ元々そこにずっと留まるつもりはないけど。しばらくはそこにいる予定だから何かあったら訪ねてみて」

「分かりました。あと、また引っ越すときは手紙を送ってくださいね?」

「あー、うん。善処します」

「その反応ダメそう……。でも期待しないで待ってます」


 最後の最後まで本当にアリーシャらしい。

 別れの迫った今となってはそれが愛おしくてたまらない。

 リベリカは思わず涙が溢れそうになった目をぎゅっと細めて笑って見せる。


 今は泣かないと決めていた。

 アリーシャには彼女なりの決断があったはずで、それを引き留める権利は自分にはない。

 だから、今は彼女の選択を尊重して見送るのだ。


「それじゃあ、そろそろ行くね。リベリカもモカも元気で頑張れ!」

「アリーシャも気をつけて。いつかまた3人で狩りに行きましょう」

「そうだな。ボクは屋内専門だから外には出ないが」

「ふふ。じゃあリベリカがもっと強くなってるの期待してるよ」

「ええ、必ず」


 最後の挨拶を終わらせて、アリーシャがゲストハウスから旅立っていく。

 早朝の淡い青空に、金色の髪をたなびかせる後ろ姿を見送りながらリベリカは決意を胸にする。


 できるだけ早くモカと共に彼女を救う薬を完成させる。

 そして、いつかアリーシャが自分にしてくれたように。

 今度は自分が彼女の手を取り、共に未来へ進める道を示してみせる、と。


 

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