65話 ユリの狩人(1+0)
――漆黒のモンスターの大群が王国領内の街に襲来したのは3年前のこと。
それを機に、厄災をもたらす飛竜として長らく語られてきた〈ベスタトリクス〉の正体が、モンスターを狂暴化させる疫病だという事実は世に知れ渡ることとなった。
しかし、
分かっていることと言えば、それがモンスターを媒介にしてさらに感染し、さらに人や植物にまで伝染する恐ろしい疫病ということのみ。
もはや流行性の疫病と変わらない
万が一黒いモンスターが現れた時は、集落を捨ててでも避難し、その土地が彼らによって浄化されるのを時を待つほかない。
――というのが今の世間一般の通説だ。
だが、リベリカが語ったのは、そんな通説をひっくり返すような話だった。
「1カ月後、私たち騎士団はベスタトリクスを撲滅するべく総力戦を挑みます」
「ベスタトリクスを撲滅……?」
アリーシャが口をあんぐりさせる。
彼女から頼みがあると聞いた時点で「狩猟」に関する話だとは予想をつけていたが、これは常識から考えればあまりに突拍子のない話だった。
「ベスタトリクスって疫病なんでしょ? それを撲滅って、感染したモンスターを片っ端から全部倒すってこと?」
依頼を受ける受けないの返答以前に発言の意図に理解が及ばず質問すると、リベリカが答えるよりも先に老齢の騎士が失笑した。
「はは、可愛らしい発想だ。それで撲滅できるなら騎士団には容易いんですがな」
「なにその言い方」
「いえいえ、単にアリーシャお嬢様のご発想は実に可愛らしいものだなあと」
「その言い方やめて」
「……ではお嬢ちゃんはいかがですかな?」
老齢の騎士の小馬鹿にした言いぶりにアリーシャが顔をしかめる。
副団長の護衛についている立場や相応に歳を重ねていることから察するに、この男はそれなりに高名な貴族の出なのだろう。
つまりアリーシャがもっとも毛嫌いしている人種だ。
「まあまあ、おふたりとも落ち着いてください」
視線を交錯させ火花を散らす2人の間に、もう片側の青年騎士が割って入る。
が、両者を間を取り持ったのは最初のひと言だけだった。
発言の機会を得た男は、仲間の騎士を庇うように得意げな口ぶりで語り始める。
「
「神の導きねえ?」
「ああ、そう言えばアリーシャ様は神をご信仰されていないのでしたか」
「ご生憎様。で、その発生源っていうのは何?」
「それは私の口からはお答えしかねます。もっとも貴方が騎士団にお戻りになられるというのであれば話はべつですが」
「あーあーそうですかー」
露骨に胡散臭いものを見る目でため息を吐く。
これだから貴族とか騎士団だとか、お高く留まった人間は嫌いなのだ。
とにもかくにも騎士たちと話していても
アリーシャは抗議の目をリベリカへと向ける。
「部下はこう言ってるけど。最初から話す気がないならもう帰ってもらっていい?」
「そういう訳には! これから私が説明しますから――」
「いや、もういいよ」
アリーシャの一段と低い声が遮る。
リベリカはそこでようやく相手の様子の異変に気が付いたらしい。
次のひと言がこの交渉を決定的に決裂させる。
そう察したのか、リベリカは発言権を失うまいと「えっと、あの」と意味のなさない言葉を継ぎ続ける。
その様子を見ていると胸の奥がチクリと痛む。
けれど、これ以上引き延ばしても意味がない。
アリーシャは心の隅でわだかまっている迷いを息と共に吐き出す。
そして努めて淡々とした声音で告げた。
「ごめん。アタシは一緒に戦えないから」
たった二言の明確な拒絶。リベリカの表情が凍りつく。
赤の他人ならまだしも、かつての相棒の期待を裏切ることは身を斬るように辛い。
だが、こう答えることは最初から決めていた。
あと1年、いや2年、この再会が早かったならば答えは違っていたかもしれないが、そんなたらればに意味なんかない。
「どうして……」
リベリカの口から掠れた声が漏れてくる。
その問いに真に答えるならば、
―― 自分の限界に見切りをつけたから。
けれど、そんな本音は口から出るまでに心にもない言葉に変換されてしまう。
緊張と戸惑いがアリーシャの口元を歪ませる。
「だってさぁ、アタシがこういうお高く留まった連中が大っ嫌いなの知ってるでしょ? 貴族のみなさんと一緒に戦う? そんなのムリムリ」
「……それは我らが王立騎士団への侮辱ですぞ?」
「今の発言はたとえ騎士団長のご令嬢とて聞き捨てなりませんね」
ふたりの騎士がいよいよ怒りを顕にして立ち上がる。
それでもアリーシャはヘラりとした笑みを浮かべたまま。
その様子に、ついに堪忍袋の緒を切らした青年の男が抗議の声をあげた。
「副団長! 交渉は決裂です。アリーシャ様の実力は存じませんが、戦う意思のない人間を引き入れる道理などありません」
「彼の言う通りです。僭越ながら私も、此度の作戦に一般人の協力を要請するというお考えには反対しております。今一度、方針をお考え直しいただけませんか?」
「それがいいって。3年もブランクがあるアタシが参戦しても皆を危険に晒すだけ」
ふたりの言葉に続けてアリーシャが自虐する。
もはや騎士たちがアリーシャに向ける蔑みの視線にも遠慮はない。
こんなやつに構っているだけ時間の無駄だと言外に主張するように、ふたりの騎士はリベリカの脇に立って離席を促す。
「そうですね……では」
リベリカが息をついておもむろに重そうな腰を上げる。
それを合図に護衛の騎士達は部屋の出口へと先行して扉を開け、向かってくる副団長を待ちわびる。
ゆっくりと、足を引きずるように遠ざかっていくリベリカの背中。
アリーシャは椅子に脱力した身体を預け、その後ろ姿を目に映すことすら辛くなって頭をたれた。
これで本当にお別れだ。
きっともう二度と、彼女が自分のもとを訪ねてくることはない。
……だったら最後にさようならくらい言うべきだろうか。
それさえも決断できない間に、リベリカがいよいよ扉の
「アリーシャ」
聞き慣れた凛と澄んだ声に名前を呼ばれ、顔を上げた先でリベリカが振り返る。
その瞬間。
ガツンッ! と振り向きざまに飛んできた短刀が顔のすぐ横を一閃し、背後の壁に突き刺さる。
咄嗟に首を傾げたおかげで避けられた。
だが逆に言えば、一瞬でも反応が遅れていれば確実に顔に致命傷を負っていた。
「……なにすんの、いきなり」
「すみません、ちょっと手が滑って」
アリーシャの怒気と一抹の困惑が入り混じった睨みを、リベリカは平然とした表情で受け流す。
先ほどまで旧知の知り合いだと言っていた少女たちのものとは思えない、まさに一発触発と言うべき緊張が場を支配する。
2人の騎士も最悪の事態に備えて臨戦態勢をとるべく腰の短剣に手を添える。
……と、そこで青年の騎士が間抜けな声を挙げた。
「あれ、私の短剣は?」
護身用に携帯しているはずの短剣がそこにない。
一体いつの間に? と訝しむ表情でキョロキョロと見渡して、最奥の壁に突き刺さっている
「ふ、副団長、もしかして今……」
「すみません。ちょっとお借りしました」
「ですが、しかし、なぜ⁉」
戸惑う青年に、リベリカは柔和な笑みを浮かべてこてんと小首を傾げる。
「彼女の実力を知りたいと言ったのは貴方でしょう。これではお分かりになりませんか?」
何事もなく言ってのける
一瞬で持ち主から悟られることなく武器を奪い取り、狙いを定める間も要さず、命中に限りなく近い精度で短剣を投擲したのだ。
このような離れ業を成せる人間など、もちろん騎士団員には他にひとりもいない。
そして、対するアリーシャはその離れ業を椅子に座ったままの状態で難なく避けてみせたのだ。その反射神経と回避技だけで、実力は折り紙付きだという他ない。
戦慄する騎士たちにダメ押しするように、リベリカが改めて口を開く。
「それとも、次はあなた方の反射神経を試してみましょうか?」
その問いかけにふたりの騎士は揃って首を横に振る。
もはや反抗の意思はどこにもみられない。
「ご納得いただけたようなら結構です。では出立の準備をしておいてください。私は少しだけ彼女とふたりで話していきます」
「「承知しました」」
深々と頭を下げると、ふたりの騎士は逃げるように踵を返して部屋を後にした。
やがて足早な足音は階下に消えていき、部屋の中には再び静寂が戻る。
「……さてと」
カツン、カツンと軽やかな足音を立てて部屋の中央に戻ってくると、リベリカはもういちど椅子に腰を落ち着かせてアリーシャと対面した。
そこにいるのは王立騎士団の副団長としての顔ではなかった。
いつかと同じようにワガママで横暴な少女を受け入れる友として。
困ったような、けれども以前よりもすっかり大人びた微笑みを湛えて。
リベリカはアリーシャに問いかける。
「これまで何があったか、話してくれますよね?」
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