63話 ターニングポイント③

 カランカランと新たな来客を知らせる鈴が鳴ると、酔った声が飛び交っていた酒場が水を打ったように静まった。


 昼間の来客自体は特段珍しいことではない。

 現に卓がぽつりぽつりと埋まっているように、この店は村で唯一の酒場として普段から救いようのない飲んだくれの溜まり場になっているからだ。


 だが、そんな酒場だからこそ、その客の装いはあまりにも場違いだった。


「おいおい、あんたらがこんな店に何の用だ?」

「よそ者はどっかいけー!」


 店の入り口で野次を一身に引き付けているのは3人組の客。

 全員が肩からつま先まで紫でふちどった白銀の鎧一式を装備し、その上からひと目で上物と分かる白地の外套を羽織っている。

 身なりを見るだけで、彼らが高い地位にいる人間であることは明らかだ。


 嫌悪むき出しの視線を浴びながら、3人組のうち一番ガタイの良い男が胸元に輝く記章バッジを見せつけるように堂々と自称した。


「我々は王立騎士団の者である」


 騎士の男が店内をじろりと見まわすと、どこからともなく舌打ちの音が鳴る。

 そんなことは一目瞭然なのだ。

 王立騎士団の名声はいまや王国中に広まっているし、たとえ本物の騎士を見たことが無かったとしても、これほど立派な鎧を見せつけられれば誰でもそうだと分かる。

 故に騎士の厳かな名乗りはむしろ野次の炎に油を注ぐ行為だった。


「ここはお貴族様が来るような場所じゃねーぞ!」

「そうだ! 俺たちの飯を邪魔すんなー!」

「これは……ご歓談のところ失礼した」


 男は野次を受けても表情を崩さず、むしろ自信に満ちた態度で社交辞令を返す。


 すると今度はもう片方の騎士が、野次を押し退けるように一歩前へ出た。


「実はある人間を探しているのです」

「こんな場所に貴族と縁のある人間なんているわけねーだろ!」


 騎士の凛と上品な物言いでも、もはや一言一句が酒場の客の神経を逆撫でてしまう状況になっている。


 そんな中、遂にひとりの酔っぱらい客が席を立った。

 男は騎士たちめがけてフラフラと歩いていき、照準の定まらない手で3人組の真ん中に立っている人物を指でさす。


「つーか真ん中の兜を被ってるお前! お前もちゃんとつら見せろってぇ!」

「……」


 標的になったその騎士は他のふたりよりも頭半分ほど背が低く、ひとりだけ兜で顔を隠している。

 ふたりの騎士に護られるように一歩下がった位置で寡黙を貫いているその人物はそれでも返事をしない。


「おい何とか言えッ!」


 無言の騎士の態度に苛立った男がさらに距離を詰めようとする。

 しかし、その途端、両脇の騎士が何の躊躇いもなく腰の剣を引き抜いた。


「止まれ。この方に近づくな」

「その手で少しでも触れようものなら斬ります」

「い、いきなりなんだよッ⁉」


 文字通り、酔いが一発で覚めるような殺気で凄まれ、酔っぱらいの男は腰を抜かして尻もちをついた。


 その様子を見下しながら、2人の騎士は剣を床に突き刺して仁王立ちになる。

 もう何人たりとも護衛対象に近づけさせまいという意思表示であり、もはや騎士たちと酒場の客たちの対立は決定的になった。


 警戒心と敵対心がぶつかり酒場の空気は一触即発の状態。


 本来であれば酒場の店員がこの場を仲裁すべきなのだが、件の看板娘は厨房に隠れてその状況をこっそり覗き見ていた。


「(おっかねぇ……)」


 そしてもうしばらく物陰に隠れていようと心に決める。

 自分の仕事は料理の配膳とお代のやり取りだけ。

 なので、酒場の客同士の口論の仲裁は業務範囲外……と心の中で言い訳をする。

 願わくば、騎士の方々にはこのままお引き取りいただきたいところではある。


 さりとて客席の状況から目を逸らすわけにはいかず、娘は細心の注意を払いながら、頭を物陰から覗かせた。


「……ッ⁉」


 だが、タイミングが最悪だった。

 ひょっこり頭を出した瞬間、ちょうど入り口に立っている兜の騎士と目があった――気がした。兜越しに目が見えないのであくまで直感だが。


 慌てて物陰に頭を引っ込め、口を塞いで息を殺す。

 だが、無情にもカシャンカシャンと鎧のこすれる音はどんどんこちらに近づいてきている。


 王都の騎士団に咎められるようなことは何もないはず……と言いたいところだが、実際はそうとも言い切れないのだ。


 この酒場は先の狩人ハンターたちが依頼人と交渉する場所として使われている。

 王立騎士団がその実態を聞き付けて、違法狩猟の温床となっているこの酒場を摘発しに来たという可能性は十分に考えられる。


「おい、そっち行ったぞ⁉」

「ねーちゃん逃げろ!」


 同じ考えに至ったらしい酒場の客たちからの注意喚起。

 同時に騎士の歩いていた足音が小走りへと加速する。

 もはや自分が狙われていることは確定的だ。


 娘は意を決して店の裏口に向かうべく物陰から飛び出した。


 だが、その判断はすでに手遅れだった。

 立ち上がって走り出したその手が、後ろから伸びてきた手に掴まれてしまう。娘は勢いを殺されてつんのめる。


「いたぃっ!」


 手を握られた驚きで反射的に声が出る。

 だが意外なことに、騎士はその声を聞いた途端、あっさりと掴んでいた手を解放した。


「え……?」


 予想外の反応に、娘は逃げようとしていたことも忘れて騎士の方を振り返る。

 この騎士は自分を捕まえようとしにきたのでは?

 というより、一旦は捕まえておいて「痛い」と言われたから手を離すなど扱いが丁寧すぎる。


 後方では酒場の客たちがこちらに駆け付けようとするのを、護衛の騎士ふたりが壁になってせき止めており、半ばもみ合いのようになっていた。


「「副団長! ご無事ですか?!」」

「え!? ふ、副団長⁉」


 護衛の騎士のひと言に看板娘は仰天した。

 副団長ということは王立騎士団のNo.2。

 自分とは生きる世界がまるで違う階級の人間だ。


「そんなお偉さんがアタシに何の御用で……」


 もちろん騎士団の副団長など知り合いでもなんでも無い。

 こんな大物が何の用があるというのか。

 今の自分は片田舎にあるただの酒場で働く一般人。

 そんな人間に副騎士団長が訪ねてくるなど、何かの人間違いだと考えたほうが自然だ。


「人間違いでは……?」

「いいえ」


 騎士は首を振って初めて声を出す。

 兜越しの声はくぐもってはっきりと聞こえなかった。

 けれど、聞き覚えのある声音に娘ははっとする。


「もしかして……」


 かつて「一緒に強くなろう」と約束した親友。

 病にかかり、己の限界を思い知り、狩人であることを諦めた自分は、彼女との縁を3年前に振り切ってしまった。


 すべては過去の自分と決別するためだった。

 狩りを諦め、武器を置き、かつての親友にも知らせずに住処を移し、誰も自分のことを知らないこの地までやって来た。


 だから、もう過去の自分を知る友人知人がここを訊ねてくることはあり得ない。

 ずっとそう思い、何もかも諦めていたのに。


「貴方を迎えに来たんです」


 ゆっくりと持ちあがる兜の奥から、引き締まった顔の輪郭がのぞく。

 白く瑞瑞しい素肌は透き通るように美しい。

 そして最後に、脱ぎきった兜の中から絹糸のように艶のある黒髪が流れ出た。


「お久しぶりです。アリーシャ」


 そこにいたのは、3年の月日を経て強く美しく成長した親友リベリカの姿だった。


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