57話 ユリの狩人(2→1) ――2

 山岳地帯を出発したリベリカ達は調査団の本隊と別れて帰路を急いでいた。

 ベスタトリクスとの戦闘のあとからアリーシャの意識が戻らない。

 最初は疲れて眠ってしまっただけだと思っていたが、夜になっても目を覚まさず、それどころか彼女の身体に目に見える異変が起きはじめていたのだ。


 手足の末端から、まるで枯れ葉のような茶色いあざのような模様が浮かびあがっていくという見たことも無い症状。

 同じ馬車に乗り込んだ衛生兵が曰く、アリーシャの症状はベスタトリクスの鱗粉を大量に吸い込んだことが原因だという。

 都会から遠く離れた町や村には充分な設備がないため、アリーシャの本格的な処置はハンターギルドの医療施設で行うことになった。



 馬車を走らせようやく街に到着すると、アリーシャはそのままギルドの医務室へと運ばれた。

 一方で、リベリカとモカはパーカスに報告するためゲストハウスへと向かう。

 まだ日が昇って間もない早朝だがパーカスが起きていることを祈って戸を叩く。


「パーカスさん! 開けてくださいリベリカです!!」


 返事を待っているのももどかしく、手加減なしに拳を叩きつける。

 すると間もなく錠が空き、寄りかかっていた扉がゆっくりと内側へと開かれ、困惑した目つきのパーカスが姿を現した。


「どうした、何かあったのか!?」

「アリーシャが!! モンスターに!!」


 リベリカが歪んだ表情で訴えるように叫ぶ。

 玄関の外に立っているのはリベリカとモカの2人だけ。

 間もなく異常事態に気づいたらしいパーカスが眉間にしわを寄せて口を開く。


「落ち着け、アリーシャに何があった!」


 落ち着けと言われるほど、自分が落ち着けていないことを自覚する。

 肩に置かれるパーカスの手も震えているせいでますます鼓動が早くなり、まともに呂律も回らない。

 

 辛うじて正気を保っていたモカがふたりの間に入って上ずった声で説明した。


「クエストでベスタトリクスに遭遇したんだ。アリーシャが襲われて、今も意識が戻ってない」

「アリーシャは今どこに!」

「ギルドの医務室だ。幸い命に別状はないが、……おいちょっと‼」


 瞬間、パーカスがふたりの肩を押し分けてゲストハウスの外へと走り出す。


「リベリカ、パーカスを追うぞ」


 リベリカとモカもゲストハウスを飛び出し、元来たギルドへの道を辿ってパーカスの後を追った。




 まだ始業前にも関わらずギルドの場内はまるで何かの事件が起きたかのように騒然としていた。

 空気はまるでアリーシャの容態を暗示するかように切迫していて、普段はあまり見かけない医療班の人間が右へ左へ走り回っている。


 ついぞパーカスには追い付かなかったが、入り口や広間にも姿が無いことを考えると、恐らく彼はすでに医務室にいる可能性が高い。

 リベリカは身近にいた係の女性を捕まえると、アリーシャの居場所を聞き出し、廊下の最奥へと急いだ。


 たどり着いた医務室の扉は閉ざされており、パーカスともう一人、男の話し声が聞こえてきた。

 しかし、扉に鍵が掛けられているので中に入れない。

 

「アリーシャは大丈夫なのか!」

「やれることはやった。あとは経過を見守るしかない」

「これであとは経過を見守るだけだと!? ギルドもこの症状の治療法を知らないのか!」

「そうだ。完治させる方法は見つかってない。できるのは病状の進行を抑えることだけだ」


 激情をあらわにするパーカスと対照的に冷たく温度の感じない声音で淡々と答える男。

 この数日間ずっと間近で聞いていたから分かる。相手はギルドマスターであるカスティージョだ。


「完治させられないならどこにいても一緒だ。この子は俺の娘だ、あとは俺が診る」

「この期に及んで惚けるな。俺がまだ気づいていないとでも思っているのか?」

「なにを……」

「アリーシャは実娘むすめだ。お前にはやらん」


 扉を引こうとしたリベリカの手が凍りつく。

 その宣告はまさしく寝耳に水だった。

 カスティージョの口ぶりは冗談を言っているそれではない。


 しかし、俄には信じられず、真偽の答えを求めて医務室の外で耳をそばだてる。


「いつから……気づいていた」

「一目見た時から確信していた。この美しい髪、端正な顔立ち、母親とそっくりだ。私が気付かないわけがないだろう」


 それを聞いた瞬間、受け止めあぐねていたカスティージョの言葉が胸の奥にズンと落ち込んでいく。

 真偽のほどはもう疑いの余地が無い。

 アリーシャの実の父親は本当にギルドマスターなのだ。


 前々からパーカスとアリーシャが血縁関係にないことは察しが付いていた。

 彼女の錦糸のようなブロンドヘアは、他に同じ髪色の人間を見たことが無い。

 リベリカが通っていた王都の貴族学校ですら同じ髪質の人間は皆無だったので、どこか異国の出身なのだろうと考えていた。


 しかし、その父親がこんなにも近くにいて、なのにパーカスもカスティージョもその真実を隠していた。

 ベスタトリクスと戦っていたアリーシャの様子がおかしかったのは、このことを聞かされていたからなのかもしれない。

 もしそうだとしたら、あの時の彼女が冷静でいられたとはとても思えない。

 一体どんな気持ちで剣を振るっていたのかと考えると、胸がまるで鉛球を打ち込まれたように痛む。


「前のギルドマスターが俺たちを呼び出したのもお前の手引きだと言っていたな。……最初からアリーシャを取り戻すことが目的だったのか」

「そうだ。目的はそれだけではないがな」

「他の目的、まさか――」

「まあまて。話の続きをするならその前に」


 カツカツと足音が近づいてきて扉が勢いよく開かれる。

 まずいと判断した時には手遅れで、リベリカとモカは開け放たれた扉の前で棒立ちになったまま部屋の中のパーカスと対面した。


「リベリカ、モカ⁉ 聞いていたのか!」

「いえ、その! ……すみません、盗み聞きするつもりは」

「謝ることは無い。君たちにも聞く権利はある話だと私は思っている」


 カスティージョが促す視線の先、部屋の奥に置かれたベッドの上に、手足を包帯でぐるぐる巻きにされたアリーシャが横たわっている。


「アリーシャ……」


 見ためこそ痛々しいが、胸は一定のリズムで上下している。

 ただ眠っている表情は穏やかで、それだけは見ている側にとってせめてもの救いだった。


「容態は……?」

「例の症状の進行は止まった。あとはこの子が目を覚ますのを待つしかない」

「……そうですか」


 最悪の事態は免れた。と言っても事態が好転したわけではない。

 アリーシャはもう2日も眠ったままだ。

 もうこのまま永遠に彼女が目を覚まさなかったら……などという考えが頭をよぎって胸が苦しくなる。


 しゅんと肩を落とすリベリカにカスティージョが歩み寄ってきた。


「心配するな、アリーシャは私の名に懸けて救ってみせる。君のような良い友人に恵まれて親として誇らしい限りだ」

「ギルドマスター……、いえ、えっと何とお呼びすれば……」


 色々な感情が入り混じって、接し方が今までに増して他人行儀になる。

 この男は、自分が所属する組織の長であり、アリーシャの父親でもある。

 けれどもそのアリーシャを危険に晒す原因を作った張本人もまたこの男だ。


「これまで通りで構わない。もっとも、君と私の関係はこれからまた変わるだろうけれど」


 カスティージョが意味深に笑みを浮かべる。

 それがどういうことか尋ねようとしたリベリカだったが、その眼は視界の端でモゾリと動いたベッドの方へと吸い寄せられた。


「アリーシャ……!?」


 リベリカの声に反応するように横たわっていたアリーシャの身体がぴくりと動く。

 そしてゆっくりと、のっそりとその上半身が起き上がっていき、


「んぁあー、だっるぅぅ……」


 アリーシャは肩甲骨を寄せるように胸を広げると、たっぷりと空気を吸い込んで盛大に欠伸した。

 2日ぶりに目を覚ましたとは思えないほど間抜けな姿を見て、リベリカの瞳にはまるで説明の付かない笑い涙が溢れる。


「アリーシャっ!!」

「うぉ⁉ え、なに!?」


 相手が病人なことも忘れて飛びつくようにアリーシャを抱きしめる。

 長い長い2日間だった。

 朝になるとおはようと言ってまた会える、そんな当たり前が唐突に失われるとは思ってもみなかった。

 もう話すことすら叶わないかもしれないと絶望した時もあった。

 そんな彼女が再び目を覚ましてくれたのだ。


「アリーシャアリーシャアリーシャ!!」

「リベリカ!? なになにどした!!?」


 当のアリーシャは目を白黒させながら手をワタワタさせ、そこで初めて自分が包帯巻にされていることに気が付いて「うぇナニコレ⁉」と声を上げた。


 胸元にはボタボタと涙を零しているリベリカ、周囲にはパーカスとカスティージョとモカが三者三様の表情でアリーシャを見つめている。


「おっちゃん。それと、ギルマスとモカも。……もしかして、アタシまた何かやらかした?」


 ぎこちなく笑うアリーシャにモカが肩をすくめて答える。


「はいかいいえで答えるなら前者だな。お前に悪気はなかったろうが」

「あー、じゃあご迷惑をおかけしてすんませんでした。……で、なんか空気重くない?」


 的を射た一言に場の空気が凍り付く。

 リベリカはアリーシャの胸に顔を埋めたまま硬直し、パーカスもモカも気まずそうに目を逸らす。

 代わりに口火を切ったのはカスティージョだった。


「ちょうど良い機会だ。ここにいる全員で話をしようか」

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