56話 ユリの狩人(2→1) ――1
リベリカが異変に気付いたのは、洞窟に入っていったギルドマスターとアリーシャの背中を見送ってからしばらく経ってのことだった。
足元の地面が雨に濡れたように色濃く陰りはじめ、分厚い雲が太陽を遮ったのかと顔を上げる。
しかし、そこにあったのはおよそ雨を含むような雲ではなく、真っ黒に染まった靄のようなガス状の何かが空に広がる光景だった。
直後、肌を焼くような灼熱の熱風が押し寄せ、枯れ木をことごとくへし折り、砂塵が嵐のように吹きすさぶ。
辛うじて大岩の陰に飛び込み難を逃れたが、次に顔を上げた時、前も後ろも右も左も、見渡す限りすべての空間が闇に染まっていた。
(ガスじゃない! これは……微粉!!)
黒い靄の正体はチリチリと待っている大量の粉塵だ。
この元凶をリベリカは知っている。
かつて自分の故郷を襲い、農作物を枯らした原因こそ、この黒い粉塵の嵐。
つまりこの場に現れたのは宿敵のモンスター。
(ベスタトリクス!!)
とにかくこの場所から一刻も早く抜け出さないといけない。
リベリカは微粉を体内に吸い込まないように目と鼻を手で覆い、離脱するべく走り出す。
けれど視界は闇そのもので、どちらに進めば外に出られるのか見当もつかない。
黒い粉塵の嵐から抜け出せないまま走り続ける。
だんだんと息が苦しくなっていき、足に疲労が蓄積されていく。
走って、走って、走っても視界に光は射してこない。
いよいよ肺が張り裂けそうなほど張り詰めてきて、意識まで朦朧としてきた。
もう自分の足がちゃんと動いているのかすら分からない。
駄目だ。
息が、もう、続かない。
そのとき、雄たけびと共に風が吹き抜けた。
「おおおおおおぉぉぉぉッッ!!!」
直後、前方の暗闇が真っ二つに分かれ、元いた景色へと続く出口が大きく開けた。
リベリカは最後の一歩で靄の中から飛び出すと同時、空気を吸い込んで振り返る。
そこには粉塵が成す暗闇を割くように突き進んでいくローブ姿の人物の後ろ姿があった。
「おらぁぁぁあッ!!」
掛け声と共にダンッと踏み込み、頭を覆っていたフードがバサリと脱げる。
そこに現れたのは金色に輝くショートヘア。
その正体――アリーシャ――が太刀で暗闇を横なぎに一閃すると、巻き起こった旋風がまるで暗闇を穿つように粉塵を霧散させた。
そして、その先にいたのは、見たことのない飛竜のようなモンスターだった。
(ベスタトリクス、じゃない⁉)
前脚に暗幕のような翼膜を持ち、巨大な黒翼の先端から飛び出す鉤爪が赤黒くギラリと光る。
頭部から伸びる触角のような角はまるで悪魔を見ているかのようで、本能的な恐怖心を掻き立てる容貌だ。
黒い粉塵をまき散らす様子はかつて見たベスタトリクスそのもの。
しかし、このモンスターは翼こそあれど、記憶の中のベスタトリクスの姿形とは全く違う。
アリーシャとモンスターはもう目と鼻の先の距離だ。
どんな動きをするかも分からない初見のモンスターと真正面から一対一で戦わせるわけにはいかない。
「アリーシャ! 私も一緒に戦います!!」
彼女を援護しなければという一心で、呼吸を整えるよりも先に二対の剣を引き抜き身体を反転させる。
しかし、聞こえてきたのは予想だにしない返事だった。
「こないでッ!」
鬼気迫る明確な拒絶の声音。
こちらを危険に晒さないための気遣いのようには聞こえない。
「アタシひとりでヤる!!」
まるで意地を張る子供のように力強く念を押してくる。
明らかに様子が変だ。
よく見るとモンスターの攻撃を右へ左へとかわすたびに揺れるブロンドヘアもいつの間にかバッサリ短くなっている。
きっと洞窟の中で彼女の身に何かがあったのだ。
けれどそれを考えるのは後。今すべきことは何かを考える。
理由はともかくアリーシャがひとりで闘うと言うのなら、自分がすべきは課せられている任務を果たすこと。
つまり、ギルドマスターをはじめとする調査団の護衛だ。
「依頼人の避難が終わったら合図します! それまで陽動お願いします!!」
いつもの手筈で声を掛けるがやはり返事が無い。
初見のモンスターの攻撃を避けるには相応の集中力を要するはずだが、それにしてもいつもの彼女なら短い返事をしてくれる。
アリーシャの立ち回り、太刀捌きは見事そのもので、モンスターの大振りを寸でのところで避け、太刀の刃で切り返す。
1度の隙を作る度に、2太刀、3太刀の攻撃を加えている。
けれど、いつもより反撃が強引で、どこか勝負を急いでいるように見える。
「無理はしないで! 今はモンスターをけん制できれば大丈夫――」
「倒すッ!!」
「無茶です!」
「無茶じゃない!! アタシならできるッ!!!!」
張り合うように叫びながらアリーシャが太刀を握りしめて突貫していく。
流石に無茶が過ぎる。
もう今すぐに彼女を押し倒してでも止めた方がいいかもしれない。
さらにアリーシャの攻撃が強引になっていき、危うくモンスターの攻撃を直撃しかける場面が何度か繰り返されはじめる。
この様子のままアリーシャを戦わせ続けるわけにはいかない。
――そう判断したのが一足遅かった。
刹那、モンスターの口から灼熱の黒煙が吹き出した。
瞬く間にアリーシャの全身が真っ黒に覆いつくされ、漆黒の炎が人影を成して燃え上がっていく。
「アリーシャッ‼‼」
一秒でも早く助け出さないと彼女が死んでしまう。
気持ちは前に行こうとしているのに、ブレスの勢いが凄まじく高温の熱波が見えない壁のようにこちらを阻んでくる。
「誰か、誰かっ!!」
自分以外に彼女を助けられる人間など今この場所にいないことも忘れて叫ぶ。
神でも悪魔でも誰でもいい。
彼女を救えるならどんな代償でも払う。
その願いを聞き付けたかのように、突然にして救援が現れた。
「一斉に掛かれ! 目標はベスタトリクス!!」
号令が飛んだ直後、洞窟から武器を持った男達が一斉に飛び出してきた。
彼らは遺跡調査をしていた調査団員のはず。
だというのに、今や彼らは騎士団の鎧を身に纏っている。
何が起きているのかリベリカは理解が追い付かない。
けれど、頭が混乱している間にも、見たことのない異形の武器を構えた騎士たちがベスタトリクスに迫っていく。
そして、両者の戦い――否、騎士団による一方的な暴力は一瞬にして決着した。
ブレス攻撃の反動で身動きのとれないところを総勢10名の騎士が取り囲む。
次の瞬間、10本の槍が飛竜の翼、脚、胴、腹、首、同時に滅多刺しにし、同時に複数個所を刺されたモンスターは断末魔すら上げずに絶命した。
アリーシャが苦戦していたモンスターが容易く仕留められたその光景に、ゾッとした恐怖が掻き立てられる。
けれど、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
「アリーシャ!!」
リベリカは未だ燃え続けている黒い火柱に走り寄る。
風を扇いで消える様な炎ではない。
迷わず炎の中に飛び込み、揺らめいている人影を抱きしめて向こう側へと飛び出して地面に倒れこむ。
「アリーシャ! 大丈夫ですか⁉ アリーシャ‼」
腕の中にあるのは真っ黒に焦げたローブ。
しっかりと体重を感じる。この中にくるまっているはずのアリーシャを確認するため、火傷しそうなほど高温のローブに手を掛ける。
と、リベリカが手にする前に、ローブがバサァッと翻った。
「どあっつぃ‼」
ローブの中から現れたのは、軽装の防具もほとんど焼け落ち、下着姿も同然になったアリーシャだった。
ローブと防具を二重で纏っていたことが功を奏したらしい。
「無事で本当に良かった……!」
感極まってアリーシャの身体を抱きしめようとするが、当の本人はまだ状況を掴めていないらしく、
「それよりベスタトリクスが!!」
「落ちついてください! 大丈夫です!」
「え、なにが――」
「もうモンスターなら討伐済みです」
「そう、なんだ」
ふっと笑みをこぼしてアリーシャが腕の中で呟く。
その表情はなぜか安堵というよりひどく悲しげに見える。
彼女が洞窟に入ってから今に至るまでいったい何があったのか、分からないことだらけだ。
「洞窟で何があったんですか? さっきは騎士団が出てきたり、見たことのない武器を持ってたり……」
騎士団が討伐したモンスターの遺体の方を見やる。
彼らはあれをベスタトリクスと呼んでいたが、かつてリベリカの故郷を襲ったそれとは似て非なる別のモンスターであることは明らかだ。
そもそも、なぜこの場所に騎士団がいるのか?
彼らがいとも容易くモンスターを絶命させた異形の武器は何なのか?
ひとつひとつ謎を整理しないと頭がこんがらがっている。
「もう分からないことだらけです。あとでひとつずつ……」
そう口にしながら、不意に腕の中の体重が重くなる。
視線を下げると腕の中のアリーシャが既に目を瞑っていた。
もしかして死んでしまったのではないかと肝が冷えたがどうやら息はある。
おそらく戦いでひどく体力を消耗したのだろう。
まずはアリーシャの容態を安定させるため、リベリカはひとまず彼女を馬車へと運び、応急処置を要請することにした。
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