55話 遺跡調査 ―― 4

「扉を開く鍵はお前なのだ、我が娘よ」

「なにそれ……、嘘、でしょ」

「嘘ではない。お前は母親にそっくりだ」 


 ぐわんぐわんと視界が揺れる。

 音は聞こえなくなり、頭がガンガンと痛み、理解しようとしても、言葉が脳裏でバラバラに飛び散ってまるで意味をなさない。


「太陽よりも輝かしいその黄金の髪、透き通るような白い肌。まるで出会った頃の彼女を見ているようだ。そして何よりその蒼い瞳は私から遺伝したものだ」

「マジか。……なにそれウケる」


 口から乾いた笑いがこぼれる。本当に笑えない冗談だ。


 信じたくないという気持ちとは裏腹に、きっとこれは真実なのだと頭が理解してしまっている。 

 できればこんな話はパーカスおっちゃんの口からちゃんと聞きたかった。

 だけど、ぜんぶ自業自得。

 ずっと心の隅で気にしていたのに、アタシを育ててくれたおっちゃんとの生活が崩れてしまうのが怖くて、自分のルーツと向き合ってこなかった。

 そのツケがこうして回ってきたわけだ。


「さあアリーシャ、こちらに来なさい」


 カスティージョが手を広げてアタシを招く。

 けれど、足は地面に張り付いて動かない。

 まるで「行ってはいけない」と警告しているように、心臓が激しく脈を打っている。


「どうした? さあ、私のところへ」


 アタシが動かないことに痺れを切らしたのか、向こうから一歩ずつ近づいてくる。


「こないで」

「心配することは何もない。お前は私の娘なのだから」


 ついに目の前までやってくると、カスティージョはゆっくりと両腕を広げ、固まって動かないアタシの肩を抱き寄せた。


「これからは私がお前の面倒を見てやろう」

「ッ!! 父親面すんなっ!」


 瞬間、寒気がゾワリと背筋を走り、気づけば手で相手を突き返していた。

 よろけながら後ろに2歩、3歩と下がって顔を上げると、血の通っていなさそうな白い顔がこちらを見ている。

 その蒼い瞳は笑っているようでも怒っているようでもなく、ただひたすらに冷めきっていた。


「悪いけど、アンタに面倒見てほしいって思わない。アタシにはおっちゃん……パーカスがいるから」

「そんなに彼のことを信頼しているのか?」

「当たり前。これまでずっと一緒に狩りしてきたし、守ってくれた人だから」

「守ってくれた、か」


 カスティージョは乱れた外套のしわを片手で払いながらほくそ笑む。


「可哀そうに。お前は何も知らないまま今日まで生きてきたらしい。そもそも、なぜお前は実の父親の私ではなく、あいつの元で育ったのだと思う?」


 分からないだろう?と皮肉るようにカスティージョの口角がつりあがる。

 分からない。分かるはずがない。

 だって、そんな話は今まで一度もされたことがない。 


「……アンタはその訳を知ってるって?」

「もちろん。あいつと私はかつて王立騎士団の同期だったのだから」


 アタシの返事を待たずにカスティージョは続ける。


「答えを教えてやろう。お前がパーカスの元で育った理由、それは、お前がこの地の唯一の生き残りであり、あの男によってさらわれた子供だからだ」



 ―― 今も忘れはしない。あれはベスタトリクスが現れたと知った日の夜のこと。


 当時、騎士団に所属していたは「ベスタトリクスの動向を静観せよ」という命令に反してでも、妻がいる山岳地帯の救援に向かおうとしていた。

 しかし、それを知って『上の命令に従うべきだ』と制してきたのが年の離れた同僚であるパーカスだった。


 悔しくとも、彼の話はもっともだった。

 当時の私には組織に抗う権力も、1人でベスタトリクスと戦う実力も無かった。

 だから身を斬る思いで彼の説得を受け入れた。


 ……しかし、翌朝になって私は耳を疑った。


「パーカスが騎士団を抜けて、ひとりで山岳地帯に向かった」


 そんな噂が騎士団内で広がっていた。

 そして、パーカスは本当に姿を消していた。


 だが、騎士団の下した判断は『パーカスも山岳地帯の民族も見殺しにする』というものだった。もはや上層部は私の掛け合いにすら応じてくれなかった。


 やがてベスタトリクスが姿を消したあと、騎士団は山岳地帯の調査に赴いた。

 本当に凄惨な光景だった。

 建物は瓦礫と化し、辺り一帯は焼野原となり、住まう者は大人も子供も全て帰らぬ者になっていたのだ。



「そして今に至るまで、私も、誰もが、『金色の民』は滅亡したと思い込んでいた。……ただひとり、お前を孤児として育ててきた男を除いてな」


 カスティージョの語りは、まるでつい昨日の出来事を語る様な鮮明さだった。

 今まで聞いたことも、想像すら叶わなかった自分の出自。

 けれど、不思議とこの話は本当なのだろうと受け止めている自分がいる。


「仮にそれが本当の話だとして。それで何か気に食わないことがあるの? やっぱりパーカスおっちゃんはアタシの命の恩人ってことじゃん」

「そうだ。お前の命が助かったのはあいつのおかげだ。それは素直に感謝している」

「だったら――」

「だが、なぜヤツはお前むすめが生まれていたことを誰にも知らせなかった?」


 確かに。反射的に心がそう思ってしまった。


「アリーシャ。自分の胸に手を当ててこれまでのことを思い返してみなさい」


 アタシの動揺を見抜いたのか、カスティージョはこちらの猜疑さいぎ心を煽るようにまくし立ててくる。


「いつもあの男はお前のことをちゃんと人に紹介くれていたか? これまで辺境の村を転々とさせられていなかったか? お前が人目に目立つことをあいつは良しとしていたか?」


 何か言い返さなきゃと思うのに、口がまともに動かない。

 反論の言葉が浮かばないのは図星だからだと自覚してしまうと、胸がキュゥと締め付けられるように痛くなる。

 その痛みを包み込むように、カスティージョがそっと抱擁してきた。


「可哀そうに。お前はあの男に狩猟のとして使われてきたんだ」


 そんなの勝手な憶測だ、パーカスは狩り以外にもいろいろ教えてくれた。

 そうやって声を大にして言い返したい、なのにやっぱり声は出せず、代わりにどんどん不安が膨らんでいく。


 狩りの腕前は確かに認められている。

 けれど、じゃあ彼にとって私は、狩りそれ以外に価値があるのだろうか。

 そんな風に考えてしまってどんどん心が堕ちていく。


「だが、お前はもう狩りに縛られなくていい。これから普通の女の子として生きていけるようになる」

「普通の、女の子……?」

「そうだ。それにお前だけじゃない。私は全ての狩人ハンターを開放してみせる」


 カスティージョがアタシの肩を抱きながら身体ごと振り返る。

 その指が示す先にあるのは洞窟の最奥に埋め込まれている巨大な門扉。


「あの扉の奥に眠る『金色の民の武器』は、手にすればどんな人間でも強くなれるのだ。そして、それさえあれば、もはやモンスターを狩るための狩人ハンターの知識も技術も必要ない!」


 その声に呼応するように、周囲を取り囲んでいた黒装束の男たちが一斉にローブを脱ぎ捨てた。

 一応に白と紺を基調とした制服を身に纏い、胸元では見覚えのある銀のバッジが光を反射している。

 それはモカが持っていたものと同じ。

 つまり、王立騎士団の所属を示すバッジだ。


「私は『金色の民の武器』によってこの騎士団を再編する! そして、ハンター個人にも、金と権力に溺れ腐ったギルドにも依存しない最強の王国を作り上げる!!」


 興奮に満ちた声でカスティージョが宣言し、強張るアタシの背中を押しやって前へと進む。

 そうして向かう先の祭壇の上には、鈍色の光沢を放つ杯が置かれている。


「さあアリーシャ。お前の髪と血をこの聖杯に捧げなさい。それで扉は開き、武器は私の物となる」


 無理矢理に手を広げられ、小さなナイフを押し付けられる。

 震えて言うことを利かない指を一本ずつ丁寧に折り畳まれていく。

 見ると、ナイフの平には今にも不安で泣き出しそうな女の子の顔が映っていた。


「それで髪を切り、血を垂らしなさい」


 ナイフを握らされる手が痛いくらいに強い力で押さえつけられる。

 髪と血を捧げていいのか。

 「手にするだけで強くなれる武器」が騎士団の手に渡って、もう誰でもモンスターを簡単に倒せる世界になって……。

 そんな世界で、これまで狩猟かりしか取り柄のなかった私は、自分の存在価値を見つけられる?


 それに気づいてしまうと、もう取り返しのつかないことになるんじゃないかという恐怖が溢れて止まらない。



 その時、洞窟の入り口の方から身を焦がすような熱風と共に轟音が鳴り響いた。

 騎士団のひとりが外の様子を確認しにいき、やがて戻ってくるなり顔を蒼白させて大声で叫ぶ。


「ヤツが、ベスタトリクスが現れました!! 女ハンターが単身で交戦中です!!」


「リベリカッ!!」


 報告を聞いた瞬間、気づけばカスティージョの手を振りほどいて地面を蹴っていた。

 相手はあのベスタトリクス。今の彼女が1人で倒せるモンスターなわけがない。

 だけど、幸か不幸か、ここには手勢の騎士団が10人もいる。

 これだけ戦力があればどうにか撃退くらいはできるはずだ。


「みんなもついてきて――ッ⁉」


 アタシは目の前の光景を疑った。

 煌びやかな制服を着飾り、立派な剣を携えた10人の騎士が、皆一応に出口への道を塞ぐように仁王立ちしている。


「なにしてんのっ!? 早く行かないとリベリカが!!」


 必死に訴えかけても、誰一人として表情を崩さない。

 ただ淡々と壁を作る人形のように無言で立ち続けている。


「もういい! せめてそこどいて!!」


 どうせ味方じゃないならついてこなくたっていい。

 強行突破でぶつかっていくつもりで走り出す。

 するとあろうことか、今度は10本の矛先が一斉に向けられる。

 アタシを阻む筆頭に立ったのはやっぱりカスティージョだ。


「彼女を助けに行きたいなら髪と血を捧げて扉を開きなさい。それが先です」

「こんな時に何言ってんの、頭おかしいでしょ‼」

「私はいたって冷静です。今はこの場のどんな犠牲を払ってでもあの武器を手に入れることが重要ですから」


 こうしている間にも激しい地響きが何度も繰り返し、天井からはひび割れた欠片がボロボロと崩れ落ちてきている。


「さあ、貴方の相棒はいつまで時間を稼いでくれるでしょうか?」

「こいつ、ほんとにイカれてる……‼」

「なんとでも仰りなさい」


 とっくに迷っている暇はなかった。

 アタシは踵を返して聖杯に駆け寄り、ひと思いに髪を切りちぎる。

 そして、噛み切った指先を使って聖杯に投げ込んだ。

 

「これでいいだろ満足かッ!!」


 瞬間、聖杯から黄金色の光があふれ出し、背後の門扉が大きな音を立てて動き始める。けれどそんなことに構っている場合じゃない。

 太刀を腰から引き抜き、騎士団と剣を交えてでも突破するつもりで走り出す。

 すると、まるでもう用無しだと言うように、呆れるくらい容易く道は開かれた。


「おぉ……、おお‼ ついに私は手に入れた‼」


 嫌味なほど恍惚とした声を背中に受けながら、アタシは洞窟の外へと続くトンネルを駆けていく。




 もう扉は開いてしまった。


 もし本当にこの太刀――金色の民の武器――が、手にするだけで強くなれる武器なのだとしたら、今まで努力で積み上げてきたと思ってい力は所詮、借り物の力なんだろう。

 そして、そう遠くない将来、誰もがアタシと同じ力を持てる時代がきて、自分は他の人間と変わらない凡人になりさがってしまう。


 だったら、せめて。


「ベスタトリクスを、今ここでで倒す」


 借り物の力を使ったとしても、自分ひとりで世界最高の偉業を成し遂げてみせる。

 誰よりもこの力を使いこなせたのは自分だと証明するんだ。

 それが、アタシが自分の存在価値を証明できる最後の方法だ。

 


 今にも砕けて散ってしまいそうなプライドを繋ぎ止めながら、ただひたすらに走り続ける。

 出口がもうすぐそこにあると信じて。

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