51話 出立
街中のそこかしこから寝息が聞こえてきそうなほど夜も深まった時頃、リベリカはクエスト出発の待ち合わせ場所であるギルド裏側の空き地へやってきていた。
(確かにここのはずなんですけど……)
敷地のどこにも明りは灯っておらず人の気配も無い。
気味悪く感じながら辺りを歩き回っていると、ギルドそばの通用門付近に6台の馬車が停まっているのを見つけた。
うち3台が客室付きの馬車で、残りの3台は簡素な造りの
だが、やはり周囲に人の姿は見当たらず、これではどの馬車に乗り込めばいいのか分からない。
「すみませーん」
精一杯のささやき声で周囲に呼び掛けてみる。
人目を避けるためにわざわざこんな深夜に集合しているはずなので、ここで大声を上げてしまっては元も子もない。
さてどうしようかと困っていると、一番端っこの荷馬車から誰かがひょっこり顔を覗かせているのが目に入った。
月光に当てられて黄金色に煌めく長い髪がサラサラと風に揺れている。
あの美しい髪の持ち主の心当たりはただひとりだ。
幌馬車の方へ近づき、相手がやっぱりアリーシャだったと認めて胸をなでおろす。
「いつまで経っても帰ってこないから心配しましたよ」
「夜には戻ってくる」と言っていたくせに、いつまで経っても帰ってこなかったので「もしや」と思って来てみたのが、それが正解だった。
「どうしてゲストハウスに戻ってこなかったんですか?」
「おっちゃんの引き留め凄かったんだもん。家に戻ったら次は殴ってでも止めてきそうな勢いだったし」
「だからそのまま待ち合わせ場所に来ていたと?」
「えっと……はい」
「いつも言ってますよね? そういう思い付きだけで行動するの止めてくださいって」
「……すいましぇん」
リベリカの眼が全く笑っていないことにようやく気付いたらしく、最初こそ揚々としていたアリーシャだったが最後には肩をすぼめて空気の抜けた風船のようになっていた。
ちなみにアリーシャの反省の態度は数秒、よくて数分しか続かない。
もうアリーシャとは短くない付き合いなのでリベリカはそれを分かった上でチクチクと小言を言う。
「武器はどうするつもりだったんですか。持ってないですよね?」
「ゲストハウスに置いてきちゃいました」
「ですよね。どうするんですか?」
「どうしよ……」
本当に盲点だったらしくアリーシャは目を丸くして口をぽかんと開けている。後先考えずに思いつきで行動する性格はいよいよどうにかしないと本格的に不味い。
と言いながら、リベリカはちゃっかりアリーシャの防具と太刀もゲストハウスから持ってきていた。
我ながら過保護すぎるなと反省しながら荷台に積み上げる。
「なんて、私がアリーシャの武器も持ってきましたよ」
「神様仏様リベリカ様ああ!!」
「調子に乗らない、おだてない」
「……はいすいましぇん」
ペコリと頭を下げるアリーシャを見て今日の説教はここまでと甘んじる。
背負っていた大きな木箱を荷台へと積み、最後にアリーシャの手を借りて荷馬車に乗り込み、リベリカはようやく一息をついた。
*
しばらくして係の者がやってくると、クエスト参加の2人が揃っていることを確認し、間もなく馬車は街の外へと動きだした。
通用門をくぐり、街を囲っていた外壁が馬車の後方に見えると、本当にこれからしばらくこの街に帰ってこれないのだという実感が今更ながら湧いてくる。
何とも言えない物寂しさを共有したい思いもあって、リベリカはふとアリーシャに尋ねた。
「今更ですけど、出発前にパーカスさんと挨拶しなくて本当によかったんですか?」
「いいのいいの。どうせまた帰ってくるんだし」
「でもパーカスさん凄く心配してましたよ」
「マジか。過保護だなぁ」
アリーシャは呆れた様子で笑う。
けれど、どこからか湧いてきた雲に月光が遮られ、明るく照らされていた彼女の表情は
「……でも、今までこんなこと無かったし。やけに引き留めが強かったのは気になってる」
「やっぱり目的地が遠いからでしょうか」
「というより、山岳地帯だから駄目って感じがしたんだよね。なんとなくだけど」
『その勘は合ってるんじゃないか?』
アリーシャの呟きにこの場にいない者の声で返事され、驚きのあまり2人は身を寄せ合いながら抱き合った。
「……今の声、なんですか?」
「わかんない。幽霊じゃないよね?」
「大丈夫ですよ、幽霊なんているわけないじゃないですか」
「だよね! じゃないよね⁉」
屈強な大型モンスターを前にしても全く怖じ気つかないアリーシャが、ガタガタ肩を震わせている。
まさか思わぬ彼女の弱点がこんなところにあったとは。
……などと新たな発見をしている場合ではない。
改めて馬車の中を確認するが、乗っているのはリベリカとアリーシャだけ。
前を行く馬車にも人は乗っているが、到底こちらの会話が聞こえる様な距離でない。
2人ともさっきの声が聞こえたということは確実に幻聴ではない。
というより、どこかで聞き覚えのある声だった。
そして、聞こえてきた位置はすぐ近く。
「……となると」
辿り着いた答えの先に視線をやる。
リベリカがゲストハウスから背負ってきた木箱だ。
よくよく注目すると、馬車の振動のせいではなく、この箱自体がゴソゴソと動いているように見える。
「アリーシャ、この箱の中身は何なんですか?」
「アタシも知らないけど……なにこれ」
「これアリーシャの荷物だと思って持ってきたんですけど」
木札の上にプレートが貼り付けられており、そこには落書きのような文字で『アリーシャの』と彫られている。
これを見たのでアリーシャの忘れ物だと思い、わざわざゲストハウスから背負ってきたのだ。
だが、これがアリーシャのものではないときた。
しかもそこそこの重さだった。
例えるなら、小さな子供を背負うような重さ。
「まさか……」
導き出した答えの真偽を確かめるべく、リベリカが木箱の蓋を勢いよく引っぺがす。
「ぷはぁ! 出してくれてありがとさん」
呼ばれてないのにじゃじゃじゃじゃーん、とでも言うように箱の中から姿を現したのはローブを身に纏った小柄な少女・モカだった。
「なんでここに⁉」
「そりゃボクも行きたかったからに決まってるだろ」
「じゃなくて! 今回のクエストにモカの同行は認められてないんですよ!」
「それは知ってる。だからこうやって隠れてきたんだ」
「だからそれが駄目なんですけど!!」
誰に似たのか全く悪びれもしない様子にリベリカはかっくり肩を下ろす。
すでに街から離れたこの場所でモカを下ろすわけにはいかないし、正直にこのことを申告してトラブルの火種になるのも勘弁したい。
「いいですか? 絶対にバレないように。クエストを終えて街に戻るまでこの馬車から降りるのは禁止ですから!」
「元よりそのつもりだ。だからボクの食事と着替えはここに持って着てくれ」
「こいつ、どの口が……」
「まあまあリベリカ落ち着いてー」
リベリカの堪忍袋の緒をつなぎ直すようにアリーシャが間に入る。
いつもならお説教タイムを始めるところだが、「今はモカのことがバレないように」とまともな忠告を受けてしまい、大人しく怒りを飲み込むことにした。
リベリカの憤怒が治まりつつあるのを確認して、今度はアリーシャが質問する。
「そんで。もっかい聞くけど、ユーは何しにクエストへ?」
「ボクは山岳地帯のモンスターの調査がしたいんだ」
「山岳地帯のって、それまたピンポイントだね」
「まあな。その地帯はどんなモンスターがいるのか全く情報が手に入らないんだよ。アリーシャもそこでの狩りはやったことないだろ」
「うん」
アリーシャがこくと頷くと、モカは「やっぱりな」と呟いてから続ける。
「おそらくパーカスのおっさんは知っていたんだろうが、山岳地帯はどのハンターも狩猟活動が禁止されているんだ。どのギルドも手が出せないし、
主要都市から遠い地域はギルドの管轄が及んでいない。
今回の山岳地帯もまた然りとリベリカは思い込んでいたが、どうやらそうではないらしい。
山岳地帯は一応王国の領土内に含まれている。
だのにハンターの狩猟活動が全面禁止されているということは、より国に近い組織が管轄していると考えるのが妥当だ。
今度はリベリカがふたりの横から質問を挟む。
「ということは、山岳地帯は騎士団が直轄しているってことですか?」
「当たらずも遠からずだな。その地帯は騎士団でも上層部の極一部の人間しか立ち入ることが許されていない場所なんだ。簡単に言えば、禁足地ってやつだ」
「宗教上の理由でしょうか」
「そんな話は聞いたことないけどな」
「となると、これはまた……」
「きな臭い話だろ? だからこの機会を逃すわけにはいかないんだよ」
モカは余裕しゃくしゃくと言っているが、だとすると、これは思っていたよりも遥かに闇の深いクエストだということになる。
さりとて今更この馬車を降りることも、どこかの車両にいるはずの依頼主やカスティージョを問い詰めるわけにもいかない。
「アリーシャ、モカ、今回はいつもより気を引き締めていきましょう。なんだか嫌な予感がします」
「うん。モンスター狩り放題は我慢して1匹だけ、いや3匹だけにする」
「それじゃ休憩地点に着いたらまた教えてくれ。それまで僕はこの中で寝ておく。おやすみ」
「お願いですから2人とも緊張感を持ってください……」
こうなっては出来るだけ怪しい事態に巻き込まれないように自衛するしかない。
ただ、そんなリベリカの嘆きも虚しく、アリーシャは楽しみに目を輝かせ、モカは再び木箱に潜り込んでいった。
何も起こらず無事に帰れますようにとリベリカは月に祈った。
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