49話 極秘クエスト
夜明けの陽射しから逃げるように、リベリカ、アリーシャ、モカの3人は街の大通りを走り続けていた。
タイムリミットはあと数分。もはや残りの猶予を数えるのも惜しい。
明けの薄暗い視界の中、目的の建物がうっすらと浮かんできている。
なのに、ここにきてアリーシャとモカの足取りが急速にもたつきはじめる。
「悪い。ボクはここでギブアップだ」
「アタシも体力がもう……」
次第に足音が乱れ、足取りが覚束なくなる。
ついにふたりは石畳の路上にペタリと座り込んでしまった。
「ここで立ち止まっちゃ駄目です! あと少しですから!!」
早朝の気温は口から吐く息が白くなるような寒さなのだ。
こんな所にふたりを置いていったりすれば最悪の場合、命に関わる。
けれど、リベリカの呼びかけも虚しくモカは力なく首を横に振る。
「ボクのことは構わなくていい、お前だけでも先に行ってくれ」
「ダメです! 3人で行くんです絶対にッ!!」
「リベリカ」
「なんでそこまでして……」
諦めの色が浮かんでいる表情を見て、リベリカはどんな手段を使ってでも2人を連れて行くと決意した。
氷漬けになったようにかじかむ指先を吐息で温め、地面にしゃがみ込んでいる2人に歩み寄り、その手を伸ばす。
「いーから立ちなさい! ぐーたらコンビッ‼‼」
「いだァァァッッッ⁉」
「みみがッ、耳がもげるぅぅぅ‼」
慈悲も容赦なく耳をつまみ上げられたアリーシャとモカの絶叫が夢の中にまどろむ街中に響き渡る。
朝っぱらから大声を上げさせるのは立派なご近所迷惑なのだが、今は一刻を争う事態。致し方なし。
この機に日頃の鬱憤を晴らそうとしていた……わけではない。
見るからに痛そうな赤色に耳を腫らしたアリーシャが、眼に大粒の涙を浮かべて抗議する。
「まだ眠いの! いま何時だと思ってるわけ!?」
「聞きたいのはこっちですよ! 今日は朝からギルドマスターに呼び出されてるって言ったじゃないですか!」
鮮やかすぎる逆ギレだった。怒りを通り越して呆れてしまう。
なぜこんな朝早くからギルドを目指して走っているのかと問われれば、それは昨夜遅くの出来事にさかのぼる。
寝る準備を終えたリベリカが戸締りを確認していたところ、ゲストハウスにギルドからの使者がやってきたのだ。
聞けば、ギルドマスターが直々に伝えたいことがあるので翌朝一番に執務室まで来いという。
いくらなんでも急すぎると拒否したいところだったが、ギルドマスターからの個別の呼び出しを無視するわけにはいかない。
そんなわけで、リベリカは夜のうちにアリーシャとモカにも要件を伝達しておいたのだ。
だが、案の定、深夜の言伝を2人が覚えているわけもなく、結局リベリカは目覚ましから出発まで手伝ってようやくここまで2人を連れてきた。
そんなリベリカの心労を知らず、モカはやつれた様子で口を挟んでくる。
「ボクも行かないといけないのか? 今日はまだ2時間しか寝てないんだ。あと6時間寝かせてくれ」
「却下です。モカはまずは生活リズムを直してから文句を言いなさい!」
もはや掛ける情けはなし。
リベリカは、不平をたれ流し続ける2人をグイグイ引っ張り、ペシペシ叩き、ズリズリ引きずってなんとかハンターギルドへと連行した。
*
執務室の扉をノックしたのはアポの定刻1分前のこと。
扉が開くまでに急いで身だしなみを整え、秘書に招き入れられる形で中に入ると、机に向かっていたカスティージョが立ち上がって出迎えた。
「お待ちしていましたよ。さあそちらに掛けてください」
促されるまま応接用の革張りのソファに着席すると、次いでテーブルにティーカップが並べられ、華やかな香りを立ち昇らせながら紅茶が注がれていく。
一介のハンターに対してはあまりに分不相応な待遇だ。
困惑しているのも束の間、カスティージョは向かい合う形でソファに腰かけた。
「ご足労をお掛けしました。どうぞ遠慮なく」
紅茶を勧めるよう会釈され、緊張と冷えで震える指をカップの持ち手にかける。
冷えた手との温度差のせいかカップの表面がひりつくように熱い。
「今回お呼びしたのは、あなた方に受注頂きたい依頼があるからです」
「依頼……ですか?」
てっきり、アリーシャが勝手にモンスターの素材を持ち帰っていることがバレて処罰をくらうんじゃないかと思い込んでいたので、予想外の言葉に思わず呆けてしまう。
隣のモカも同じく目を丸くしているが、実行犯のアリーシャはさっそく夢に沈みかけていたので、パシンと叩いて現実世界に引きずり戻した。
それでも緊張感のない姿を見たおかげか、余分に強ばっていた身体の力が抜けたリベリカは幾分が調子を取り戻す。
「確認ですが、クエストの依頼ということでしょうか?」
「はい。ただし、これは全体に公表する予定はありません。あなた方にだけ秘密裏に持ちかけている依頼です」
密かにクエストを依頼されるという初めての経験にリベリカは息を呑む。
どんな依頼も会議をしてハンターに受注させるのがハンターギルドの原理原則なのだ。それを逸脱した今回の話はただ事ではない。
リベリカの表情から警戒心を読み取ったらしいカスティージョが表情を和らげる。
「あなた方の実力を見込んでのお話なのですが、お聞きいただけますか?」
「は、はい! もちろんです‼」
「それは良かった。では、これから内容についてお話ししますが、当然のことながら他言無用です」
カスティージョが合図すると、秘書の者が資料の束を持ってきた。
テーブルの上に広げられたそのうちの1枚は地図で、王国の領土とその周辺地域まで収めたかなり広範囲のものだ。
リベリカは地方の領主の娘として教育を受けていたおかげで地図の見方が分かるが、描かれている範囲がギルドの管轄地域を優に超えているので、一介のギルドハンターではこの町を見つけるだけでも一苦労だろう。
「今回の依頼は遺跡調査を行う有識者団の警護です。詳細はお伝え出来ませんが、場所はここから北東に位置する山岳地帯。だいたいこの辺りですね」
この街を点で指差し、そこから右上に向かって指でなぞっていく。
平野を超え、森林を通り過ぎ、険しい山々が描かれた一帯に丸を描いた。
カスティージョが指した目的地は明らかにギルドの管轄範囲の外。
リベリカの中で俄かに疑念が湧き始めるが、それを熟考させないようにカスティージョが口を開く。
「移動手段と食料などの必需品は全てこちらでご用意します。皆さんは普段のクエストと同様に防具と武器と身の回りの道具を準備いただければ結構です。移動方法について何か質問はありますか?」
「いえ……」
「分かりました。では次に日時ですが、今夜未明にはこの街を出立します」
「き、今日ですか⁉」
「はい。依頼人は本日中にこのギルドに到着します。その後、速やかにこの街を出発します」
つらつらと語られる内容を聞けば聞くほど、疑念と違和感が強くなっていく。
緊急の依頼という割に準備や工程の計画が緻密すぎるのだ。
まるで以前から計画されていたものだというように。
「出発まで時間が無いですが……その理由はご賢察いただけますね?」
形だけの疑問符を冷ややかに投げかけられ、リベリカの背筋がゾクリと凍る。
それ以上の詮索を許さないという言外のメッセージだ。
ギルドの原則から外れた個別依頼、ギルドの管轄地域の外に出た活動、正体の分からない謎の依頼者。どの要素をとっても肝心な情報は全て伏せられている。
何か恐ろしい闇に引きずられているような気がして、リベリカは助けを求めるように隣の相棒に顔を向けた。
「……アリーシャ?」
地図を見つめたままなぜか固まってるアリーシャ。
リベリカの問いかけで初めて我に返ったのか、肩が微かにピクンと跳ねさせたあと顔を上げた。
「どうかした?」
「いま何か考え事してましたよね。気になることがありました?」
「んー、まぁ」
いつも明朗なアリーシャにしては珍しく歯切れが悪い。
もしも彼女が何か違和感を抱いているのだとしたら、今ここで言ってもらった方がいい。
リベリカが無言で言葉を待っていると、ついにアリーシャは我慢負けしたように息を吐いてポツリと言った。
「この依頼、アタシはパス」
突然のリタイア宣言を聞いてカスティージョが眉を寄せる。
「理由をお聞かせくださいますか?」
「だって……」
何か言いかけたアリーシャは再び地図に目を落として言葉を飲み込んだ。
しかし、それも一瞬のことで、すぐに顔色を変えるといつもの調子で傲慢不遜にもソファのひじ掛けで頬杖を突く。
「だってこの話なんか怪しいもーん。しかもアタシたちに得ないし」
組織のボスに向かっていけしゃあしゃあと言ってのけるアリーシャ。
隣で聞いているだけでも恐ろしい。いくつの肝があっても足りない。
だが、今この場に限っては、臆することのないアリーシャの態度がリベリカにとっては少し心強くもあった。
「一応わたしはギルドマスターなのですが……。その私の話を信じられないと言われてしまうと、これ以上の
「たとえば?」
「そうですね。通常の報酬とは別に、前払いで特別報酬をお渡ししましょう」
「今はお金に困ってないんで大丈夫でーす」
「なるほど」
アリーシャの態度には慣れているらしく、カスティージョは眉根ひとつ動かさない。それどころか不敵な笑みを浮かべて続けた。
「ではこういうのはどうでしょう? 今回の調査場所ではこれまで貴方が狩ったことのないモンスターとも遭遇するはずです。そのモンスターを護衛中であれば何をどれだけ狩っても構いません。素材を持ち帰っていただいても結構です」
「何をどれだけ狩ってもいい……」
まるでアリーシャを狙い撃ちしたような甘言だ。
「三度の飯より狩りが好き」と言っても過言ではないアリーシャのことだ。
きっと次の瞬間には目の色を変え、打って変わって快諾するに決まっている。
「……でもパスだね」
「ほう?」
「だってこの依頼はアタシたちに受けてほしいんでしょ? だったら、リベリカにとっての利点もちゃんと提示してもらわないと」
まるでギルドマスターを試すようにアリーシャが不敵に笑う。
彼女はなぜこんなに傲慢不遜に張り合えるのか。
自分も彼女ほどの実力を身に着ければこんな風に肝が据わるのだろうか……と少し考えて、それはそれで嫌だなと思い直す。
「……分かりました」
カスティージョはしばらく逡巡するように沈黙した後、空っぽになったティーカップをカタリとソーサーに置いた。
「依頼を完遂いただけた暁には、あなた方を王立騎士団に推薦するとお約束します」
「騎士団に推薦っ⁉」
まさかそんな提案が出てくるとは予想だにせず、リベリカ口から心の声が飛び出した。
アリーシャもそんな想定していなかったらしく面白がるような声を上げている。
「これまた大きく出ましたねぇ。そんなに重要な依頼なんですか?」
「詮索は無用です。これでクエストを受けていただけますね?」
「アタシは騎士団に興味ないからどっちでもいいけど。リベリカどうする?」
カスティージョとアリーシャの顔が同時にこちらに向けられる。
王立騎士団に編入は、それこそ喉から手が出るほど欲していた待遇だ。
貴族の位を再び得て没落した家を復興させる。
そのチャンスがまさかこんなに早く訪れるなんて。
さっきまでの不安も心配もまだ心の片隅に巣くっているが、この千載一遇の機会を逃すわけにはいかないし、何よりアリーシャも一緒にいてくれるなら安心だ。
もはやこの提案を断る理由はない。
「分かりました。この依頼、お受けします」
その他諸々の条件も確認して合意し、契約書にサインを済ませてギルドを後にした。
事後承諾にはなるがこれからパーカスへの相談も必要だし、今日一日はクエストの準備で大忙しになる。
あちらこちらで朝の支度が始まって街には人々の活力が戻ってきている。
けれど空に薄く伸ばしたような雲が漂っているせいか、ゲストハウスに続く街の大通りの石畳は濡れたような灰色に陰っていた。
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