39話 プライド

「下がるな!」


 その声を耳にした瞬間、理性を恐怖心に凌駕され、逃げ出さんと動いていたサン・ラモンの足が凍り付いた。


 背後から聞こえる重い足音は、まるでここから逃がさないと退路を塞ぐように近づいてくる。

 その正体――純白の衣装で身を飾ったブロンドヘアーの少女は、サン・ラモンと肩を並べて立ち止まった。


「アンタが逃げたらクエスト失敗になるでしょうが」


「アリーシャ・ティピカ⁉」


 サン・ラモンは絶句する。

 隣に立つ彼女が、防御力をかなぐり捨てるような軽装にも関わらず、その手に大盾と重槍を携えて立っていたからだ。


 身に着けているのは、機動性を最優先したような露出の多いライトアーマー。「攻撃に当たらないなら防御は不要」という暴論を体現するような防具。


 本来ならそんな軽薄な恰好で狩場に出てくる事だけでも常軌を逸しているのだ。

 ただ、居合斬りが得意というアリーシャに限って言えば、動きやすさを重視した防具を選ぶことも百歩譲って理解はできる。


 しかし、それはあくまで彼女が太刀使いという前提で成り立つ話。

 その機動力が全く意味をなさない武器 ――重槍を扱おうと言うのなら話は全く別だ。


「なんだその武器、おまえ正気か⁉」


 自分の置かれている状況もそっちのけに、サン・ラモンは同僚を制止すべく声を荒げるが、当のアリーシャはどこ吹く風。


「うん。さっきアンタの部下から借りた武器だからまだ手に馴染まないけど、まぁやれるよ」


「ふざけるな! そんなので本当に戦えると思ってるのか」


「じゃなきゃ、ここに立ってないでしょ」


亜種あいつは無理だ、撤退しろ!」


 サン・ラモンが鬼気迫る表情で恫喝するように叫ぶ。

 無理に決まっている。

 このギルド筆頭のハンターである自分が、優秀な槍使いを集めて束で挑んでも歯が立たなかったのだ。

 そんなモンスターに槍の素人がひとりで立ち向かってどうにかなるはずがない。


「お断り。アタシは、今ここで撤退することだけは絶対にしない」


 アリーシャは相変わらず澄ました表情のまま前を向いている。

 敢えて断言するような口調からサン・ラモンは察する。

 今の彼女を支えているのは、自信ではなく、矜持や覚悟といった類の精神だ。

 いつも余裕の態度で大口をたたく叩く生意気な新人。

 その上っ面の皮を剥ぐには絶好の機会。


「何にこだわってる? ギルドでの立場か? 失敗したチームの処分のことなら私がどうにかしてやる。だったら――」


「そうじゃない。そんなのどーでもいい」


「はっ、なんだそれ。お前にはプライドが無いのか?」


「プライドならある」


「じゃあなんだ、言ってみろ!」 


 サン・ラモンは噛みつくように叫びながら、揺らぎはじめた己の信条を問う。

 自分の保身が”どうでもいい”人間などいるはずがない。

 カスティージョによる恐怖支配ともいえる現ギルドの体制では、クエスト失敗の責任を問われれば即刻クビ。


 今回はあくまで2チーム合同のクエストとはいえ、こうしてターゲットを前にしてむざむざ退却したと知れれば連帯責任を問われかねない。

 彼女もそれを恐れて強がっているだけに決まっている。

 それ以外に、こんなに異様な執着を見せる理由があるというのか。


「受けた依頼は絶体に失敗しない。それがアタシのプライド」


 アリーシャは浅く短く嘆息して続けた。


「撤退したら亜種あいつを逃す。逃したら周辺の被害がさらに増す。そしたら、リベリカの勇気も、アンタの部下の頑張りも無駄になる。そういうのひっくるめて、目の前のクエストに失敗するわけにはいかない」


 子供に教え諭すようにとうとうと語るアリーシャ。

 その蒼い瞳は、ただ真っ直ぐに対峙するモンスターだけに向けられたまま。

 彼女は純朴そのものの声音で問いを投げ返した。


ハンターあたしたちにとってそれ以外に何がある?」


 その少女の横顔は凛として、あまりにも眩しく、強かった。

 

 もはや、彼女に返す言葉はない。

 問うべき相手は自分自身なのだと心づく。

 

 闇に沈み、いつしか蓋を閉じていたことすら忘れていた己の心に手を掛ける。

 己の保身よりも誰かを守るために立ち向かう。

 成すべき使命を全うするためだけに力を振るう。

 そんな狩人ヒーローを目指していたんじゃないのか。


 ―― あの頃の自分は、まだいるか?


「……アリーシャ、作戦はあるのか」


 恥も外聞も捨てて問いかける。

 そのサン・ラモンの言葉に、アリーシャは口角を上げて「あるよ」と首肯した。

 まるでこの展開を待ち望んでいたかのような、余裕の笑み。


 彼女なら1人で戦況を変えられるのではないか。

 それどころか、自分は最初から彼女の足手まといだったのではないか。考えるほど惨めに思えてくる。


 そんなサン・ラモンに対して、アリーシャはいかにも芝居がかったため息をつく。


「でもなぁ、アタシだけだと無理。もうひとり、槍の使い手がいないと」


 そして、一瞥をくれて頭を下げた。


「だから、そのギルド随一の槍の技術、アタシに貸してください」


 二回りも年下の少女に踊らされていると分かっている。

 それなのに、サン・ラモンの内には得も言われぬ感情が高ぶってくる。

 答えは決まり切っていた。


「わかった。私はどうすればいい」


「おっさんは亜種やつの弱点を攻撃することに集中して。アタシがパリィで隙を作るから。これ以上の説明いる?」


「それで十分だ」


「さっすが。じゃあ行こう」


 アリーシャがニヤリと浮かべた笑みにつられるように、サン・ラモンも口角を上げる。

 3、2、1というカウントはどちらともなく。

 ついに2人は同時に地面を蹴った。

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