38話 一縷の希望

 クエストは失敗だ。

 負傷者2名、非交戦状態2名。残る戦力は……自分ただひとり。

 は正面に構えた大盾越しに猛禽類のギョロリとした目を睨みつけながら、この危機的な戦況で自分が取るべき行動を模索する。


 今第一に考えるべきは、ハンター全員の生存確率を少しでも高くすること。

 つまり、一刻も早く部下全員を連れてこの場から脱する方法を考えなければならない。


「ふたりとも無事か!!」


 モンスターに目を向けたまま後ろにいる2人に向かって呼びかける。しかし返事はない。

 槍でも穴を空けられないほど強固な翼で殴打され、人形のように軽々しく地面に身体が転がっていくところまでは視認できたが、2人の姿を見たのはそれが最後。

 返事が無いのは意識を失っているからか、最悪の場合は既に手遅れかもしれない。

 いずれにせよ容体は不明だ。


「お前たち! 気を確かに持て!」


 残りの2名、モンスターの死角となる側面方向で立ちすくんでいる部下に喝を入れる。

 両者とも身体に外傷こそ無いが、盾にすがるように身体を縮こまらせ、槍は明後日の方向に向いている。

 心が完全に恐怖に侵されてしまっている証拠だ。

 もしその姿をランドラプターに見られでもすれば、真っ先に餌食になることは間違いない。



 脳内の回路が焼き切れるような頭痛を患いながら思慮を巡らせる。

 その熟考が生んだ一瞬の隙を猛禽類の目は逃さなかった。

 ランドラプターがワンステップでこちらに迫り寄り、鋭利なくちばしを突き出してくる。


 なんとか紙一重のタイミングで反応したサン・ラモン。大盾に力を込めて衝撃に備え、ランドラプターの嘴を弾くように受け流す。

 そして、すぐさま2、3ステップを踏んで距離を取り、次の攻撃をけん制するべく威嚇しながら思考の時間を稼ぐ。



 全員が生還できる確率が最も高いシナリオは?

 自分がランドラプターの注意を引き、先に意識の残っている2名を負傷者と共にこの場から離脱させることか?

 狼煙のろしに気づいた救援部隊がいずれ到着するだろうが、この場に留まっていては負傷者の救護も十分に行えない。

 このまま居てもジリ貧になるだけだ。今、行動を起こすしかない。


「私がモンスターの注意を引きつけるッ! その隙に――」


 しかし、全てが一歩遅かった。

 サン・ラモンの声は激しい咆哮にかき消され、ランドラプターが死角に立っていた2人のハンターへと体躯を向ける。


(どうしてこうなった?)


 意識が現実から乖離し、時間が無限に引き延ばされるような感覚に襲われる。


 どこで選択を誤ったのだろうか。

 否、ずっと選択を誤ったままやって来た結果がこれか。

 

 これまでギルドという組織の中であらゆる理不尽に従ってきた。

 それはチームの長として、部下の生活を守るためには仕方のないことだった。

 無茶で横暴な命令であっても、御上に対していなは許されない。

 一方で部下の意見や上申も無下にはできない。


 その積み重ねの結果、今回の”モンスター同時狩猟作戦”を強行してしまったのだ。



 ランドラプターに狙いを定められた2人。恐怖に支配された身体がその場に崩れ落ちる。

 もはや無防備となった人間にランドラプターは容赦なく飛び掛かる。


 あの時、あの少女たちの意見を尊重していれば。 

 彼女たちの支援を求めていれば。


 今さらそんな後悔をしている自分に気づいてサン・ラモンの口の端が歪む。


 狙われたハンターたちが最後の瞬間を覚悟して目を瞑った。

 もう間に合わないと分かっている。

 けれど、せめて。

 サン・ラモンはありもしない奇跡を手繰り寄せるように手を伸ばす。


 モンスターの姿はその手の遥か先。

 ランドラプターが巨大な翼を広げ、大地を蹴けるべく脚に力を込める。



 ―― 瞬間、ひとりの少女がサン・ラモンの視界に飛び込んでいた。


「うおおおおおおおおおおおおォォォォォッッッッ!!!!」


 紫紺のスカートがひるがえる。

 その手にあるのは小さな盾ひとつ。

 少女はほとんど無防備に近い姿で疾走し、ランドラプターの脚元に潜りこむ。

 身をかがめ、剣を引き抜き、脚の付け根を一閃。


 斬りつけられたランドラプターが悲痛な叫びを上げて、動きを鈍らせた。

 それを見越していたように少女はモンスターの正面に滑り込む。

 頭上に構えた不相応にも小さな盾に、モンスターの強烈な一撃が振り落とされる。


 たった一枚の小楯こだてを手に、少女は後ろのハンターを庇うように重圧に耐え忍ぶ。

 踏みつけられても決して枯れるまいと咲き続ける紫のユリの華のように。


「リベリカ耐えろォォォォッッ!!」


 誰よりも非力だと侮っていた彼女が生み出した一縷の希望。

 その一瞬を逃しはしないと、サン・ラモンは振り出していた脚で大地を踏み込んだ。

 風を裂いて身体を前へ前へと弾き、勢いを乗せて重槍をランドラプターの体躯に突き付ける。

 万感を込めた会心の一撃。

 その一突きは果たしてモンスターの重心を狂わせた。


 地響きと共にランドラプターがたたらを踏んで巨体を地面に横たえる。

 その隙にサン・ラモンはリベリカの前に壁を築くように大盾を地面に突き立てた。


「無事か‼」


「ええ、なんとか」


 落とした剣を拾ってリベリカ・モンロヴィアが立ち上がる。

 軽装が災いして小傷を負っているものの戦闘に支障が出る様な大怪我には至っていない。

 他のハンターふたりはすっかり腰を抜かしているのか、地べたにへたり込んでいる。


 もぞもぞと脚を動かしていたランドラプターは早くも態勢を立て直し始めていた。

 流石に全員を連れて退却する時間の余裕はない。 

 

 立ち上がったかつての部下がサン・ラモンの横に並び立つ。

 小楯を構える少女の腕には数多あまたの擦り傷や切り傷が刻まれている。


「なんでここに来たんだ」


 気づけば、サン・ラモンはこんがらがった感情に整理がつかないまま口走っていた。

 どうして彼女は身命しんめいしてまで救ってくれたのか。

 自分たちはかつて彼女を爪弾つまはじきにした人間なのだ。

 憎まれ、嘲笑あざわらわれ、見殺しにされたとしてもおかしくなかった。


 だというのに。


「なんでって、救難信号が見えたからに決まってるじゃないですか」


 ―― この少女は、自身の行動をさも当然かのように言ってのける。



 いよいよ、横転していたランドラプターが立ち上がった。

 身体を戦慄わななかせ、怒りそのものを込めた咆哮が空気をビリビリと震わせる。


「どうします、これから」


 まだ息も整っていないながらリベリカから鋭い口調の問いが飛ぶ。

 サン・ラモンはまだ整理のつかない感情を脇に置き、状況判断に思考を割きながら応答した。


「重傷者が2名、戦闘不能の者が2名。動ける人間は私たちふたりと……、アリーシャは」


「近くまで来てますが、すぐには動けないです。前の戦闘で体力を消耗してるみたいで」


「わかった。とにかく今は撤退だ。この戦力で亜種やつを倒すことはできん」


「ラモンさんの槍でも無理なんですか」


「無理だ」


 もはや敗北を認めることすら造作もない。それほどに亜種との力の差は歴然だった。

 サン・ラモンはリベリカがこれ以上変な気を起こさないように、そして、撤退という敗北行為が正しい選択なのだと己に言い聞かせるように付け加える。


亜種こいつは攻撃パターンが通常種と違いすぎる。そのうえ、こちらの攻撃は通常個体に比べて遥かに狭い弱点部位の一点にしか通らない」


「事前の情報にあった通りですね」


「だが実際に対面して思い知った。初見でこいつの攻撃を防ぎつつ槍で反撃するなんて不可能だ」


「では私がモンスターを引き付けて、ラモンさんが攻撃に集中すれば……」


「だとしても、こちらの武器は重槍。機動力は皆無。亜種やつの弱点を俺に向けさせながら囮になるなんて人間には不可能だろ」


 サン・ラモンの断固とした物言いに納得したのか、リベリカは顔に悔しさをにじませる。


「……では、撤退ですね」


「しんがりは私が務める。お前は先に下がって他のハンターを頼む」


「分かりました」


 サン・ラモンが前に出てランドラプターの注意を引くと同時に、リベリカが後方に下がっていった。

 叱責するようなリベリカの声に続いて、複数の足音が遠ざかっていく。

 幸いにも、ランドラプターも先程のような奇襲をまた受けることを警戒しているのか、しばらくの間はサン・ラモンと1対1の睨み合いが続いた。


 やがて、他の物音が聞こえなくなったことを確認。

 どうやら他のハンターたちは上手くエリア外に逃げおおせたのだろうと分かって、少し緊張の人が緩む。

 しかしこちらの弱気を悟られたのか、ランドラプターの眼光が一層鋭くなった。


 あとは自分ただひとり。

 生還できるに越したことはないが、下手に追いかけられ、せっかく撤退した彼女たちに被害を負わせるわけにはいかない。

 だから、今はまだこの場から逃げ出すわけにはいかない。

 彼女たちの壁であろうと、地面に突きたてた大盾を握りしめる。


 だのに、己の脚は後ろへ後ろへと下がろうとする。恐怖に身体が引っ張られる。


 情けない。

 けれど、勝ち目がないのだ。ここに居れば確実に命はない。

 仕方がないじゃないか。


 ついに、畏怖に屈したサン・ラモンが後ずさる。


 ――その一歩を、凛とした一喝が引き留めた。

 

「さがるな!」


 純白のライトアーマー。ユリの花弁を思わせるドレススカートがふわりと揺れる。

 サン・ラモンの横にブロンドヘアの少女が並び立つ。


「アンタが逃げたらクエスト失敗しちゃうでしょうが」


 その手に馴染みの太刀を持たず、華奢な身体にまるで不釣り合いな大盾と重槍を携えた少女。 

 アリーシャ・ティピカは傲岸不遜ごうがんふそんにも、恐怖など微塵も感じさせない声色でのたまった。

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