19話 百合の狩人(三分咲き…)

 リベリカが普段着に着替えてゲストハウスの1階へ降りると、食卓では既に朝食の配膳が終わっていた。


 白い丸皿に丸パン、ハム、つやつやのオムレツとレタスが乗ったモーニングプレートが3人前。

 ここに寝泊まりしているのは彼女の他にはアリーシャとパーカスだけ。

 アリーシャはまだ2階の部屋にいるし、メイドを雇っている様子もないので食事を用意したのは他ならぬパーカスということになる。

 あの熊のような大柄な男の手によって生み出されたとは思えない繊細な盛り付けだ。


 内心で驚きながらリベリカが席に着くと、黒いエプロンを首から掛けたパーカスが木製のお盆に乗せて持ってきたティーカップを目の前にコトリと置いた。


「食事ありがとうございます。これは……?」


 カップの中では黒い液体がほのかに湯気を立てている。

 紅茶にしては黒すぎるし、何かを焦がしたような苦い匂いがする。


「コーヒーだ。その様子だと飲んだことはなさそうだな」

「話に聞いたことはありましたが、初めてお目にかかります」

「では自慢の一杯をご賞味あれ。まずは何も混ぜずにそのままでね」

「いただきます」


 勧められるがまま、ふぅと息を吹きかけて慎重にコーヒーの表面に唇をつける。

 温度は……熱すぎない。紅茶よりも少しぬるく、トロリとした印象。


 思い切って口に含むと第一印象は苦さ。

 けれど舌で転がしてよく味わうとチョコのような質感に変わっていき、コクンと飲み込んだ後にはアーモンドのような微かに甘い余韻が鼻腔を満たす。

 不思議と苦みによる不快感はなく、それどころか脳裏からもやが晴れるような感覚すら覚える。


「美味しいです」

「おおそうか。そりゃよかった」


 向かいの席で気遣きづかわしげな表情をしていたパーカスが口元をほころばせる。

 安堵した様子でカップに口をつけるパーカスに続いてリベリカももう一口。

 コーヒーを飲み下すたびに眼がえて、胸のつかえがとれるような心地よさまで感じる。

 このリラックス効果……変な薬でも入っているんじゃないかと疑いたくなるほどだ。


「コーヒーっていいですね。でもこんな珍しいものをどうやって?」

「昔から馴染みの商人に特別に格安でおろしてもらってるんだ。最近は貴族の方でも流行ってるらしいが、あいつらは味なんてわからずに飲んでるからな。いい豆はこっちに回してもらってる」

「通りで噂に聞いていたイメージと全然違ったわけですね。美味しいです」

「だよなぁ? だがアリーシャのやつはちっとも理解しないんだ。リベリカちゃんのように味わってくれるなら淹れ甲斐もあるんだが」


 コーヒーをいったん置いて丸パンに手を伸ばす。

 密かに期待した柔らかさはなく、こちらは庶民がよく食べている固めのパンだった。

 貴族の飲み物と庶民の食べ物を一緒に口に入れていると思うと不思議な気分になる。


「ふわぁ、おはよぉ」

「おはようアリーシャ。朝飯もうできてるぞ」

「うぃー、サンキューおっちゃん」


 寝間着姿で寝ぼけ眼のアリーシャは、赤みを帯びたアゴをすりすりさすりながらリベリカの横に座った。

 アリーシャが「いてー」と呟いているのを耳にして、リベリカは一抹の罪悪感を抱きながら声を掛ける。


「大丈夫ですか?」

「んー大丈夫。でもなんでアゴがれてるのか覚えてないんだよねえ」

「あ……覚えてないんですね」

「なに? 何かしってる?」

「知らないです」


 フイと視線を外して食事を再開する。

 今朝の記憶――揉みしだいた感触――ごと忘れてもらっているのなら好都合。

 生まれて初めての感覚をまさかあんなシチュエーションで経験するとは思ってもいなかったのだ。思い出すだけでなぜかドキドキしてくるし、何か新たな扉を開いてしまいそうで恐ろしい。


 黙々と食べ物を口に運ぶリベリカを横目に、アリーシャはまだ食事に手を付けないで無駄話を続ける。


「そういやリベリカめっちゃ可愛い下着付けてなかった? いや待って、あれって夢……」

「アリーシャさんそれ覚えてるんですか⁉」

「その反応、ってことは夢じゃなかったのか! でもその後の記憶が無いんだよなぁ。不思議」


 己の記憶と格闘するように眉間をつまんで唸るアリーシャ。

 けれど結局、「まあいっか」という結論に落ち着いたらしい。


「で、あれなんていう下着なの?」

「下着じゃないです」

「あれはネグリジェという寝間着だ」


 思わぬ遊撃が向かいの席のパーカスから飛んできた。

 言葉遣いや見た目からガサツで荒くれ者という印象を受けるのに、コーヒーに詳しかったり、淑女の服装に詳しかったりと意外と知的で教養を感じるところがある。


「おおーさすがおっちゃん詳しい! じゃあアタシもネグリジェほしい」

「いらん。似合わん。その前にそれが似合うお淑やかさを身に着けろ」

「けー、それが年頃の可憐な娘に言う言葉かよー」

「お前が可憐な少女になったら言わないでやる」


 フンと鼻先で笑って食事に手を付けるパーカス。

 ふたりのやり取りは親子にしては距離が遠く、けれど赤の他人にしては近すぎる。

 その不思議なふたりの間に入っていくのは躊躇ためらわれて、リベリカは違う話題を振り出した。


「あの、そういえばギルドからの連絡はありましたか?」


 パーカスが咀嚼そしゃくしていたハムを飲み込んで口を開く。


「まだ来てない。流石に昨日の今日だしな」

「そうですか」

「ギルドマスターが腰をやったっていうならもう少しかかるんじゃないか? なに、気長にここで待てばいいさ」

「……はい。ありがとうございます」


 口先で謝辞を述べつつ、リベリカの顔には心配の色が浮かぶ。

 ここはあくまで一時的な居候場所。

 ギルドの寮という戻るべき場所はあるわけだが、昨日の一件でさらに気まずい立場になったこともあり、今はふたりの厚意に甘えてここへ避難しているだけ。

 クエストでの自分の振舞いが組織の中でどう評価されるのか。

 今は一日でも早く白黒をはっきりさせてほしい気分だ。


 手が止まっているリベリカの様子が気になったのか、アリーシャがパンをモグモグしながら首を傾げて尋ねてきた。


「リベリカ、心配?」

「ええ、まあ。緊急事態だったとはいえ捕獲すべき賢狼獣クルークウルフを討伐してしまったせいでクエストは失敗になったんです。それに直接関与したのは私たちですから……」


 アリーシャが噛んでいたパンを飲み込んでけろりと言う。


「大丈夫じゃない? 貴族のおっさんからちゃんと許可得てたんだし。まあ口約束だけど」

「ちょっと待てアリーシャ。その話きいてないぞ」

「ありゃ。言ってなかったっけ」

「一言たりともな! 捕獲作戦が土壇場で討伐に変わったとは聞いたが……ちょっと詳しく話せ」


 鋭い眼光に気圧されてアリーシャがブルっと肩を震わせる。

 それから両手を膝の上に置いて姿勢を正し、かくかくしかじかと経緯を説明しはじめた。


 最初にギルドマスター達の作戦が失敗して賢狼獣クルークウルフを取り逃がしたこと。

 賢狼獣クルークウルフが逃げた先に同行していた依頼主が居合わせ、襲われかけたこと。

 アリーシャはそこが戦場になることを予想していて、予め落とし穴を仕掛けていたこと。

 そして、依頼主から直接許可を得たうえで一撃で賢狼獣を仕留めたこと。


 アリーシャが全てを話し終えたときには、パーカスは両手で頭を抱えて項垂れていた。


「まさかとは思うが……、そのをするために依頼主をおとりに使ったのか」

「いやいやー、貴族のおっさんが自分からモンスターの方へ行っちゃったからラッキー……じゃなくて、助けるために仕方なく。そう仕方がなかったんですよ!」

「いまラッキーって言いかけただろ」

「なんのことやらー?」


 明後日の方向へ目を向けて白を切るアリーシャ。

 パーカスは深く嘆息してカラトリーを食卓に置くと、リベリカに向かって頭を下げた。


「というわけだ。すまんリベリカちゃん。今回のことはアリーシャこいつ我儘わがままが原因だ。本当はこいつ一人に責任を負わせるべきなんだが……」


 言葉を濁したパーカスが気遣わしげな目でアリーシャを一瞥いちべつする。

 まるで監督者と親心の間で揺れているような葛藤が目に見えてしまい、リベリカの心内には責める気が起こらないどころか自責の念が湧いてきてしまう。


「頭を上げてください。アリーシャさんが悪いとは思ってません。そもそもアリーシャさんは会議の時からこうなることを進言していたんです。むしろ、その忠告に耳を傾けなかったギルド側の責任ですよ。……私も含めて」

「リベリカ……」


 アリーシャが驚きと戸惑いの入り混じった視線を向けてくる。

 それに口元を緩めて頷き返すと、リベリカはしんみりした気分を変えるように言った。


「そういえば、ひとつ聞いてもいいですか?」

「いいけど……。私? おっちゃんに?」

「おふたりにです」


 リベリカが一転して真剣な顔で言うと、アリーシャとパーカスは丸くした目を見合わせて首を傾げた。

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