17話 ユリの狩人(50%)

「早くこいつをどうにかしてくれぇッッ!!」


 エリア1 ―― 森の出入り口付近でリベリカが目にした光景は、想像よりはるかに深刻な状況だった。


 真っ先に目に飛び込んできたのはモンスターの巨大な背中。

 賢狼獣クルークウルフはアリーシャたち3人の目前にまで迫り、彼女たちの背後には切り立った岩の壁がそそり立っている。


 もはや逃げ場はどこにもなく、両者の距離はもう数mメトルとない。

 文字通り、死が彼女たちの目前に迫っていた。


「く、くるなァッ!!」


 依頼主の貴族 ――パカマラが従者の男にすがりついてしゃがみ込み、真っ青な顔でガタガタと身体を震わせる。


 3人の中で唯一武器を持っているのはアリーシャだけ。

 しかも彼女の武器は一本の太刀のみ。

 刀ではモンスターを斬りつけることはできても、攻撃から身を守ることは不可能だ。


「もっと後ろ下がってッ!」


 アリーシャが普段のおどけた態度からは想像もできない真剣な声色で叫んだ。


 彼女は既に鞘から抜いた太刀を真正面に構え、男ふたりの盾になるように仁王立ちしている。

 今でこそ膠着こうちゃく状態だが、それも長く続かないだろう。

 クルークウルフは確実に3人との距離をジリジリと縮め続けている。


「アリーシャさんッ‼」


 彼女……よりもクルークウルフの気を引き付けようとリベリカが叫んだ。

 その狙い通り、クルークウルフはこちらに首を向けて憎悪に燃える眼で一瞥いちべつしてくる。


 しかし、たったそれだけで背筋が凍るような悪寒に襲われた。


 しかもその注意を引き付けられたのは数秒の間のこと。

 クルークウルフは「雑魚おまえのことなど眼中にない」とでも言うようにすぐさまアリーシャ達に意識を戻す。


「危ないから来ないで!」


 アリーシャがクルークウルフに目を向けたまま返事する。

 来るなと言われても、指をくわえて見ていられるわけがない。


 この場で自衛手段の盾を持っているのはリベリカだけ。

 盾といっても片手用なのでモンスターの爪先を弾くくらいの防御性しか期待できないが、それでも逃げる一瞬の隙なら作れるはず。


 問題はタイミングだ。

 いつクルークウルフの前に飛び込むべきなのか。


 一歩、クルークウルフが前に踏み出した。

 丸太のような左前脚がゆらりと持ち上がる。

 アリーシャが後ずさろうとするが、初動が遅れてしまう。


 ―― 迷うな、いま行かなきゃ手遅れになる!


 リベリカは地面を蹴った。

 駆け出しながら背負っている盾に手を伸ばす。



 前脚が振り上げられ、ついにアリーシャに向けて降ろされる。

 空気を裂いて襲いかかる狼の爪。

 その直下、ギリギリに滑り込んだリベリカが両手で盾を前に突き出した。


「んぐぅッッ!!」


 鈍い金属音、赤い火花が頭上で咲く。

 巨人の金槌に叩きのめされたような衝撃と共に、筋肉を裂かれるような電流がリベリカの身体中を走り抜けた。


 その場になぎ倒されるリベリカ。

 だが、飛び込んだ勢いで運良く爪の勢いを受け流すことは出来ていた。

 盾に弾かれてバランスを崩したクルークウルフの前脚へアリーシャが一太刀を浴びせる。

 斬りつけられたクルークウルフは短い悲鳴を上げて後ずさり、再び両者の間に距離ができた。


「危ないって言ったじゃん!」


「それは……、こっちの台詞ですよ」


 呆れ半分に叱責しながら差し伸べてくるアリーシャの手を取って、リベリカは何とか立ち上がる。


 身をした防御で一命は取り止めた。

 けれど、ほんの少し寿命が伸びただけ。絶体絶命の状況は何も変わっていない。


 リベリカは頭を守るにも心許ない大きさの盾を正面に構え、先頭に立ってこちらを睨みつけてくるクルークウルフと対面する。

 その横に並び立ったアリーシャが小声で話しかけてきた。


「ギルドのハンターさん達はもうすぐ来る?」

「多分……。いや、もう少しかかるかもしれません」

「承知した」


 アリーシャとの短い会話が終わると同時、クルークウルフが喉を鳴らして全身の毛を逆立てる。

 次は獲物を確実に仕留める。そんな猛獣の眼がこちらを狙っている。


「早く、早く早く早くッ、こいつをどうにかしろッ! さっきからなんでじっとしてる! ハンターだろ、早くやれ!」


 モンスターの殺気にとうとう耐え切れなくなったパカマラが後ろで喚き声を上げている。

 どちらに向けているかも分からない戯言をリベリカが聞き流す一方で、アリーシャが淡々と返事する。


「駄目です。さっきはちょっと斬っちゃったけど実は上司に武器を使うの止められてるんで」

「はぁッ⁉ こんな状況でふざけてる場合か!!」

「ふざけてないですよ。本当だよねリベリカ?」

「それは……、一応そういうことになってますが……」


 アリーシャの言っていること自体は本当だ。

 今日のアリーシャは見学だけを条件にこのクエストに同行している。


 けれどそれは、ギルドの中の今回に限った取り決めだ。

 仮にアリーシャがこの場で武器を振るったとしても法的にとがめられることはないし、事態が事態なのでやむを得なかったのだと理解はしてもらえるはず。


「アリーシャさん、今はあなたの力も必要です」

「そうは言われても……。いや、やっぱり駄目だ。今は救援が来るまで待つしかないよ」

「なんで⁉」


 不気味なほど消極的なアリーシャの態度にリベリカは戸惑いの声を上げる。

 前回はあんなにモンスターを斬りたがっていたくせに。

 それほどまでに今がよっぽど不利な状況……ということなのか?


 思考を巡らせるリベリカの横で、アリーシャは答えをぽろりとこぼした。


「だって今回の目的は生きたままの捕獲なんでしょ? 下手に戦うと傷つけちゃう」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」

「それを判断するのはリベリカちゃんじゃないよ」


 太刀を構えたままアリーシャが首をパカマラの方へ巡らせる。


「どうする? 依頼者のおっさん」

「お、おっさん⁉ 誰に向かって――」

「んなことどうでもいいでしょ!」


 アリーシャの罵声をあげた。

 重なるようにクルークウルフの足音。

 救援部隊の足音は未だ聞こえない。


 気圧されるように口をパクパクさせているパカマラ。

 アリーシャが追い打ちをかける。


「どうすんの、斬っていいの! ダメなの!」

「き、斬っていいッ! あいつを斬れ!」

「いいんだね? うっかり殺しちゃっても文句言わない!?」

「それならそれでいい! とにかくあいつをどうにかしろッ‼」


 もうヤケクソ気味に泣き叫ぶようなパカマラの声。

 その言葉を聞いたアリーシャは、


「はーい。許可いただきました」


 待ってましたと言わんばかりに得意げな笑みを浮かべた。

 顔を正面に向け、一番前へと歩み出る。

 そして、後ろ手にトンとリベリカの身体を押してきた。


「下がって」


 ストレスのあまり平衡感覚がおかしくなっているのか、やけにフワフワと感じる地面の上を一歩二歩と後退する。

 パカマラも従者に抱えられるようにして後ろに下がっていく。


 純白の防具に身を包んだ少女は太刀を正面に構えたまま賢狼獣クルークウルフから視線を外さずにゆっくりと後ろに足を引いていく。


 目を閉じる一瞬でも気を抜けば、全員もろとも八つ裂きにされてしまいそうだ。

 身を引き裂くような緊張感でリベリカの鼓動はどんどん加速する。

 

 リベリカの背中にゴツンと岩肌がぶつかった。


「もう後ろは……」


「わかってる。あとはじっとしてて」


 冷静に、淡々とアリーシャが言う。


 今や完全に逃げ場を失って壁際に追い込まれてしまった。

 ここから何ができると言うのだ。

 彼女はいったい何を考えているんだ。


 クルークウルフが脚を一歩踏み出す。

 そのたびに一縷いちるの望みが絶望の色に変わっていく。



 ついにその時が来た。

 クルークウルフが前脚に力をためるように前傾姿勢をとる。

 前に突撃する予備動作だ。

 あと数秒後には、4人まとめて壁との間に押しつぶされてしまう。



 クルークウルフが脚を蹴りだした。

 土が抉れ、砂埃が巻き上がり、地面が揺れる。


 この至近距離でこの巨体を避ける術はない。

 リベリカは震える手で盾を前に突き出し、絶望の淵に沈みながらまぶたを下ろす。


 ――その視界の端で金色こんじきの風が吹き抜けた。


 ブロンドの髪が風になびいている。

 太刀を携えた純白の少女が頭上を越す強大な狼に向かっていく。

 真正面から向かい合う少女とモンスター。

 賢狼獣クルークウルフが口を開け、禍々しい牙が彼女の身体に襲い掛かる。


 しかし、その牙がんだのは虚空だった。

 賢狼獣クルークウルフの頭が彼女に届く寸前、直下の地面が砂埃すなぼこりを上げて爆発――いや違う。


「落とし穴ッ⁉」


 先ほどまでリベリカが立っていた位置に仕掛けてあった落とし穴が作動したのだ。

 地面に大きな穴が開き、賢狼獣クルークウルフの体躯が地中に埋まる。


「タイミングばっちり!」


 アリーシャが走る勢いのままタンッと大地を蹴って跳び上がった。

 地面に打ち付けられた賢狼獣クルークウルフの頭。

 その鼻面を踏みつけて、もう一段高く跳ぶ。



 純白の狩人が天に舞い上がる。

 ――それはまるでそらに咲き誇る白ユリのようだった。



 空中で水平に構えられた太刀が陽の光を浴びてひらめく。

 次の瞬間、垂直方向に降下。

 重力に任せて身体ごと刃を振り下ろし、賢狼獣クルークウルフの首筋を確実に斬り込む。


 たった一太刀。時間にしてわずか数秒。

 それだけでアリーシャは賢狼獣クルークウルフの息の根を止めた。



「アリーシャさん、あなた、いったい……」


 驚愕だった。

 リベリカは口を開けるも言葉が続かない。


 このモンスターはギルドが総力を上げて挑むほど危険視されている大型獣だったのだ。

 それを彼女はたった一撃で仕留めてしまった。

 否、より正確に言うと、彼女は最初から"一撃で仕留めるつもり"で立ち回っていたのだ。


 賢狼獣クルークウルフが掛かった落とし穴は、あらかじめ設置された狩猟器具によるもの。


 つまり、彼女は賢狼獣クルークウルフがここへ来ることを最初から分かっていて、この時、この場所、この方法でヤツを仕留めるために事前に罠を仕掛けていたのだ。


 こんな所業はもう"才能"だけでは語れない。

 いったいどれほど経験を積めばこうなれるというのか。

 

 リベリカの瞳に映るアリーシャの背中は、もはや現実味を失って幻のようでもあった。


 アリーシャはゆっくりと太刀を鞘に納めてこちらを振り返る。


「ごめん、やっぱりヤッちゃった」


 いたずらっぽく言うと、アリーシャは舌をペロっと出して笑った。

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