第六楽章 全ての運命は耐えることで克服されるのか

 ウィータエはあれから二週間眠り続けていた。

「ん゛……」

「ウィータエ!」

 漸く目を覚ました頃には全身に襲いかかる激痛と、脳裏を駆け巡る悪夢でウィータエは起き上がることすら出来なかった。

「カルペディエム……生きておるんじゃな」

「はい、生きています。ごめんなさい、どうせ死んでもまた生き返ると思い飛び出しました。だってウィータエの腕が飛んだ時、私は怖かったのです。いくら傷が治る体質と言われても……私には……それでも……それが酷く愚かで——」

「もう良い、良いのじゃ」

 ウィータエが天井をぼんやりと見上げていると、不自然なノックの音が響く。

「嗚呼、そうか。漸く届いたんじゃな」

「何をですか?」

「外に出て受け取ってこい。わしは体調が良くないとだけ伝えれば理解するよ。古い友人だからな」

 その言葉通りにしてウィータエのところに戻ってきたカルペディエムは大きな箱を抱えていた。

「これは?」

「開けてみろ」

 箱を開ければ誰かの日記が数冊出てきた。そして美しくけれども開け口のない小さな宝石箱が現れる。

 それはウィータエが友人に頼んでおいたものだった。

 カルペディエムが祝福を受けている時に気になっていたことを友人に調べてもらい、可能ならばと日記の写本を届けてもらったのである。

「わしにはその宝石箱だけで良い」

 そう告げればカルペディエムは素直に手渡す。それをウィータエは慈しんで撫でた。

「それはな、ベアトリーチェ・ヴェネラヴィレス・イン・ポーポーロ。ポーポーロの女当主であり、盟主であった女の日記じゃ」

 その名前にカルペディエムは手を震わせ、涙を堪えるように唇を噛む。

「ベアトリーチェに一度、会ったことがある。最愛の息子を失い、苦しんでいるのに生きている、それが気になったんじゃ。その最愛の息子、カルぺディエムとはお前じゃな?」

「はい、そうです」

「わしはベアトリーチェの言っていたことを思い出し、お前は猫から精霊のような何かになっていったのではないかと考えていた。故にベアトリーチェの日記と、彼女に渡したカケラを友人に引き取りに行ってもらった。友人はそちらの界隈で顔が広いからな」

 ウィータエは手を伸ばそうとして、痛みに顔を顰めた。

——魔法を使うのはあれからやめていたのにな。

 それくらいにウィータエにとってカルペディエムは大切な存在になっていた。

 そして宝石箱を指を切って血を垂らして開けて、中のカケラを見つめる。

——あと、一つ。

 ゆっくりとカルペディエムを見遣れば、日記を食い入るように読んでいた。

「字が読めるのだな」

「これでも長生きな猫ですから……と言えば容易いですがママの孫娘の方の授業に同行させてもらい憶えただけです」

「そうか。ゆっくり読むと良い」

 その背中を見つめながらウィータエは悪夢に誘われるまま、目を閉じた。


*<=>*<=>*


「ふぅ……」

 目を開けると胸の上で猫の姿に戻ったカルペディエムが丸くなって寝ていた。

「母親の日記は読めたか?」

「ええ、ママは幸福に人生を終えられたのだと知り安心しました」

「そうか」

 幸せそうに喉を鳴らす猫のカルペディエム。

 九度の猫とは魔女の中では有名な話だ。そして魔女と親しい吸血鬼も知っている。

 九回死ぬまで死ねない猫。故に魔女狩りの発端になってしまった種族。

——八回、か。ならば早めに終わらせねばな。

「のぅ、カルペディエム。わしに聞きたいことはあるか?」

「有りますけど聞きません。だって話したくなさそうですから」

 そう微笑む姿にウィータエの胸が痛んだ。

 深呼吸をして、瞳を伏せる。

「わしはな、妹が居たんだ。勿論、血が繋がっているわけではない。ただ路地裏で拾った子供だ。それでもわしを姉として慕う姿にわしは人間というものを愛おしく思うようになっていった。そしてわしは妹に感情と生活、そして……自然を楽しむことを教わった」

「その妹さんは……」

「殺されたよ。わしが吸血鬼だと気付いた人間によって、わしの居ぬ間に教会に誘拐され、教会の前で焼き殺された。わしが駆け付けた時には黒焦げた妹が磔にされていた」

 ウィータエは脳裏に直ぐに思い起こせるあの光景を、反芻する。

「……わしはあの日の痛みを今でも憶えている。人間共を殺さぬようにしながら魔法で散らし、妹の亡骸を抱きしめて家に帰ったあの日の苦痛を今でも、直ぐに思い出せる」

 吸血鬼は涙が出る体質ではない。だからこそ、傷跡のように感情が痛むのだ。ウィータエは握り締めた手を、己の温度のない手を恨むように力を込める。

「カルペディエム、わしはその後に天使を殺した。理由は未だ教えられぬ。わしは未だ……未だ……辿り着けていないのだ」

 神の言う贖罪をウィータエには未だ理解出来ていなかった。何が神にとって赦しになるのか解らないのだ。

 そしてそれこそが吸血鬼である証拠でもあり、人間になれない所以でもあった。

 それでも、カルペディエムの教えてくれた手掛かりのお陰で、確かに罪を認めていた。

 そんなウィータエの手を、温かなカルペディエム手が解く。

「血が出てますよ」

「構わぬ、どうせ直ぐに消える」

「それでも私には痛そうに見えて、辛いのでやめてほしいのです」

 ウィータエが見つめれば、カルペディエムは涙を流していた。

 少しだけ長生きな猫、けれどもきっと人間と変わりない。

 それくらいにカルペディエムは人に愛されて育ち、人の側で生きたのたのだ。

「ベアトリーチェは良い息子を持ったな」

「そうでしょうか?」

「嗚呼」

 ウィータエのその一言にすら表情を変え、そしてカルペディエムの頭を撫でている手に頬を擦り寄せるその姿に面影を重ねてしまう。

「ウィータエ、貴方の旅に最後まで私を連れて行ってくださいね。そしてその時になったら……全て吐き出して泣いてください」

 その言葉の温かさにウィータエはゆっくりと微笑んだ。

——今宵見る悪夢が温かで幸福なものに感じそうじゃ。

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