第五楽章 One Sin and One of Good Deeds

 ウィータエは冠の王国の辺境に来ていた。五年前、平民の発起による革命戦争の被害が大きかった場所だ。

 その所為か土地は荒れ果て、草一つない。

「こんな場所にあるんですか?」

「この先には確か孤児院があった筈じゃ。貴族だった子たちのな」

 二人が住む花園の国は未だに王政であり、階級制度も残っている。しかし、冠の国はそれが崩れ去り反発した貴族達は殆どが死に絶えたという。

——そして、残された子供はこの辺境の地で、平等社会思想になる為の教育と称して隔離されておる。冷めやらぬ鬱憤を晴らす為だけに。人間とは昔から変わらぬのぅ。

 暫く歩けば大きな塀が見えて来た。

 一つ例えるならば監獄のように大きく高い、だろう。

「この中に有るんですか?」

「嫌な予感がするのぅ。妙に静かじゃ。カルペディエム、外で待っておれ。わしが偵察してくる」

「しかし——」

「待っていろ」

「はい」

 ウィータエは翼を広げて、空へと浮かぶ。

「なん……じゃ……」

 視界に入ったのは無惨に切り刻まれた恐らく大人の男だ。一目で死んでいるとわかるほどに酷いその状態を見つめていると、孤児院の中から大きな魔力の気配を感じた。

バリンッ

 窓が割れ、暴風が周囲を覆う。

 ウィータエは急いで窓から建物へと飛び込んだ。

「適合出来てしまったのか……」

 建物の中は死体だらけだった。切り刻まれた様子と中を吹き荒れる暴風に、風の魔法によるものだとウィータエは頷く。

 その強さはビリビリとウィータエの肌を引き裂いていた。

「さて……本体は何処じゃ」

 暴風の始まる場所へとゆっくりと辿りながら歩む。

 血の匂いが強い玄関ホールにその暴風の根源は居た。

「ああ、お父様! わたくしを見てくださいまし、これから愚かな平民共へ復讐してみせますわ。この高貴な貴族であるわたくしこそが正しいのだと証明してみせます。そしてわたくしのように高貴な貴族がいない国など、破滅を辿ることしかないと理解させてみせますわ」

 ホールの中央で栗毛の少女が叫んでいた。

 辺り一面には血が吹き飛び、人は人ではない姿へと変わり果て、そして暴風によって古びた建物はいつ壊れてもおかしくないようなほどの状態になっていた。

「わしの宝石を飲み込み、適合出来るほどの魔女の才能のある娘よ……望みはなんじゃ」

 破れ掛けたドレスの裾を摘み、階段をゆっくりと降りながらウィータエは少女を睨む。

「わたくしの望みは立場の解っていない平民に、わたくしのような完璧な淑女であり、正式な青い血の貴族が必要であること解らせることよ」

「そうか、それで……この惨状か」

 吸血鬼にとって人は糧であり、ただの食糧でしかない。例え何万と死に絶えようと、争いで大地が赤く染まろうと気にしない種族だ。

 けれども長い時を生きるウィータエには——否、共に人間と生きたこともある程に長い時間を経験したウィータエには、僅かばかり躊躇いといたみを抱くようになっていた。

 だからこそ、この惨状を嘆い憂いていた。

——わしのカケラさえなければ幼い娘がこのように手を赤く染めることなどなかったのか……それとも……。

 十三かそこらの少女の服が返り血で真っ赤に染まるほどの魔法を手に入れられた根源は、ウィータエのカケラだ。

——きっとカルペディエムならこの状況を憂い、嘆くであろう。あの話は無駄ではなかった。確かにそうじゃ、わしが最も大切なものに置き換えて考えれば……わしがどれだけ罪深いかよくわかる。ああ、置き換えて考えれば良いだけだったのじゃ。

 瞳を伏せて、ウィータエは溜息を零す。

「わしにも解る。人を数多あまた、殺したい程の憎しみを抱いたからこそ、こうしてしまいたいと望むことは解る」

 少女はウィータエの存在に魔法を止めて、じっと観察していた。

 そして二人は真正面で対峙する。

「しかし、争いは結局争いしか生まぬ。少女よ、今ならば戻れる。今ならば——」

「黙りなさい!」

 ゴウッと暴風がウィータエを襲い、皮膚を切り裂いた。

 その魔法のあまりの強さに、ウィータエは足を踏み込み少女を睨む。

「我が友なら其方そなたのように才能があるものを歓迎してくれたというのに……」

 そうして憂いながら少女を止めるべく手を動かそうとした瞬間——。

ザシュッ

 ウィータエの右手が切り取られ、吹き飛ばされた。

 目を見開き、ウィータエは少女を見つめる。

「かっかっかっ、吸血鬼の腕を吹き飛ばせるくらい強い魔法なのか! 面白いのう……全力で——」

ゴオオオッ

 まるで竜巻のように風が吹き荒れ、ウィータエを襲う。

 繊細な刃のような風はあっという間にウィータエを血に染めた。

——ふぅむ、吸血鬼だから直ぐに治るが流石にこれは時間がかかりそうじゃのう。

 魔法をコントロールするすべに気付いたのか、少女は一直線にウィータエの首を目掛けて風を飛ばしてきた。

 ウィータエはそれを面白げに笑みながら受け止めようと微動だにしない。

ザクッ

 瞬間——咄嗟に飛び出してきた三毛猫の首を風の魔法が切り裂いた。

「は?」

 その三毛猫はカルペディエムだった。

 ウィータエを守ろうと飛び出してしまったのだろう。

 血に塗れ、首の飛んだその姿は一目で助からないと解る程に酷い状態だった。

「カルペディエム……?」

 ウィータエは悲しげに顔を歪めて、温度を失っていく体を抱きしめた。

「何故わしを守った」

 カルペディエムは答えない。

 どれだけ待っても、何も声がない。

 それもそうだ。

 彼は猫なのだから当然のことだ。

 それでもウィータエの中では、受け止められなかった。

 暖かな鼓動も、甘い声も何もない。

 その鼓動を聞いて眠ることはもう出来ないのだろう。

 その鼓動でワルツを踊れたなら、きっとそうしていただろう。

「それくらいにカルペディエムの音色は心地が良いものだったのだぞ」

 吸血鬼に涙は出ない。

 それでもウィータエは唇を噛んで血だらけの三毛猫の額に口付けて、涙を伝える。

 悲しみすら押し流すような暴風の如き魔法は止まず、ウィータエの身体中に傷が増えていき此処が戦場なのだと思い出した。

「嗚呼、何故じゃ」

 咄嗟に体が動くというものなのだろう。

 吸血鬼には永遠に理解が出来ぬ、衝動的な感情を持つものの愚行。

 その愚行を予想することが出来なかった。

 どうせ攻撃を受けて傷付いても直ぐに治る体を持つからこそ、攻撃を避けず防御魔法を持つ魔道具すら作らなかった。寧ろ傷だらけになることを楽しんでいた。

 それが生み出した結果がこれだ。

「あぁ、ああ!」

 ウィータエは叫びながら、狂ったように攻撃してくる少女を見つめた。

「お前が望むものは永遠なる破滅だったな」

「ちがうわ! 貴族に逆らう平民への復讐よ!」

「嗚呼、そうか。ならば教えてやろう。復讐とはどういうものか」

 ウィータエの青い瞳が炎を宿したように光出す。

「月は静かに我らを見つめる。望むものに光を差し出す為に。夜は静かに包容する。我ら眷属が糧を得られるように。我、此処に魔力を解放す。主よ、我の歌に応え給え。Tse aela atcaj」

 普段ならば使わぬ詠唱をウィータエは歌う。

 真っ赤な爪先で少女を指差した。

バリバリバリ

 引き裂くような轟音が響き、少女の体からモノクロの薔薇が転がり落ちた。そうして少女の全身を鼠が包む。

「きゃあああああああッ」

 おびただしい量の鼠に襲われて、少女の姿は見えなくなった。

「お前は六ヶ月掛けて鼠に全身を食われて死ぬだろう。痛みで気絶することすら叶わず、神に祈ろうとも届かずにな。安心しろ、苦痛というものに慣れることはない。永遠の絶望を与えてやる」

 ボタボタと口から血が溢れ、体の中身がぐちゃぐちゃになっていくのをウィータエは感じていた。

「あの程度の魔法で……此処までとはな……」

 倒れ込みそうになるのを必死にこらえ、ウィータエは直ぐに血だらけのカルペディエムを抱きしめて、カケラを鞄に仕舞う。

 そして建物を飛び出し、翼を広げた。

 風の魔道具で速度を上げながら花園の国へと、ウィータエが知る限り最高の治癒魔法を使えるもののところへと、飛んでいった。


*<=>*<=>*


薔薇獄乙女リング・オ・ローゼス、治しておくれ」

 叩き割るように彼女の家に入ったウィータエは、抱きしめたカルペディエムを見せる。

「……何百年ぶりか。あんた変わったねぇ。あたしはもうあんたとは友達ではない。あんたは——」

「わかっておる。わかっておるのじゃ」

「あのなぁ……その猫は死んでるよ。あたしにはもう無理だ。死は覆せない」

 ウィータエは喉から声を絞りながらしゃがみ込む。

「せめて首は繋げてやるよ。そんなんじゃ、柩の中でも痛むだろうからね」

 そうして薔薇獄乙女リング・オ・ローゼスが魔法を使おうとした瞬間——光がカルペディエムを覆う。

 そして血だらけの毛並みはそのままだが首が治り、再び起き上がった。

「ああ、これで八度目ですね。ところで此処は?」

 ウィータエはカルペディエムを勢い良く抱きしめて、その鼓動に耳を傾ける。

「嗚呼……」

「ウィータエ、ごめんなさい。咄嗟に飛び出してしまいました。ウィータエがこれ以上傷付くのを見たくなくて、つい——」

「そんなことは良い、そんなことは良いのじゃ。嗚呼……」

「驚いたねぇ、あんた九度の猫か」

 首を傾げるカルペディエムに、薔薇獄乙女リング・オ・ローゼスは腕を組む。

「猫にはね、九回まで生き返ることが出来る種族がいるんだ。大昔の魔女狩りでみな死に絶えたと思ったが……まさか生き残りを見つけるとはね」

「確かに私は今迄七回、今回で八回死んでもこうして生き返りました」

「それが当たり前だと思わないことだよ。そして大馬鹿猫、あのアエテルナエが泣くほどに大事にしてるんだ。猫は死にやすい、行動に気を付けろ。見ろ、アエテルナエの顔を」

 カルペディエムを腕の中に抱きしめて、ウィータエは気絶していた。その顔は悲しみと恐怖に歪んでいた。

 ズキリとカルペディエムの胸の中には重く痛くのしかかる。

 その顔は彼にとってママを思い起こすには充分で、罪深さを理解した。

「ウィータエ、ごめんなさい」

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