彼女からの手紙
第17話 そうですか。
お手紙ありがとうございます。
私は、これまであなたにはたくさんの思い出をいただきました。しかし、これで良かったのだと思います。全てが解決して、今は特に悲しい思いや辛い思いはしていません。
出会いたての頃は、言葉を話せず他の方と意思疎通を取る事が大変でした。手話を使えば、と何度も考えましたが、どう考えても意味がないと思ってしまったのです。だって、手話を使っても会社で分かる人なんていないでしょ。実際、怜士さんだって何も分かっていなかったんだから。
でも、あなたと出会えて嬉しかった。
言葉を発することが出来なくなった私は、社会復帰したのはいいけど意思疎通が出来なくて、自分で言うのも変ですけど仕事が出来る方なのですが、上手くやり取り出来なくて上村さんに怒られてばかりでした。
でも、周りの人はとても優しくて話せないからといじめられることはなく、むしろ向こうから積極的に助けてくれました。私は、とても嬉しくて周りの足を引っ張ってしまってばかりだと思いますが、頑張ってみんなのためにと仕事が出来ました。
それに、頑張って仕事をしていたらあなたと出会えた。上村さんからの仕事を残業をしてまで早めに終わらせようとしていた時、暗闇に光るもうひとつのデスクがあって、私よりも素早いタイピングの音が聞こえてきました。
そういえば、私と同じように上村からたくさんの仕事を任されている。いや、強制的にやらされている人がいたなと思い出しました。
私以外にも頑張っている人がいる、そう思うとなんだかやる気が出てきました。眠気に負けないようにコーヒーを作りに給湯室へ、明かりをつけては邪魔をしてしまうと暗闇の中を進んで、ポットに水を入れて沸かし始めました。
水は温度が上がるにつれてふつふつと音を立て始めた時、ふとコーヒーの粉を用意し忘れていることに気がつきました。暗闇の中、棚の中を探すのは難しいと思い、やむを得なく携帯の明かりをつけることにしました。
手のひらで明かりを抑えつつ、給湯室の棚の中を探していました。すると、扉の方から物音がしました。近づいてみたら、突然あなたの顔があって私は驚いてしまいました。その時の怜士さんときたら、大きな悲鳴をあげて尻もちをついていたよね。私も腰が抜けて座り込んでしまった。幽霊だと言われた時は、そんなに影が薄いんだと思いました。
別に怒ってはいませんよ。声が出なかったから余計にそう実感させられたというか、仕方がないことなんだと思います。
それから障害者雇用の理由を教えてからは、交換日記のようにお互いメールを送りあって会話するのがとても楽しかった。デスクとデスクの距離は遠いけれど、直接あなたと話をしているようで誰にも深くまで相手をされない私にとっては、特別な時間でした。
他の社員の方からは、優しくしてもらうことがたくさんあって、助けてもらうこともあって嬉しかったのだけど、あなたのように私のことを深く知ろうとする人はいなくて。
それに、あなたの笑顔を見る度に鼓動が激しくなったから、あなたに恋をしてしまったのだとすぐに気が付きました。
数日経って、あなたからのお誘いが届いた時は夜も眠れないほど嬉しかった。こんな私でいいのかと自信がなかったのだけど、あなたに返信した「はい」という二文字は、これまでにない勇気が必要だった。
あなたが誘わなかったら、私は友達にすらなれなかったと思う。
だってあなたは私にとって・・・・・・。
いえ、これを書いてしまうと事の顛末がすぐに分かってしまう。まだ伝えられません。
あなたとは、何度もデートを重ねましたね。初めてのデートは動物園、緊張でちゃんと眠ることが出来ず待ち合わせ場所に向かいました。怜士さんも眠れなかったと言って、仕事の疲れも残っているせいで欠伸を何回もしていましたね。私もしていました。
退屈なデートではない。そう分かっていて、むしろ欠伸が出てしまうほど居心地が良いのだと思いました。だって退屈なデートだったら、用事が済めば帰りたくなるでしょ? でも、お互いに動物園を出たあとに。
「もう少し一緒にいませんか」
「もう少し一緒にいたいです」
なんて恥ずかしい台詞、出てくるわけないもの。怜士さんから言ってくれた時は、良かった楽しんでもらえていると嬉しかった。私は、初めてのデートは心配で仕方がなかったから。声も出ない、手話も出来ない相手と一緒にいると気を使ってばかりで疲れるに決まってる。
だけど、あなたは違った。呆れた表情も、つまらなそうな表情もしない。ただ、嬉しそうで楽しそうな表情をみせてくれる。だから、安心しました。
それからのデートは楽しくて、二人で映画を見に行った時、海外のホラー映画で怜士さんが驚きのあまり、膝に置いていたポップコーンを宙に浮かせていたのをお腹を抱えて笑いました。
水族館に行った帰りに、怜士さんが予約したという魚料理のお店で、怜士さんはテーブルに運ばれた料理に手をつけず、黙って見つめ続けていたのを覚えています。食べないの、と聞くと、さっきまで泳いでいたものだと思うと食べづらい、と苦笑いしていたのも覚えています。
美術館では、全く知らないくせにどれも知っているような口調で評論家になっていたあなたは、とても面白かったです。
幸せを感じる日々に、私はあなたとの未来を想像していました。容姿も淡麗でなく、性格もいいわけでないし、それに、話すことが出来ない。悪い所だらけの私を受け入れてくれるかどうか、考えるだけで心にヒビが入るようなズキッとした痛みがありました。
次第に考えは変わってきて、このまま二人の関係が進展しないならその方がいい。そうすれば、私と怜士さんはいつまでも仲良しのままで過ごしていける。
友達以上恋人未満とはよく言いますが、私にはその関係性が一番いいのではないかと思いました。
だけど、怜士さんは植物園で色々な花を見ている時に言ってくれました。
「僕とお付き合いしてくれませんか?」
正直、自分の耳を疑いました。付き合う、その言葉の意味を頭の中の辞書で検索しました。すると、またデートに誘うために言ってくれたのだと思ったのですが、それだと口にする言葉は違ってきます。
告白、そう気付いたのは、怜士さんの頬が赤くなっていたからです。もう十回もデートしているのに、今さらデートに誘うのが恥ずかしいなんて思えませんから。
私は、諦めて目を背けていた、あなたとの未来がはっきりと見えました。こんな私で良いのかと不安でいっぱいでしたが、私は告白された時、嬉しくて二つ返事でお付き合いを承諾しました。
その時、ちょうど目に入った丸くふっくらとしていて、トゲのあるサボテンの花言葉を思い出しました。枯れない愛、これからの二人にとてもぴったりだと思いました。
付き合ってすぐにそんなことを思うなんて、重たく面倒な女だと思われるかもしれませんが、恋人同士になれた私はその先の未来が楽しみで胸が張り裂けそうでした。それくらい、あなたのことを思っていたのです。
全てが分かっていたとしても───。
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