第15話 居心地の良さ

「犯人は警察が探してくれてるっぽいけど、未だに捕まってないんだって」


「そうか・・・・・・特徴とかは? 何か犯人に繋がるものはないのか?」


「いーや、全く分からないっぽいよ。聞いたところで里見には何も出来ないでしょ。だって、出会った頃からそこまで強いわけじゃないし、セックスした時もうちより先に終わっちゃったし」


「それとこれとは別の話だろ」


 でも、川俣のおかげで湧き上がってきた謎の高揚感はあっけなく落ち着いて、冷静を取り戻したっていう感じかな。同時に罪悪感が生まれたし。

 どうしてあの時、奏太が刺されていたことに気付かなかったんだろう。僕が飲み過ぎていなければ、奏太はあんなことにならずに済んだはずなのに。僕は自分を責めた。


「あの時、僕がしっかりしていれば奏太は死なずに済んだのかもしれないな。刺されていたことに気付いて、病院に連れて行って治療をしてもらっていれば、今この場に奏太の姿があったかもしれない。もしくは、刺される前に止めることも出来たのかもしれない」


 感情がぐっちゃぐちゃだ。怒りを感じて殺意が湧いて、川俣のおかげで落ち着いたと思ったら罪悪感が苛まれて感情は地の底。なんて面倒な生き物なんだ僕は。

 おまけに涙も出てきた。

 情けない、情けなくて腹が立つ。

 そんな情けない僕を、川俣は柄にもなく優しく包み込んでくれた。大丈夫、大丈夫と母親のように慰めてくれた。ああ、なんて心地よいのだろう、僕は彼女を抱き締め返し我慢していたものを瞳から流し続けた。


 一時間くらいだろうか、体感ではそのくらい。泣き止んで彼女の瞳と視線が合うと、次の瞬間、唇に柔らかなものが当たっていた。彼女の顔がぼやけるほど距離が近くて、キスをされていることに気付いたのは、彼女が離れて顔がはっきり見えた時だった。


「川俣、酔ってるのか?」


 彼女は首を振る。


「うち、前から里見のことが好きだったんだよ。だけど、まさか里見が三峰さんと付き合うなんて思わなくて、しかも同棲もしてるなんてさ。ずっと近くにいたはずなのに、悔しいじゃん。うちは酔ってない・・・・・・これはガチ」


 僕は、呆気に取られて何も言えなかった。まさか彼女が、僕のことを好きだなんて思ってもいなかった。


「就職先も偶然だと思ってるだろうけど、違うから。うちが一緒にいたくて、同じ職場に入っただけだからね。それくらい、あんたのことが好きなんだよ」


「でも、今は付き合っている相手がいるから、川俣とはそういう間柄にはなれないよ」


「何言ってんの? うちらもうやっちゃってるじゃん。あんたは後戻り出来ないと思うんだけど」


 そう言って、彼女は服を脱いで華奢で綺麗な素肌を露わにする。


「ちょっと待ってよ、僕はそんなつもりじゃ」


 なんて口にはしていたけど、どこか期待して彼女を家に連れ込んだことは口が裂けても言えない。


「もう遅いよ・・・・・・怜士」


 欲という激流に飲み込まれたようで、一度流されてしまったらどんなに抵抗しようが戻ることが出来ない。僕は諦める、というよりか僕からその流れに乗って川俣あいかをもう一度受け入れた。

 ダメだと分かっているのに、それを良しとしてしまうその時の僕はどれだけ馬鹿だったか。今でも後悔している。だって後からあんなことになることは、誰にも予想がつかないのだから。


 日付が変わった。

 目を開けると、隣には川俣の姿がある。柔らかな毛布に包まれた彼女の素肌を目にすると、昨夜のことが走馬灯のように頭の中を駆け巡る。目をこすってカーテンを開けると、朝日が眩しくらいに部屋の中を照らす。川俣は唸り声を上げて寝返りを打つ。

 さて、朝食の準備でもしようか。

 寝起きだし、スープとか体を温めるものを作ろう。そういえば、美歌のために買っておいたトマトスープの粉末があったっけ。

 食器棚から粉末を取り出すと、ふと美歌の帰る日を思い出す。確か十二月三十日、明日だった気がする。


 確認するために携帯を見ると、美歌から通知が届いていた。

 明日、大雪で帰れないから年末一緒に過ごせない。ごめんなさい。帰るのは、三日くらいになりそう。

 そっか。こっちは平気だから、ゆっくり旅行を楽しんでおいで。お土産、楽しみにしておくね。

 何気ないやり取りだけど、彼女がこの状況を目の当たりにしたらどうなるか。僕は下着の格好で寝室には同じく下着の格好で眠っている女性がいるのだから、見られたら言い訳も出来ない。でも、居心地がいい。


 それから、僕は川俣に提案をする。美歌はまだ帰ってこないから、また、少しの間だけど一緒に過ごせないか。彼女は一つ、間をおいて縦に首を振った。

 年末年始、僕は美歌と一緒に特番を見ながら酒を飲み美味いものをつまんで、年越しそばを食べながら年をまたいで、少し仮眠を取ったあと初日の出を見るために近くの高台まで行こうと計画を立てていた。

 それが家族旅行で丸つぶれ、僕がやることとしたら酒を飲んでは映画を見て、足りなくなれば買いに行き、また酒を飲んでの繰り返し、そう考えていた。

 だが、今は一人じゃない。美歌はいないけど、川俣がいる。酒を飲んで特番を見て、年越しそばを食べたあとにお互いを求めて年をまたいでセックスをする。

 余計な気も使わない。

 声が耳に届くのだから。


「ねえ、聞こえる? 鐘の音」


 窓を締切っているせいで、微かであるけど除夜の鐘が響いていた。


「あー、うん、聞こえる。近くに寺があるから、今何回目かは分からないけどね」


「変だよね、除夜の鐘って。百八回鳴らして煩悩を消すって言うけど、消えるわけないじゃんね」


「うん、そうだね」


 実際、煩悩が消えずにいけないことをしている僕らからしたら、除夜の鐘の意味なんて関係がない。煩悩なんて消えるはずがないんだから。人は色々な言い伝えや迷信を残す。


「あれ、どうしたの? 怖い顔しちゃって。もしかして、今更になって罪悪感が溢れてきちゃったとか言うわけ? 遅すぎなんですけど」


「いや、そうじゃなくて、人って面白いなあって思ってさ」


「なんでよ、急に悟ったみたいな言い方しちゃってさ。怜士のくせして、気持ち悪いんですけど」


「うるさいわ。別に気持ち悪いって言われても、僕にダメージはないぞ。あいかの方がダメージ大きいんじゃないか? 自分で気持ち悪いって言った人間とやっちゃってるんだからさ」


「それとはこれとは別だし。気持ち悪いから、その口塞いでやる」


 川俣が上に乗り、僕の口に柔らかな唇をつけ舌を入れる。とろけるようなこの時間が、男としては最高に気分がいい。


 「サボテン」、花言葉は「枯れない愛」、棘があって触るにも一苦労な植物なのに、熱情的な花言葉があることは知らなかった。調べてみると、ほとんどのサボテンはそういった熱情的で前向きな花言葉しかない。みずみずしいサボテンは、砂漠では水分補給も出来る素晴らしい植物だと聞いたことがある。いわゆるちょっとしたオアシスか。

 孤独を潤す可憐な花、刺々しく無愛想な花、枯れない愛と言うけれど僕には似合わない花だ。


 実は、僕も花言葉を調べたことがある。美歌より知っている数は少ないんだけど、僕にぴったりの花言葉を知っているんだ。

 カルミアという花だよ。白く可愛らしい花だけど、毒があって口にしてしまうと危険な花なんだ。

 どういう意味かって? 裏切り、だよ。

 だから散々言っているだろ。

 僕は最低の人間だって。

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