第14話 失った日
川俣と次に顔を合わせたのは、年末最後の仕事の日だった。あの日、僕たちが海外のラブロマンスみたいに気持ちを確かめあった以来、まともに口を聞くことも目を合わせることも出来ずに、赤の他人のように振舞っていた。
仲間内で川俣と何かあったのかとよく聞かれたけれど、話せるわけがないだろ。美歌と付き合っている僕が川俣と夜を共にしたなんて、口を少しでも滑らせたもんなら僕の居場所は、この会社のどこにも存在しなくなる。
美歌は障害者雇用という形で入ってきた特別な存在、僕が美歌と付き合った以上、浮気やら不倫やらそういう話がひとつあるだけで、社会のクズとしてレッテルを貼られてしまう。
酒が入っていても、僕は覚えている。酒とは恐ろしいもので、僕と川俣の気持ちを引き出し具現化してくれた気がする。だって嫌がらずに最後まで情熱的に楽しめたのだから。だけど、川俣は翌朝、部屋から出ると俯いてごめんと言い残して走り去ってしまった。僕と美歌が付き合っているのを知っているからこそ、罪悪感が生まれたのだ。
僕もそうだ。美歌と付き合っているのに、他の女と寝てしまった。正直、罪悪感しかないのだけど、川俣といる時間がとても楽しく思えた。安心した。家に帰って誰かと声を発して話し合える喜び、気を張って相手を見守らなくてもいい安心感。
美歌は声が出せないから、何があっても呼ぶことが出来ない。だから僕は、随時、彼女の居場所を確認して怪我をしないように心がけていた。呼ばれても気付くことが出来なかったらと、僕は毎日恐ろしかったんだ。
だけど、川俣は痛い時は痛いと言うし、助けてほしい時は助けてと声が出る。付き合えば好きと言ってくれるし結婚すれば愛してると言ってくれる。言葉のキャッチボールとはこういうものだろう。
だから僕は、もう一度と思って。
「川俣、あのさ、この前はごめん」
彼女は振り返ると、僕と目を合わせてくれなかった。
「なに、忙しいんだけど。この前の話はやめてくれる。うちらは酒のせいで、変な空気になっちゃったからしちゃったわけで、別にうちの意思とか全くないから」
「うん、分かってる。分かっているから、もう一度、僕の家で飲み直さないか? 川俣に・・・・・・そう、聞きたいことがあるんだ」
上手い理由なんて思いついていないけど、どうにか引き止めようと精一杯だった。
「聞きたいこと? 別にここでも聞けるし、家に行かなくたっていいでしょ」
川俣は、怪訝そうな顔で断ろうとする。理由を考える僕がその時、ふと思い出したのは奏太の顔だった。そして、次に思いつくものをそのまま並べてみた。
「奏太のことで、聞きたいことがあってさ。ほら、この前、奏太は事故を起こす前に酒は一滴も飲んでなかったって言ってたじゃん。そのこととかさ」
苦し紛れの言い訳ではあったけど、実際、あの時から気になっていた話ではある。僕の記憶が正しければ、彼は適当にカクテルを頼んで何杯も飲んでいたはずだ。
「飲酒運転じゃないっていうなら、どうしてあんなことになってしまったのかを知りたいんだ」
すると、川俣は渋々了承してくれた。もちろん酒はなし、美味い料理を作れという二つの条件付きだけど。
仕事も終わり、川俣とそのまま僕の家に向かった。汗だくは嫌だと言う川俣に負けて風呂を貸してやったのだが、その時初めて気付いたという。僕と美歌が同居していると。きっかけは女性もののシャンプーが置いてあったことと、洗面台に歯ブラシが二つ、誰のかがわかるように名前シールが貼ってあったことだった。
僕はてっきり気付いているものだと思って、彼女の鈍感さに驚かされた。
「気が付かなかったのかよ。というか、前に来た時に言わなかったっけ? 僕が美歌と同居してるって」
「ちょっと初耳なんだけど。てことはさ、うち、二人の愛の巣でやっちゃったわけ? ただのクズ女じゃん」
「いや、あれはお酒のせいでなんというか、不可抗力というかさ」
「あんたもあんただよね。分かった上でうちとやっちゃうんだから、あんたの方がクズだったわ。サイテー」
「はいはい、とっとと風呂に入ってこないと美味い料理食わせてやらないぞ。まあそれでもいいならご自由にどうぞ」
彼女はブーイングを僕に浴びせてから、お風呂に入った。タオルを用意し忘れた僕は、半目を開けて中に入ったのだが、隙間から見えたピンク色の下着が鼓動を早くする。気を取り直して料理を作ることにした。
簡単なものを作ろう、ご飯に味噌汁は鉄則でおかずに何を作るか。こういう時はいつも美歌の好きなものを作ったっけ。唐揚げ、オムライス、ハンバーグ、お子様向け料理が大好きで太陽のような笑顔で喜んで、リスみたいに頬を膨らませて食べる。あの笑顔が僕は好きで、メニューに迷った時はそれ目当てで作っていた。
「うわっ、凄く美味そうなんだけど。里見が作ったって思うとなぜか無性に腹が立つし、見てると余計に腹が減ってきたのも腹が立つ」
そう言いつつも、好物を目の当たりにした子供のように舞い上がっているのがよく分かる。抑えているみたいだけど、瞳がきらきらしてる。
「僕の特製オムライス、今日は上手に出来たんだ。卵のふんわり感だったりチキンライスの味付けも、僕にとっては百点満点だね。でも、文句言うなら食べなくてもいいよ。僕の明日のご飯にでもするからさ」
「いやいや、食べます食べます。いただかせてください」
食い気味にくるなんて思わなかったけど、嬉しいな。美歌も毎回こんな感じだったな。
「じゃあ召し上がれ」
「いただきます」
美味しい、美味しいと口に頬張りながら向かい合って食べていると、川俣の方から話を切り出してきた。そういえば奏太のことだけど。僕は、食事の手を止めた。
「あの日、うちのとこに連絡きてさ。俺、今、怜士と飲んでるんだけどドッキリ仕掛けててさ。俺だけ酒飲まずにいたら、怜士はいつ気付くのかっていうのを仕掛けてるんだよね。ってうちも誘われたんだけど、その日は体調悪くて断ったんだよね。だから知ってたの。あの日は奏太、酒を飲んでないっていうのをね」
そんな嘘だろ。
僕は全く気付かなかった。
ドッキリだとかは関係なくとも、奏太が酒を飲んでいないという事実を隣にいたのに察することすら出来てなかった。でも、冷静に考えたら車に乗ってきている以上、運転手が酒を飲んで運転なんてして捕まってしまったら、奏太の場合は就職先の内定を失ってしまう。
奏太はそのあたりは真面目で、いつも気にして行動していた。飲み会の時も、未成年の後輩と遊ぶ時も、そういう時は真面目で他はやりたい放題。だけど、あの放火の時を除く。
だとしたら、どうして事故が起きたんだ。
僕は、水をコップ一杯一気に飲み干して彼女に問う。
「それじゃあ、あの日の事故の原因はなんなんだ。飲酒運転による事故じゃないっていうなら、何かしら理由があるはずだ。人一倍、運転が慎重な奏太が事故を起こすわけがない」
「あれ、聞いてないんだ。あの日、何が原因で事故が起きたのか。お腹、刺されてたんだって」
僕は言葉を失った。
「誰に刺されたかは分かっていないんだけど、この事実は奏太の両親と彼女にも話がいってるのかかな? うちはその時、奏太の家に忘れ物を取りに行ってたから耳にしたんだけどね」
「そんな・・・・・・嘘だろ」
「うちもショックだったし、ご両親の青ざめた顔を見た瞬間、本当の話なんだって涙が溢れて止まらなかったもん。だってこれから会うはずの人が、突然会えなくなったんだからね」
話を聞いて僕は戸惑ったんだけど、あの日を思い出してすぐに気が付いた。奏太は、僕の右側で肩を貸して歩いていた。事故の衝撃音で目覚めた僕の視界の端には、お気に入りの白シャツの右側には赤く大きなシミが出来ていたんだ。
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