第11話 やんちゃな奏太

 だるい、面倒だ、朝起きて用意されたエッグトーストとホットミルクを口にして歯を磨いてトイレにこもって、行きたくて頑張って受かった大学に通うのがとても面倒だ。そう考え始めたら卒業するための単位は落とさないように、授業の出席や宿題はしっかりやって提出して、という作業をあらかじめ頑張ってやっておけば何も気にせず大学生活を送れるのでは。

 そんな人生は甘くなかった。

 例によって僕は頭脳明晰というわけではなく、平々凡々なわけで単位をとって楽を選ぶなんて行動はできるわけがなかった。

 それに、奏太とずっとつるんでいちゃ行きたくなくても、行く理由になってしまう。


 大学には、理事長お気に入りの美術品が廊下や校庭に置かれていて、周りを見渡せばひとつは必ずそれらが目に入る。これは言い過ぎかもしれない。だけど、そのくらい彼らの存在感は強く思える。

 二時限目と三時限目の間だったか、僕が校庭のベンチで自販機で買った紙パックの牛乳をぼうっとしながら飲んでいると、急にベンチが大きく揺れた。驚いてついつい口から牛乳が飛び散ってしまう。


「うわっ、汚ぇよ怜士、口から牛乳を吹くなんて俺でもしねえぞ」


「奏太のせいだからな。奏太がベンチを後ろから飛び超えて座るから、それに驚いて吹いちゃったんだろ」


「ごめんごめん、それでさ、今日は怜士にお願いがあってさ。お願い、聞いてもらっていい?」


「なんだよ。金なら貸さないぞ」


「待て待て、俺はお前に金を借りにきたわけじゃないし借りた前科もない。お願いごとイコール借金みたいな感じで言うんじゃねえ」


「じゃあ、なんなんだよお願いごとって。僕に出来ることなら手を貸すけど、僕が無理だと思ったことは手を貸さないからな」


 大丈夫、大丈夫、と奏太は言うけど携帯で美術品をひとつ写した写真を見せてきた時、嫌な予感が頭をよぎった。次に出る言葉は決まって、「いたずらしようぜ」。やっぱりなと頭を抱える。


「いたずらって、これ理事長の私物だろ。いたずらしてバレたら、僕も奏太もただじゃ済まないぞ。手伝ったせいで、無理やり退学させられる運命は嫌だからな」


「怜士は心配性だが、そういう考えを捨てちゃわないと新たな挑戦が出来ねえってもんだ」


 何様だよ、とストローに口をつける。


「俺の作戦でいけば、絶対にバレないし退学にもならない。それに、上手くいけば大儲け出来る」


「おい、待ってくれ。大儲けって、美術品を盗んで売るってことか?」


「ううん、少し違うな。見渡せば置いてある美術品、見る度に気持ちが萎えるだろ。結果、生徒たちの勉強への熱がどんどんと冷めてしまうってこと、やる気が失われちゃここに来ている意味がなくなっちまう」


「確かに、こうして休み時間とかゆっくりしているけど、視線を感じたり高貴な女性の人を嘲笑うかのような顔を見る度に腹が立ったりする」


「だよな。そこで、俺はあの邪魔な美術品たちを少し盗んで学校裏の焼却炉で燃やしてやろうかと思うんだが、どうだ」


 どうだ、と言われてもやるわけがないだろ。僕は首を横に振った。そのあと、何度もその話を持ちかけられたけど僕は首を縦の振ることはなく、奏太は次第にそれを口にすることがなくなっていった。もういい加減懲りたのだろう。話すことはゲームや映画、あの一年の女子の胸はでかいや下着が風のせいで見えていたなどとしょうもないことばかり。

 あんな馬鹿なことはもう考えないよな、なんて思っていた矢先だった。


 大学の南棟が炎に包まれた。僕はその日、ちょうど東棟で講義を受けている時だった。校内に警報が鳴り響きスプリンクラーが作動して、お気に入りのズボンがびしょびしょにされた。急いで外に出ると南棟の一階の窓から炎が漏れていて、校舎を焼き尽くさんと風と共に踊り狂っている。場所は調理室だ。よく刑事ものの映画でこういう事故があった時、大体の原因はガス栓の閉め忘れかなにかだろう。

 消防者がやってくるまで、先生たちがどうにか火を消そうとバケツリレーをしているのだけど、初めてやるのか水を途中で盛大にぶちまけている。


 南棟の出入口付近では、少数の生徒が走って逃げていた。その中に奏太の姿もあった。僕は心配になり奏太のもとへ駆け寄ると、咳き込み辛そうに呼吸をしていた。壁を背にした空を仰いで座り込む彼は、どこか気持ち良さそうにしている。


「奏太、大丈夫か? あの中にいたのか?」


「ん、おお、怜士か。俺は何ともないけど」


「怪我がないならいいんだ。でも、どうして南棟にいたんだ? 奏太が受けている学科は南棟じゃなくて、僕と同じ東棟だろ。何か用事でもあったとか」


 すると、奏太は咳混じりに笑った。


「怜士、この前話したこと、覚えてるか? 俺はあの時からどうやってミッションを遂行させられるか考えて、考えて、考え抜いた。そして、ピンと来た。これが俺の作戦だよ、怜士」


 彼の言う、ピンと来た、僕には話をされてもそれがなかった。どういうことかと聞いてみても、見てわかるだろ、あれだよあれ、と燃える南棟を指し示すだけ。


「この前話したこと、ミッション、燃える校舎・・・・・・意味がわからないんだけど」


「察しが悪いな。大学生、それでもしっかり勉強してるのか? この前、俺はお前に美術品を減らす方法を提案して誘った。お前は断ったよな」


「ああ、美術品を焼却炉で燃やす​────!」


「そういうことだよ。やっとわかったか、怜士くん」


 この人はあの時、僕に言ったことを成し遂げたんだ。学校裏の焼却炉で理事長の美術品を燃やすなんて大それたことを、こんな大掛かりなステージをつくってまで彼は成し遂げた。その固い意思と行動力は尊敬に値する。奏太、やんちゃにも程があるぞ、とため息をつく。

 大変だった、苦労した、と自らの勇姿を奏太は語るのだが、それに混じって叫び声が鼓膜を震わせる。


 ​誰か、助けて、火傷が酷いの。​怪我人がいる、すぐに手当をしなければ。救急車、救急車はまだなのか。先生と生徒たちの緊張感が、こちらまで届いてきた。

 周りが見えなかった僕は、惨状を把握しきれていなかった。聞こえてきたそれらは、僕に全てを語っていたことにやっと気付いたのだ。突如、猛烈な怒りを感じた僕はその感情を奏太にぶつけた。

 なんてことをしたんだ、こんなにも怪我人が出ているのにどうして平気な顔で笑っていられる。

 思ったままを奏太にぶつけると、また咳混じりに笑って重たいを腰を上げると、僕の襟を掴みあげ鋭く冷たい視線を僕に突き刺した。


「なんだよ、偽善者ぶってんじゃねえよ。小心者のくせに、俺の後ろにいなきゃ何も出来ないくせに、俺のことを叱ってんじゃねえよ。見ろよ、これで南棟の一階にあった絵画は全て焼けて消えた。お前に視線を送るやつが減って良かったじゃないか。どうだ、満足だろ、引きこもり」


 次の瞬間、僕の右の拳がじんじんと痛むのがわかった。鼓動が早く一瞬にして息も絶え絶えで、血がぽたぽたと拳から垂れているのに気付いた。僕の目の前で頬を抑え倒れ込む奏太の口から、血が流れていることにも気が付いた。

 込み上げた感情が溢れて、暴力という形で飛び出してしまったのだとわかった。


 僕はここで初めて、人に暴力を奮ってしまったんだ。思い出すだけで嫌気がする。せっかく川俣と飲みに来たというのに、これじゃあ酒が不味く感じる。


「どうした、また嫌なこと思い出したの? 里見の過去は重たい話ばかりだから、しょうがないとは思うけど」


「うん、確かに嫌なことを思い出したけど、大丈夫。悪い、あともう一杯飲んでいい?」


「ちゃんと帰れるなら飲んでいいよ」


「ありがとう」


 運ばれてきたジョッキを、僕は嫌な記憶を腹の中に収めるよう一気に飲み干した。

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