第9話 相談

 これが全てだよ、里見くん。父親の話が終わる頃には、僕のはらわたが煮えくり返りそうだった。この状況をご両親は、何も出来ずにずっと耐えてきたと思うと、余計に拳を強く握っていた。


「話して頂き、ありがとうございます。僕の中で、モヤモヤとしたものが晴れた気がします。声が出なくなってしまった理由、それがストーカーのせいなのだとはっきり出来たことが何よりです」


「その言い方だと、他にも何か要因があったようにも聞こえるね」


「はい、一概には言えませんが、ストーカー以外にも、いじめや病気なんてことも考えられますから」


「まあ、念には念をと病院に足を運んでみたけど、医師には失声症と言われて、心因的なものだろうと話をもらった。そうだな。里見くんの言う通り、ストーカーやいじめではなく病気であったのならどうにか出来たのかもしれないな。心因的なものになると、それを乗り越えられない限り良くはならない。どんなに支えても、治る治らないは美歌次第だからね」


「僕は、治したいです。彼女の声を聞きたいし、直接、意思疎通を取りたいです。そのためには、原因となるものを除去しなければいけません」


 原因となる美歌を傷つけた犯人を、この手で罰しなければならない。彼女の笑顔を汚したクソ野郎を探し出して、必ず罪を償わせないといけない。絶対に許せない。

 僕の役目を父親との話で、再確認が出来た気がする。美歌の声を取り戻す。それが、僕の大事な役目だ。


「ただ、ストーカーについての詳しい情報は、ほとんどない。同じ会社に勤務していたこと、たったそれだけだ。以前の会社に、警察が事情聴取を行っていたけど、これといった手がかりを得ることが出来なかったそうだ」


「だけど、ストーカー行為は今でも続いている・・・・・・ということは、その会社にいた人物、もしくは、過去に彼女に対して好意を持っていた人物ってことですよね。範囲が広すぎて、簡単に見つからないですね」


 警察でいう証拠や証言が少なすぎて、当てはまる人物を絞ることが出来なかった。逆に言えば、身近な人物である可能性も有り得るこの状況がより怖く思えた。

 父親からもらえるストーカーの情報は、これ以上もこれ以下もなく、美歌が僕を呼びに来て話は打ち切られた。


 あれから同居をし始めて、ストーカーへの注意力もそうだが、一番は美歌への愛情が増したことが何よりだった。

 母親の家事の手伝いをしているだけあって、掃除、洗濯に関しては文句は全くない。むしろ、文句を言われたのは僕の方だった。たたみ方がなっていない、まだ端にゴミが残っている、家庭的な女性だ。

 しかし、唯一、料理だけが上手く作れなかった。食材の切り方、調味料の量、全てが大胆で食べられるものは少なかった。

 一番美味しかったのは、そうだな、オムライスだったかな。僕が料理担当になってからは、美歌をキッチンに入れることが少なく、あんまり美歌の料理を食べていない。一度考えてしまうほどに。


 ひとりきりの生活だったのが、大事な人と同居することによって部屋の色が鮮やかに変化した気がする。白黒だった毎日が、カラフルに彩られ僕の顔に笑顔がみられるようになった。全ては美歌がいるおかげだ。

 それに、同居を始めてからストーカーの嫌がらせもパタリと無くなった。

 職場でもあれ以来、特に変わった様子もなく普段通り過ごせている。原因を取り除くことはまだ出来ていないけど、何も無い平穏な毎日を過ごせているだけで僕は十分に思えた。

 このまま、彼女が声を出せなくてもいいのではないかと思った時もある。


 でも、不便を感じることが増えてきたのも嘘じゃない。

 会話を次に進めるためには、まず彼女がスケッチブックに話す内容を書き終えてからではないと進まないわけだから、その時間がもったいないと感じたことがある。

 何度か手話を一緒に覚えようと、彼女に提案したことがあったのだけど、横に首を振られてしまった。

 これについては、同期の川俣に、一度相談したこともあった。給湯室でコーヒーを準備する彼女に、ちょっといい? と声をかけた。


「どうしたの? うちに相談かなんか?」


 川俣は、どこか嬉しそうにコーヒーをすする。


「うん、相談してもいい? 美歌・・・・・・三峰さんのことなんだけど」


「あー、いいよいいよ。普通に、美歌って呼んでもらって構わないよ。二人が付き合ってるのバレバレだから」


 女性の情報収集と伝達の速さに、僕は改めて感心した。


「そ、そうなのか。美歌は、しっかり言葉を交わせないだろ? だから、一緒に手話を覚えて会話をスムーズに出来ないかって考えているんだ」


「え、私と?」


「ごめん、違う違う。美歌に、提案してみたんだけど、全然やろうとしなくて。どうにかならないかな」


「どうにかって言ってもねえ。第一、なんでうちに相談なの」


「いや、それは、身近で話しやすいのは川俣だし、女性の意見を聞いてみたかったから。ほら、強制すると女性は嫌がるだろ。だから、他に何か方法がないかなって思ってさ」


 多少、濁しながら鼻の頭を触って、恥ずかしさを誤魔化す。僕が川俣に頼み事なんてしたのは今回が初めてで、いつもお願いは聞く側だった。だから少し恥ずかしい。

 川俣は、ちょっと驚いた顔をしてため息をつく。そして、コーヒーを一気に飲み切ると、彼女は機嫌が良さそうに、じゃあ飲みに行こう、と誘ってくれた。


 その日、僕は美歌に嘘をついて、川俣と飲みに出かけた。


 あれだけひとりにしたくないと思っていたのに、ストーカーからの嫌がらせが無くなってからは、そういう所がだらしなくなる。それに、残業で遅くなるなんて、浮気の常套句を使うことになるとは思わなかった。


 仕事終わり、美歌が退社する姿を見送ってから、僕は川俣と近くの隠れ居酒屋で話をした。酒は要らないと言ったのに、久しぶりだからとビールを二杯注文し、つまみに焼き鳥と枝豆、冷奴を注文した。サラリーマンの疲れた体によく合う組み合わせだ。

 活きのいいお兄さんが、ジョッキを運んでくると「カップルですか? ごゆっくり」と茶化して戻っていった。


「うちらって、他人から見るとカップルに見えるの? あんたとカップルとか、ウケるんですけど」


「こっちだって迷惑だよ。それで、仕事中に話したことなんだけど」


 と聞いてる傍から、彼女はビールを一気に半分ほど飲み干した。ジョッキを置いて、美味い、と一言漏らす。


「おい聞いているのか? 僕は飲みに来たわけじゃない、相談しに来たんだよ」


「分かってる、分かってる、どうやって手話をやってもらうかでしょ? 考えても思いつかないんだよねー。てかさ、里見からうちに相談とか珍しくね。超嬉しいんですけど」


「川俣に相談するほど、僕はその頃、大学生活に困ることがなかったからね。単位とかも平気だったし」


「はいはい、そうですね。でも、あんたみたいな陰キャと一緒にいたのは、中々楽しかったよ。大学じゃあ、うちみたいの浮いてて誰も近づいてこないし。あんたくらいだよ、ギリギリのうちにノート貸してくれたり、勉強教えてくれたり。あんたがいなかったら、卒業出来なかったもん」


「そりゃどうも」


 実をいうと、僕は大学の頃、彼女に惚れていた。理由は単純で、他と違って見えたからだった。それに、容姿も性格も悪いわけじゃない。でも、内気な僕から声をかけたのでなく、そういうきっかけをつくってくれたのも、奏太だった。

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