第8話 失声

「同居・・・・・・美歌の状態は知っているね」


「はい、承知の上です」


「どうして、君は同居をしたいと思ったんだ? 結婚をするわけでもないし、まだそういうことはしなくていいだろう」


「確かに、そうかもしれませんが、僕は彼女をより近くで守りたいんです。えっと、その、上手くは言えないんですが」


 どうにか父親の質問に答えていく僕だったけど、緊張の糸は張り詰めたままで段々と頭の中が真っ白になってきてしまう。


「近くで守るなら、ここでも十分守れる。存じないが、君の家よりかは美歌も安心して暮らせるだろう。俺の役職上、強い人間が何人もいるからな」


 一体、どんな仕事をしている。警護をつけないといけない程の役職って? と聞く前に父親は、どんな仕事とはいえないけどな、と先手を打たれてしまった。

 安全性でいえば、ここに及ばないのは分かった。確かに、こっちに来るより彼女の身は守られると思う。

 それよりも、僕は彼女との時間の方が恋しくて、断られるのを承知の上で来ている。はっきりそう言うのが恥ずかしく思えて、守りたいなどと男らしいことを口走ってしまった。


 言い負かせれ、俯く僕の隣で、美歌が突然テーブルの上にスケッチブックを叩きつけた。

 この時、僕はとても驚いて緊張の糸が一瞬にして解けて、君の想いが知れたことをとても嬉しく思えた。


〈私は、家を出て、怜士くんと同じ屋根の下で思い出を作りたい!〉


 すごく嬉しかったよ。僕の気持ちを代わりに伝えてくれた気がしたし、君からそう伝えてくれるなんて、自分の勇気のなさにイラついたくらいだ。

 父親は、それを見ては立ち上がると、頭を深く下げた。僕もわけも分からず立ち上がり、頭を深く下げた。


 よろしくお願いします。


 父親のその言葉に、何故か涙が溢れだしそうだった。頭を下げているせいか、余計に我慢がしづらい。充血した眼をみて、美歌は大丈夫かと心配してくれた。

 これで、二人の時間が増える。人生でこんなに嬉しいことはなかった。


「娘をお願いする上で、色々と話があるのだけどいいかな?」


「はい、分かりました」


「美歌、母さんにも挨拶をしてきなさい。とても楽しみに待っていたんだ。今、キッチンで夕飯の下ごしらえをしている途中だから、手伝ってあげなさい」


 美歌は、僕の裾を掴んだ。


「大丈夫、里見くんを取って食ったりしないから」


 また緊張してきて、美歌には行って欲しくないと眼で合図をしたはずだけど、僕の顔を見るなり一度頷いて部屋をあとにしてしまった。心の中で大きなため息をつく。


「里見くん、守るって話なんだけど、美歌から聞いているってことでいいかな?」


 と確認を取ったあと続け様に、父親は「ストーカー」という言葉を発した。彼が座ると、それに続いて改めて座椅子に腰をかける。


「知っている、ということでよろしいですか?」


「ああ、乱暴をされて帰ってきた時は、さすがに殺意が湧いたがな」


 ふと、過去の過ちが頭をよぎった。


「そ、そうだったんですね。僕も、彼女からはストーカーについて深くは聞いておりませんが、彼氏だからとは言いません。守りたいから、同居の許しを得に来たんです」


「それはとても勇気がいる話になるが、里見くんは・・・・・・その勇気があるとみた」


 僕の眼を見て、父親は笑みを零した。僕の気持ちが伝わってことでいいのかと不安ではあったけど、次に彼が口にした言葉は、その答えでもあった。


「美歌を脅かす悪魔について、知っていることを全て話そう」


 父親は語った。

 ストーカーは、美歌の声を奪い去った。考えるだけで、ヤツをこの手で殺してやりたい。四肢を切り落とし、舌を引っ張ってちぎって首を飛ばしてやりたい。すまない、私情が入ってしまったね。

 狙われ始めたのは、社会人になってからだ。職場は今のが二つ目で、以前の職場は声が出なくなってしまったから辞めざるを得なくなってしまった。


 最初は、ちょっとしたことだったらしい。職場のデスクの上に、美歌が好きなチョコが置かれていたんだ。誰からか分からずだったが、美歌はそれを口にしたんだ。ストーカーは、自分がプレゼントしたチョコを、娘が口にしたことで喜んだのだろう。美歌のデスクには、その日からチョコが置かれるようになった。同じ銘菓のチョコがひとつだけ。

 とは言うものの、美歌は翌日には気持ち悪いと感じてゴミ箱に捨てていたんだ。それからだ、やることがエスカレートしていったんだ。


 美歌のデスクにあったパソコンに、メールが届くようになったんだ。差出人はない。匿名のメールが、一日一通、どれも同じ内容だった。


〈君を、見ている〉


 怖くなった美歌は、そのアドレスからのメールはすぐに消すようにした。社用のものだから迷惑メールとかの設定が出来なかったのだろうけど、さすがに気持ち悪いと俺も思ったよ。

 この時は、まだ俺には相談せずにひとりで抱え込んでいたそうだ。でも、時折見せる仕事から帰ってきた美歌の表情は、雨雲のように今にも泣き出しそうだった。

 俺が声をかけても美歌は、平気だよ、と言って部屋に戻っていく。親として、大人として、どこまで踏み入れられるのか分からなかった俺は、それ以上聞こうとはしなかった。


 母さんもそうだった。

 美歌が暗い顔を見せる度に、おいでと、この大福や饅頭をくれてやっていた。何も言わずに。

 俺たちは触れずにいた。触れずに、触れずに、美歌の真っ黒な瞳を見る度に少しづつ腹が立っていた。

 ストーカー行為は、ますますエスカレートしていった。デスクの書類にラブレターが挟まれていたり、ものが盗まれたりもした。挙句の果てに、ストーカーはこの家までやってきた。郵便が届くと匿名のラブレター、美歌が部屋にいると石が窓を割って手紙を届けた日もあった。

 やっとこれまでのことを話してくれたのは、その時が初めてだったよ。


 そして、とうとうことが起きたんだ。

 その日、美歌は友達と飲みに行くと、心配そうな顔をしていた。ストーカーのこともあって、友達が家まで来てくれて一緒に歩いて出て行った。

 友達との時間は、いつだって楽しいもんだ。美味いつまみに酒、あの頃の話、盛り上がると全てを忘れられた。そう、美歌は大事なことを忘れてしまっていたんだよ。


 帰ってきた時には、美歌の姿は今でも脳裏に焼き付いて思い出す度にストーカーを殺したくなる。乱暴されたんだよ。

 母さんが美歌の体を拭いて、泣きじゃくる美歌を強く抱き締めていた。俺は、その時、何も出来ない自分を責めた。親というのに、どうしてこんなにも力が無いのだろうと痛感した。

 その日は、母さんと俺と三人で川の字になって寝た。高校生から別々の部屋になって、久しぶりだったもんだから、懐かしくていつもよりぐっすり眠れた気がする。


 次の日、美歌は母さんの隣で首元を締め付けるように抑えていた。吐き出すようにして、腹もぐっと押し込んでいた。どうしたと、母さんと二人で何度も聞いたが、答えてくれなかった。

 いや、もう、この時すでに答えられなかったんだ。

 美歌は、声を失っていた。

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